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第41話 莉理香式精霊術の変貌

 官邸での帰還報告を終え、救護課の庁舎へ戻った莉理香は、大きく伸びをした。


「……やっと、終わったぁ」


 成田から官邸へ直行し、緊張したまま報告をし、やっと解放された。

 あとは着替えて、甘いお菓子でも買って帰れば――そんな、ごく普通の日常が待っているはずだった。


 ――その時。


「――桐嶋さん」


 低いが少し興奮気味の声が、廊下の奥から響いた。

 廊下の奥から現れたのは、研究者然とした佇まいの榊だった。

 だが白衣の袖をまくり上げ、眼鏡の奥の瞳は異様な光を宿している。


 莉理香は一瞬で悟った。


(……あ、これ絶対に逃げられないやつ……!)


 捕食者に見つかった小動物のような気持ちのまま、ずるずると研究室へと連れ込まれる。机の上には資料が山のように積み重ねられ、数値とグラフ、術式の軌跡がびっしりと並んでいた。


「見てください、この出力値!」


 榊はページをめくりながら、食い入るように指先で数値を叩く。

 その声は震えていた。――研究者が未知に出会ったときの、抑えきれない昂揚。


「あなたの力を媒介にした術の効率が、以前の比ではありません。ここを見てください。事実、先週はこのあたりで上限でした!」


 莉理香は思わずのけぞった。


「えっ、こんなに? いやいや、これ桁おかしくないですか!?」


「私も最初は計測ミスだと思いました! ですが何度やっても同じ! 安定性も威力も、すべてが跳ね上がっているんです!」


 榊の頬は紅潮し、呼吸すら早まっている。

 莉理香の胸奥の竜核が鈍く光を放ち、確かに別のリズムで脈動していた。


(……やっぱり。吸収したダンジョン核の影響だ……)


 胸の奥で、ラギルが低く笑う。


『ふむ、当然だ。お前の核がダンジョン核を呑み込んだことで単純に出力があがったんだろうな』


 真実は口にできない。

 莉理香は曖昧な笑みを浮かべ、なんとか受け流そうとした。


「……えっと、つまり……私を媒介にした術式の性能がちょっと良くなった……ってことですか?」


「“ちょっと”!? 良くなる!? 違います!」


 榊が机を叩く音が研究室に響き渡った。


「これは突破です! あなたを通せば、これまで不可能だった規模の術も現実になる! 次の段階では、都市規模の防御結界も――いや、もっと先の可能性すら!」


 興奮のあまり、声が上ずる。

 莉理香は内心で頭を抱えた。


(……やばい。これ、また余計な注目浴びるやつだ……!)


 しかし榊は止まらない。

 未知を前にした科学者の狂気は、もはや加速するばかりだった。


「次の実験は即座に組みます。結界の多層化、複合属性の同時発動、これまで机上でしか扱えなかった理論を――あなたを媒介にすれば!」


『フフ……面白くなってきたな。人間どもはますますお前を手放せぬと知るだろう』


 胸奥でラギルが愉快そうに囁く。

 莉理香は机に額を押しつけるようにして、小さく呻いた。


「……日常、返ってこないじゃないですか……」


 計測器の低い駆動音と、榊がペン先を走らせる擦過音が響く研究室。


 榊が夢中で目の前の数値やグラフと格闘する中、机の端に座らされた莉理香は、ついに堪えきれず口を開いた。


「……あの、榊さん」


「はい? 今、ここの出力カーブを見てください。以前は直線近似しかできなかったのに、指数関数的な上昇が――」


「いやいや、そうじゃなくて」


 莉理香は思わず両手を振った。

 自分の抗議が遮られる未来が見えて、慌てて割り込む。


「……そんなに、今まで私の力をポンポン使ってたんですか?」


 榊のペンが止まった。

 眉がぴくりと跳ね、口元がわずかに引きつる。


「……っ」


 ――しまった。


 研究者特有の誤魔化せない表情。

 莉理香はその一瞬を、見逃さなかった。


「えっ……本当に!? 私、最近は財布から小銭抜かれるくらいの感覚しかなかったとはいえ、海外で頑張ってたんですよ!?」


 必死の抗議に、榊は眼鏡を押し上げ、苦く笑った。


「……その“小銭”がですね、こちらにとってはとんでもないエネルギーの塊なんです」


「嘘でしょう!」


 莉理香は絶句した。

 確かに、力を貸すときの負担は以前よりも軽くなっており、意識しなければ気づけないほどになっていた。


 だが榊の言葉は、その認識をひっくり返す。


「あなたを媒介に術式を組むと、“巨大な力の奔流”が送り込まれてくるんです。……まるで、契約精霊が十体一斉に応えたかのような感覚ですよ」


「そ、そんな大げさな……」


「大げさではありません」


 榊の声音は真剣そのもので、その研究者の目が確信を宿していた。


「今のあなたは、もう普通の精霊契約規模の力じゃない。規模も安定性も、桁が違うんです」


 莉理香は机に突っ伏し、声にならない呻きを漏らした。


「……なんでこうなっちゃったんだろ……」


 胸奥で竜核が鈍く脈動する。

 ――ラギルの声が、淡く囁いた。


『貸す感覚が小さいのは、お前自身の“器”が拡張されたからだ』


(拡張……? だから榊さんには、急に力が増えたように見えてる……?)


『そうだ。お前の中では“当たり前”になった力だが、人間どもから見れば異常だ。だから驚かれる』


 莉理香は額を押さえ、深い溜息をついた。


「……私、ただでさえ目立ちたくないのに。これじゃますます……」


 その声は小さく、だが切実だった。

 榊はそんな彼女をじっと見つめ、言葉を選んだ


「……でも、それは同時に“誰も成し得なかった領域”に立ったということです」


 榊は静かに言葉を紡ぐ。


「あなたの力は、もう救護課だけで抱えるべきものではない。人類の未来に直結する規模なんです」


「……だから怖いんですよ」


 莉理香の声は震えていた。

 榊の言葉が正しいことは、わかっている。

 それでも“人類の未来”を背負うのは、あまりにも重すぎる。


 莉理香は唇を噛み、榊の資料に視線を落とした。

 そこに並ぶ数値は、紛れもなく“自分の現実”だった。


***


「……では、お願いできますか」


 榊の声は落ち着いていたが、その奥に潜む興奮を隠しきれていなかった。


 莉理香は、肩にかかった黒髪を軽く揺らしながら首を傾げる。

 瞳には不安の色が浮かんでいた。


「えっと……本当に”意識して”でいいんですか?」


 榊は即座に頷き答える。


「あなたが“貸す”と自覚した場合、供給量がどれほど変化するのかを確認したいんです。もちろん、私が制御できる範囲で止めますので」


 その言葉に、莉理香はかすかに眉を寄せた。

 けれど榊の自信に押される形で、小さく息をつき、頷いた。


「……わかりました」


 彼女はゆっくりと掌を掲げる。

 胸奥の竜核に意識を沈め――


(榊さんに力を渡す。ちゃんと意識して……!)


 その瞬間。


 ――どっ。


 体内を駆け抜ける奔流。

 榊の手元の術式陣が一瞬にして白熱し、研究室全体がまるで稲妻に撃たれたかのように震えた。


「っ――!?」


 榊の瞳が大きく見開かれる。

 光陣に雪崩れ込む莫大なエネルギー。

 警告灯が一斉に赤く点滅し、計測器の針は一瞬で振り切れた。


「え? な、なに……これ……っ!」


 次の刹那、計器のガラスにひびが走り、焦げた匂いが立ちのぼった。


「榊さん!?」


 莉理香が慌てて声を上げる。

 だが榊はすでに全身を激しく震わせ、血管が浮き出し、内圧に押し潰されそうになっていた。


「……っ、も、だ……めぇ……っ、あ゛……ぁあっ……!」


 その声は苦悶に歪んでいた。


 莉理香は即座に駆け寄り、両手を榊の胸に当てる。

 〈癒手ヒール〉の光が迸り、竜核が脈動して余剰の力を一気に吸い上げる。


 白熱していた光陣が、破裂音とともに掻き消えた。

 残ったのは、床に膝をついた榊と、黒く焦げた計測器の残骸だけだった。


 榊は肩で荒い息をしながら、額の汗を拭った。

 唇は震え、目はまだ充血し、恐怖と興奮が入り混じっている。


「……破裂するかと思いました……」


 かすれた声。

 研究者としての歓喜と、人間としての限界を悟った恐怖――二つの感情がその一言に凝縮されていた。


 莉理香は青ざめながら問いかける。


「ご、ごめんなさい! 私、ちょっと蛇口をひねっただけのつもりで……」


「蛇口!? ……これはダムの放水です!」


 榊は叫び、そして深く息をついた。

 興奮が収まりきらず、なおも指先が震えていた。


「……あなたは、自分の“当たり前”をわかっていません。これは精霊契約の規模じゃありません。人間が扱っていい領域を――超えています」


 胸奥で、ラギルの声が低く響いた。


『見ただろう、莉理香。人間の器では、お前の力は持て余す。貸す量を誤れば、破滅に至るのだ』


 莉理香は唇を噛み、榊の震える肩を支えながら小さく呟いた。


「……もう、意識して貸すのはやめます。榊さんを壊したくないから」


 榊は、虚ろな笑みを浮かべながらも頷いた。


「……そうですね。私も、こんな漫画じみた死に方は御免ですよ」


 笑い混じりのその声には、まだ震えが残っていた。

 研究室に残されたのは、焦げた匂いと、二人の胸に残る恐怖――そして、それを上回るほどの“未知への渇望”だった。

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