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第40話 彼女を信じるという選択――想定外の普通さ

 成田空港のロビーは、通常の帰国便を迎える場とは明らかに違う熱気に包まれていた。国際線到着口の前には報道陣がびっしりと列をなし、マイクを掲げるテレビクルー、各国から駆けつけたジャーナリスト、そして単なる野次馬までもが群れを作っていた。


 到着予定の便が掲示板に表示されると、群衆のざわめきはさらに高まり、誰もが固唾を呑んで自動ドアを見つめた。


 ――そして、その時が訪れる。


 ガラスの自動ドアが音を立てて開き、黒髪の若い女性が姿を現した。

 シンプルなシャツにジャケット、片手にスーツケースを引き――桐嶋莉理香。


 「――っ!」


 一斉にカメラの砲列が火を噴いた。

 閃光の嵐。まるで彼女を飲み込むかのように白光が襲いかかる。


「日本の英雄! 一言お願いします!」

「あなたは精霊と契約しているのですか!?」

「軍事利用の可能性についてどうお考えですか!」


 怒涛の問いかけが飛び交い、彼女の足が思わず止まる。

 眩しすぎるフラッシュに目を細め、ほんの少し肩をすくめてから――小さな声で答えた。


「……あれは精霊術みたいなもの、と思っていただければ。……それだけです」


 短い一言。

 記者たちはさらに食い下がろうとしたが、同行していた外務省職員が即座に制止し、護衛が人垣を作って彼女を出口へ導いた。


 その光景を遠巻きに見守る国の関係者たち。

 表情はそれぞれ違えど、口から漏れる言葉は似ていた。


「……やはり怪物ではある。だが人々が英雄と讃える彼女には、我らの味方でいてもらわねばならない」


 称賛と恐怖――二つの評価が、ひとりの若い女に同時に突き刺さっていた。


 空港の喧騒を抜け、協会の車に乗り込んだ救護課の仲間たち。

 三浦がシートに沈み込み、苦笑混じりに声を上げた。


「いやぁ、すごい騒ぎだったね。女神だの怪物だの……好き勝手言われてさ」


 前の座席から振り返った山崎が、ぼそりと呟く。


「でも実際は、帰りの機内でスナック菓子ばっか食ってた桐嶋だしな」


「……だってお腹すいてたんですもん!」


 莉理香は頬を赤らめ、むくれたように言い返す。

 そのやり取りに、車内の空気が和らぎ、緊張が解ける。

 外の世界がどう騒ごうと、救護課にとって彼女はいつも通りの同僚だった。


 窓の外を流れる街並みを見つめながら、莉理香は胸の奥に秘めた竜核の脈動を感じる。だが表に出る言葉は、いつも通りの他愛もないものだった。


 ――永田町。


 防衛省と外務省の合同会議室。

 スクリーンに映し出されているのは、インドネシア現地での中継映像。


 灼熱の魔物を凍り砕いた冷気の奔流。

 範囲を薙ぎ払う氷嵐。

 そして、マルチロックによる流星群のような爆撃。


「……なんですか、あれは」


 ひとりの官僚が思わず声を漏らす。

 軍事アナリストが苦い顔で答えた。


「通常兵器では説明がつきません。あの狙撃精度――衛星誘導兵器でも困難です」


「冷気での範囲制圧も異常だ。数十体を一瞬で無力化……」


 議場に沈黙が落ちた。

 やがて、防衛省幹部が低い声で結論を口にする。


「外交カードとしては――百点満点だろう。各国は日本の救護課の力を認めざるを得ない」


 だが、その言葉に続いたのは苦渋だった。


「……しかし思っていた以上だ。想定を超えている。あの力は、諸刃の剣だ」


 別の官僚が机上の資料を叩きつける。


「市街地で制御を誤れば、ひとつの都市が吹き飛びかねない。それを“個人”が握っているなど前例がない!」


 首相官邸でも同じ議論が繰り返されていた。

 資料の見出しには大きく《桐嶋莉理香の国際的評価》と書かれている。


「――世界にとって希望だ」

「だが同時に、世界にとっての脅威だ」


 政治家たちは顔を曇らせながらも、ひとつの現実を共有していた。


 ――日本は、想定外の存在を手にしてしまったのだ。


 その頃、車内でスナック菓子をもう一袋開けながら、莉理香は仲間に笑っていた。


「帰ったら、ちゃんと病院で当直入らなきゃ。……ああ、それとお土産配らなきゃ!」


 能天気な声に、仲間たちは思わず吹き出す。


「ははっ……やっぱり桐嶋は桐嶋だな」


 怪物でも女神でもない。

 ただ、命を救いたいと願うひとりの救護員――その日常が、確かにそこにあった。


***


 ――首相官邸、特別会議室。


 長机を囲むのは、防衛・外務・内閣の要人たち。

 壁際には秘書官や各省庁の補佐官が控え、スクリーンには各国の報道がまとめられた映像が流されていた。


 画面に映るのは――歓喜する避難民が涙を流して「女神だ!」と叫ぶ姿。

 そして次の瞬間には、海外のニュース番組で《怪物か救世主か》と大きく打たれた字幕。

 さらにSNSのタイムラインには《#救世主》《#桐嶋先生prpr》《#冷気の女王》《#戦うお医者さん》といった乱立するタグが並び、熱狂の渦に世間は湧いていた。


「……世界がここまで反応するとはな」

 外務省の高官が苦い顔で呟く。


「しかし、とにかく扱いが難しい。日本に属する存在でよかったと思うべきなんだろうが……もうわからん」


 囁き合う声に、重苦しい空気が満ちていく。

 防衛省の幹部は腕を組み、深い皺を刻んだ眉を寄せた。


「戦闘映像を見れば明らかだ。あれは既存兵器を凌駕している。都市を一人で守れるとも言えるが、同時に同じだけの破壊も可能ということだ。国民は英雄と呼び、ネットは熱狂しているが――国が“制御不能の力”であることが懸念事項だ」


 内閣官房長官が淡々と資料を読み上げる。


「世論調査速報。“桐嶋莉理香を国の誇りとする”七〇%、“危険視すべき”二五%。賛否両論だが、いずれにせよ国民的関心は避けられない」


 低い唸り声があちこちから洩れる。

 その時、扉が静かに開いた。


 入ってきたのは――黒髪をひとつに束ね、シンプルなスーツに身を包んだ若い女性。大きめのバッグを抱え、少し緊張した面持ちで会議室に頭を下げる。


「……桐嶋莉理香、救護課所属。任務を終え、戻りました」


 一瞬、室内の空気が固まった。

 映像で見た“氷結の女神”はそこになく、いるのはただの真面目そうな二十代の娘。

 背筋は伸びているが、表情はどこか気まずげで、まるで新入社員が報告に来たかのような雰囲気だった。


「お、お疲れさまです」


 誰かが反射的に声を返し、張り詰めた場が一瞬だけ緩む。


 首相が口を開いた。


「まずは、大変な任務よくやってくれました。現地の被害を最小限に食い止め、国際的な評価も極めて高い。日本国の首相として感謝の意を表します」


 莉理香は小さく首を振り、言葉を選ぶように答えた。


「……いえ。私ひとりの力ではなく、救護課の仲間や現地の方々の協力があってこそです」


 殊勝な言葉に、要人たちは小さくざわめいた。

 怪物のように恐れられるべき存在が――目の前では、控えめで誠実な若い女性。


 防衛省幹部が探るように問いかける。


「……ところで、扱ったのは精霊術、と報告されているが」


 莉理香はわずかに間を置き、簡潔に頷いた。


「はい。そう解釈していただいて差し支えありません」


 それ以上は語らず、ただ穏やかに答える。

 官僚たちは視線を交わしたが、追及の言葉は喉で止まり、疑念は飲み込まれた。


 やがて会議は締めくくられ、彼女が退室に向かう。

 バッグの紐を直しながら、何気なく呟いた。


「……あ、公用旅券、返すの忘れないようにしないとですね」


 場が凍りついた。

 戦慄の兵器だの外交カードだのと議論していた場に、あまりにも日常的で生活感あふれる一言。

 要人たちは一斉に顔を見合わせ、息を呑んだ。


 ――想像していた怪物は、そこにはいなかった。

 首相官邸を後にしたのは、若者。


 だが同時に、その普通さこそが最も恐ろしいのではないか――そう思う者もいた。

 しかし首相は深く息を吐き、静かに結論を口にする。


「……いや、彼女は自らの意思で救いのために力を振るっただけ。それなら、我々は彼女を信じ、尊重すべきだろう」


 誰も反論はしなかった。

 結局のところ、すべてを決めるのは彼女自身の心だ。

 そして――その心は今のところ、人を救いたいと願うただの善良な若者のものにすぎない。


 毒気を抜かれた要人たちは、ある意味当たり前の感触を共有した。


 ――彼女の意思を尊重すれば、大体は大丈夫だろう。




今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

莉理香も無事に帰還できました。


もし少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、

評価やブックマーク、感想をいただけると大きな励みになります。

どうぞこれからも見守っていただければ嬉しいです!



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