第4話 探索者登録
協会本部の登録窓口へ向かう廊下を歩きながら、莉理香は研修案内のパンフレットで読んだ一節を思い出していた。
――探索者は、任務内容に応じて戦闘系・救護系・補助系・生産系の四系統に分類される。
登録時には、スキルの種類と発動条件、資格や階級まですべてが記録され、協会の実技確認で適性が確定する。
任務編成はこの適性情報を基に行われ、前線・後方・支援など役割が割り振られる。
中でも、複数系統の任務をこなせる「複合系探索者」は希少だ。
特に救護系と戦闘系の両方に適性を持つ探索者は、危険地帯での救命活動で現場から強く求められる――。
(……救護と戦闘、どっちもやれる人なんて、ほんとに少ないらしいけど)
今回の登録で、自分はようやくその舞台に立つことになる。
たとえ医師免許を持っていても、資格がなければゲート内での治療活動は認められない――それが協会の規定だった。
廊下の先、窓口カウンターの奥では制服姿の職員が笑顔でタブレットを構えて待っていた。
ペン先が止まり、職員のまぶたが一瞬だけ跳ねた。
「……回復、ですか?」
「はい。それと、医師国家資格を持っています」
笑顔は崩さず、しかし職員の指が画面上で二度確認する動きをした。
(身体強化に回復……で医師免許……? 何この人、万能セットすぎない?)
職員は心の中でそんな感想を飲み込み、事務的な声に戻した。
「……かしこまりました。救護部隊所属で探索者登録ですね。はい、これで正式に発行されます」
小さな電子音とともに、カード型の登録証がトレイに置かれる。
表には顔写真と金色の協会紋章。裏のスキル欄は、三行びっしり文字が並び、やや縮小されている。
「これ……他の人より文字、小さくないですか?」
「仕様です。詰め込みすぎです」
職員の答えに、莉理香は苦笑する。
(……やっぱり言われた)
胸の奥で、すかさずラギルが得意げに響いた。
『そうだろう。誇っていい』
(自分で言わないで!)
『事実だ』
(はいはい、“事実”ね)
カードを受け取りながら、胸の奥に小さな熱が宿る。
これで彼女は、医師であり探索者。
前線で患者を守るための、二つの肩書きを手に入れたのだ。
窓口を離れると、春の光がガラス越しに差し込み、カードの金色がきらりと反射した。
***
探索者登録を終えた莉理香は、そのまま協会本部の新人研修室へ案内された。
午後の日差しがガラス窓から差し込み、十数名の新人たちが長机を囲んで座っている。前方には、協会の女性が立ち、端末を手にしていた。
「これから“新人研修”を始めます。最低限知っておくべき情報ですから、集中してくださいね」
壁一面のモニターに、まずは協会の概要が映し出される。
「現在、世界中で突発的に発生する『ゲート』によって多くの都市や産業が被害を受けています。これを封鎖・制御するため、政府と国際組織が共同で設立したのが“協会”です」
画面が切り替わり、制服姿の探索者たちの写真や訓練風景が映る。
「協会は探索者資格制度を統括し、訓練・登録・監督を一元管理しています。登録者は階級・スキル・所属部隊まで全てデータベースで管理され、任務ごとに最適な編成が組まれます」
次のスライドで、立体的なダンジョン構造図が浮かび上がる。
壁一面のモニターに、淡い青で描かれた立体地図が映し出される。
層ごとの構造が立体的に浮かび上がり、赤や黄色の点が散らばっている。
「ダンジョンの階層は第一層から深層にかけて危険度が急上昇します。魔素濃度が高い場所では通信障害や電子機器の誤作動が発生します。危険度は“階層番号×魔素レベル”で算定され、任務ごとに必要資格が異なります」
ここで講師は指し棒を置き、やや声を強めた。
「――ここでお伝えする内容は、あなた方の生存率に関わる重要事項です」
講師がレーザーポインターで第一層を示す。
「第一層は比較的安全とされていますが、環境変化や魔素濃度の急上昇は常に起こり得ます。事故の大半は、この“安全区画”とされる第一層で発生しています」
莉理香の脳裏に、かつての崩落事故の光景がよぎる。
(……あれも第一層だったな)
地図が回転し、特定のエリアが拡大表示された。足場や通路、魔物の生息範囲が色分けされ、「観測結晶」の配置も細かく示されている。
「魔物の強さは環境と濃度によって変動します。討伐系探索者は討伐に集中し、救護系は負傷者を安全圏まで搬送します。医療系スキル持ちは現場治療も可能ですが――」
そこで講師は一拍置き、教室全体を見渡す。
「――医療枠探索者は、応急処置や現場での判断、搬送経路の確保までを担います。その判断は任務中の生存率に直結しますが、前線投入は慎重に決定されます。医療系スキル持ちは戦闘枠以上に精神的な負荷が高い職務です」
講師の視線が一瞬こちらに向き、莉理香は反射的に背筋を伸ばした。
「――自分の安全を最優先してください」
『どうあってもお前は負傷者を優先するだろう』
(それ口に出したら怒られるやつだからね)
机上に「探索者行動規範」の冊子が配られる。厚くて堅苦しい文面だが、その中には生き延びるための実用的なルールが詰まっていた。
次に別のスタッフが現れ、透明なケースに収められた武器を机に並べていく。スリングショット、短剣、軽量のガントレット……。
『ふむ、我の爪の代わりにはならんな』
(その比べ方やめて)
「スキルは、肉体や精神の限界を越えるための一時的な力です。その発現原理はさまざまですが、共通するのは――“何か”の力を借りる、という点です」
モニターには、魔物や精霊、人工的に作られた魔具の映像が次々と映し出される。
「精霊の加護を受ける者は精霊の力を借り、魔具を媒介にする者は武具に宿る魔素を利用します。使用者本人の魔素だけで成り立つケースは稀です」
『借り物の力か』
(そういう定義みたい)
『お前の場合は借り物ではない。私の核は、すでにお前の中にある』
胸の奥で熱が脈打つ。心臓のすぐ外側に埋め込まれた竜核――竜の命の中心。
事故のとき、互いを生かすために器を共有した証だ。
(じゃあ私の身体強化も回復も、ラギルの力?)
『そうだ。ただし、お前の体を通す以上、私だけの時とは違う形になる』
(違う形?)
『お前の癖が混ざる。柔らかく、しなやかで、それでいて芯は硬い』
***
莉理香たちは協会本部の広大な屋内訓練場に集められた。
天井まで伸びる鉄骨の梁、人工樹木や岩場、遮蔽物が点在するフィールドは、まるで屋内に造られた迷路のようだ。
今日はここで、10対10のチーム戦――フラッグ戦を行うという。
実技担当官の佐久間が説明をはじめた。
「ルールは簡単。相手陣地のフラッグを奪えば勝ち。攻撃は模擬武器のみ使用可、命中判定はセンサーで行う」
くじ引きでチーム分けが行われ、莉理香は青チームに入ることになった。
第一戦
開始の合図と同時に、莉理香は岩場を駆け抜け、人工樹の枝を踏み台にして一気に上方へ跳躍した。
ラギルの力が脚に乗った瞬間、床との距離が一瞬で消える。上空から敵の位置を素早く確認し、最短ルートで回り込む。
「おい、もう来たぞ!」
「はやっ!?」
驚きの声を背に、敵フラッグを確保。帰路では模擬スリングショットで牽制し、ほぼ無傷で自陣に帰還した。
『簡単だな』
(いや、これ訓練だから!)
第二戦
戦術を変えた赤チームは、フラッグ周囲に厚い防御陣を構築してきた。
それでも莉理香は、遮蔽物から遮蔽物へと死角を渡り歩き、わずか数分で突破してしまう。
戻ってきた彼女に、味方が半笑いで声をかけた。
「動き早すぎ」
「センサー反応、追いついてないぞ……」
『硬い守りは壊しやすい』
(なんか物騒なこと言ってない?)
第三戦
「青チームは人数を8人に減らします。それと――桐嶋さん、フラッグ奪取は禁止。護衛と撹乱に専念してください」
試合開始。
莉理香は岩場を離れ、人工樹の高い枝へと移動。梁を伝って敵陣の頭上に回り込み、音もなく降下した。
「うわっ! 上から!?」
「どこから来たんだよ!」
敵が混乱する隙に、味方がフラッグを奪取。
莉理香は背後からの奇襲で何人も“戦闘不能”にしてしまっていた。
試合後、佐久間は笑みを浮かべながら言った。
「桐嶋さん、救護部隊じゃなくて戦闘枠でもよかったんじゃないですか?」
「……いえ、医療枠です」
本当は「回復スキルもありますし」と言えばよかったのかもしれないが、彼女は控えめに答えるだけだった。
『戦い方を教えるのも悪くはないが……お前は治す方が似合う』
(……そういうこと言うと、ちょっと嬉しいんだから)
***
終了のブザーが鳴り、人工樹の葉がぱらぱらと舞い落ちる。
フィールド中央に全員が集められた。
「まずはお疲れさま。三戦やって怪我人ゼロは立派だ」
佐久間の穏やかな声。だが、その視線が莉理香で止まった瞬間、わずかに鋭さが増した。
「……桐嶋。お前、全員の位置を把握して動いていたな」
「……はい」
ざわ、と周囲が反応する。
「全員の位置って……マジで?」
「しかもあんな速度で?」
「息も乱れてなかったよな……」
小声が飛び交い、隣の新人が半ば笑いながら首をかしげた。
「……あの、桐嶋さんって戦闘枠の人じゃないんですよね?」
「お医者さんだよね?」
「はい、医療枠です」
莉理香は苦笑で返すしかなかった。
敵味方の区別なく、彼女は音や気配から位置を拾い、ラギルの感覚を重ねて全体を俯瞰していたのだ。まるで頭上から戦場を見下ろしているかのように。
「二戦目も三戦目も、全力は出していなかったな」
「はい」
事実だった。竜爪も竜鱗も使っていない。
ただ、自分の範囲でやれる最速の動きをしただけ――それだけで十分すぎる結果が出てしまった。
「……たまにいるんだ。こういう、戦場全体を見て動ける新人がな」
佐久間は口元に笑みを浮かべた。
「それは強みだ。だが同時に、突っ込みすぎて帰ってこられなくなる危険もある。模擬戦なら仲間がすぐ助けてくれるが、本番ではそうはいかない」
『ふむ、私がいる限りは帰してやるがな』
(そういうこと言うと、安心しすぎちゃうんだから)
「いいか、桐嶋。お前の強みは状況把握と動きだ。それを活かす場は、ここだけじゃない。職場にも、この評価は伝える」
職場――つまり配属先に、この話が回るということだ。
おそらく彼女は「動きと判断力に優れた医療枠」として知られることになるだろう。
だが、佐久間はまだ知らない。
莉理香が刃や衝撃を受けても容易には傷つかないことを。
それは、彼女とラギルだけの秘密だった。
『……しかも今はほとんど力が残っていない。ガス欠でこの程度、だ』
(……ほんとに?)
『言わない方がいい。聞けば試すだろう、お前は』
その一言に小さく苦笑し、莉理香は姿勢を正した。