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第34話 インドネシアの危機

 成田での出国を終えた同じ頃。

 外務省の臨時会議室では、厚いカーテンが引かれた中、数名の職員と協会の調整官が向かい合っていた。

 テーブルの上に置かれたのは、衛星画像と現地政府から送られた被害報告。


「……繰り返します。派遣先はインドネシア・ジャワ島東部。火山帯直下のダンジョンが暴走、第四層が崩落しています」


 硬い声が室内に響く。

 映し出されたスクリーンには、黒煙を噴き上げる火口周辺の映像と、逃げ惑う人々の姿。

 通常ならダンジョンの瘴気は結界で封じられるはずが、その一部が地上へ漏れ出し、街全体を覆っている。


「死者はすでに二百人を超え、負傷者は数千人規模。現地では到底対応しきれません。さらに――魔素濃度の上昇で、火山活動そのものが不安定化しています」


 沈痛な声に、誰もが顔をしかめた。

 単なるダンジョン災害ではない。地殻活動すら巻き込んだ、国家規模の危機だ。


「……だからこそ、国際案件になったわけだな」


「はい。インドネシア政府から国連経由で緊急要請がありました。日本には“救護と封じ込めの両立が可能な特殊戦力”として協会の名指しがあったのです」


 特殊戦力――それが指すのは一人の若い女性。


「……だが本当に、あの娘で大丈夫なのか?」

「大丈夫ではなく、彼女しかいないのです」


 重い沈黙が落ちた。


 その一方で、成田の搭乗口を抜けた莉理香は、仲間と並んで能天気に足取りを弾ませていた。


「機内食って、どんなのが出るんでしょうね!」

「……お前なぁ」


 三浦が頭を抱える。

 しかし、そのやり取りを陰から見つめていた外務省職員の胸中は凍りつくばかりだった。


 ――戦略兵器級の存在が、いま飛行機に乗ろうとしている。

 受け入れ国にとっては「援軍」であると同時に、「最悪の脅威」。


 その緑色のパスポートを誇らしげに掲げた莉理香こそが、国境を越えた恐怖と希望の象徴だった。


***


 ――ジョアンダ国際空港。

 蒸し暑い空気の中、臨時に設けられた警備隊の詰め所では、治安当局の幹部たちがざわめき立っていた。


「……本当に来るのか、日本から“あの怪物”が」

「来る。外務省経由で正式に通達があった。医療支援名目だが……実態は怪物であることに変わりがない」


 地図の上に赤い印がいくつも並ぶ。火山の麓に広がる被災地、結界の崩れたダンジョン。

 既に数百人が命を落とし、避難民は数万人に達している。

 だが幹部たちの顔色は、被害よりもむしろ「これから来る存在」に対する恐怖で固まっていた。


「報告では……人智の及ばない力を宿す、という噂だ。銃火器も戦車も通じない魔物を、素手で砕く力があると」


「馬鹿げている。だが、映像は本物だった。そんな怪物が街中で暴れたら……」


 沈黙。

 彼らの脳裏に浮かぶのは、炎に包まれる首都の幻影。

 味方として来るはずの存在が、敵に回った場合の悪夢。


「……監視体制を敷け。24時間だ」


 そんな声が飛び交う中、到着ロビーの案内板に「TOKYO – NARITA」の文字が点灯する。


 到着ゲート。

 スーツケースを転がして現れた救護課の一行を、現地職員と大使館員が固唾をのんで見守った。

 最前列に立つのは、黒髪セミロングの若い女性――桐嶋莉理香。

 その姿を目にした瞬間、迎えの治安部隊の一人がぽつりと漏らす。


「……本当に、この娘なのか?」


 想像していたのは、鋼の巨人か、怪物のような戦士。

 しかし目の前にいるのは、少し大きめのスーツケースを押しながら、きょろきょろと天井の看板を見上げる、どこにでもいそうな若い女だった。


「嘘だろ……。ただの学生にしか見えん」

「だが、あれが“怪物本人”だ。協会が保証している」


 信じがたい囁きが重なる。

 莉理香はそんな視線に気づくこともなく、入国審査の窓口へと歩み寄った。

 緑の公用旅券を差し出す瞬間――口角がきゅっと上がる。


 審査官が無表情でスタンプを押し返すと、莉理香はぱっと笑顔を弾けさせた。


「ありがとうございます!」


 明るい声が響き、彼女は振り返って仲間に手を振る。

 そのあまりに無邪気な姿に、迎えの大使館員たちは一瞬、言葉を失った。


「……怪物、だと聞いていたが」

「どう見ても……観光客の女の子だ」


 困惑と安堵と、消えない恐怖。

 そのどれもが入り混じった視線を受けながら、莉理香は能天気な笑顔のまま到着ロビーを歩いていった。


 ――彼女が踏み込むのは、火山とダンジョンが同時に暴れ狂う災害地帯。

 受け入れ国の人々はまだ知らない。

 その無邪気な彼女こそが、地獄と化した状況を鎮める唯一の切り札であることを。


***


 空港から内陸へ。

 輸送車両の窓越しに広がる光景に、救護課の一行は息を呑んだ。


 山肌を覆う黒煙。地鳴りとともに立ちのぼる火柱。

 火山の噴火口から吹き出す赤い光は、夜明け前にもかかわらず空を真紅に染め上げていた。

 さらに地表を漂うのは、ただの火山ガスではない。紫がかった霧――ダンジョンの瘴気だった。


「……すごい……。火山とダンジョンが、混じってる……?」


 莉理香の呟きは、車内に重苦しく響いた。

 誰も答えられない。答えの代わりに聞こえるのは、遠くで響く爆発音と、群衆の悲鳴。


 やがて車両は、臨時に設けられた避難キャンプへ到着した。

 体育館ほどの大きさのテントの中には、負傷者が溢れ、床に敷いた毛布の上で呻き声を上げている。

 現地医師たちは疲労困憊で、手袋もマスクも汗と血で汚れきっていた。


「……ひどい」


 三浦が顔をしかめる。

 山崎はすぐさま荷物を降ろし、救護課の仲間たちに指示を飛ばした。


「消毒用水を展開しろ! まずは止血だ、次に呼吸困難者を――」


 現地スタッフの混乱に、日本式の冷静な指揮が混ざり始める。

 その中心に立つ莉理香は、結界を展開しながら声を張り上げた。


「ここを清潔区域にします! 負傷者をこちらへ!」


 淡い光が広がり、テント内に防御結界が張られる。

 埃と瘴気を遮断する透明な壁に、現地医師が驚きの目を向けた。


「これが……日本の救護隊……」

「信じられない……まるで移動式の病棟だ」


 どよめきが広がる中、莉理香は患者の傷に手を翳した。

 竜核の力が脈動し、皮膚の裂け目が閉じていく。

 呻いていた男性が静かに呼吸を整え、安堵の表情を浮かべる。


「……大丈夫です。あなたは助かりますよ」


 優しい声に、周囲の避難民が次々と涙を流した。

 その光景を見つめながら、現地当局の幹部は小さく呟く。


「……驚異のはず……なんだが――」


 言葉を飲み込む。

 彼女の背に漂う空気は、確かに人を救う光そのものだった。

 だが、その奥底に潜む圧倒的な力の気配――それが、誰の目にも言葉にならぬ畏怖を呼び起こしていた。


 その時、遠くで轟音が響いた。

 山の斜面を裂いて、炎を纏った巨大な影が姿を現す。

 火山から噴き出した溶岩の中から、ダンジョンの魔物が現世へと漏れ出したのだ。


 周囲が悲鳴を上げ、避難民が一斉に逃げ惑う。

 現地兵士が銃を構えるが、魔物は弾丸を弾き返しながら前進してくる。


「桐嶋!」


 山崎が叫ぶ。


 莉理香は息をのみ、結界を前方に展開した。

 竜核が強く脈動し、胸の奥でラギルの声が響く。


『……面白い。火山とダンジョンの混合災害か。さあ、どうする? 莉理香よ』


(……やるしかない。ここで退いたら、守れない!)


 彼女は拳を握り、結界の前へ踏み出した。

 能天気な笑顔の裏に潜む、竜の力を秘めた真の姿を――ついに、この災害の地で解き放つために。

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