表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/52

第28話 精霊術師との邂逅

 救護課の執務室。

 夕方の雑然とした空気の中、莉理香は高村に呼び止められた。


「ちょうど来ている。紹介しておこう」


 案内された先に立っていたのは、一人の女性だった。

 協会の制服の上から白衣を羽織り、年齢は三十前後だろうか。

 眼鏡の奥に光る瞳は知的で、肩までの黒髪をきっちりとまとめ上げている。背筋の伸びた姿勢からは、場数を踏んだ落ち着きが漂っていた。


 その立ち居振る舞いは医師や研究者を思わせ、周囲の空気さえ引き締めるようだった。


「こちらはさかきさんだ。精霊術師として登録している。協会では主に訓練生への指導を担当している」


榊真澄さかき・ますみです。お話は伺っています」


 丁寧に頭を下げる榊。

 その所作は柔らかく気品があったが、同時に、瞳の奥には研究者特有の強い好奇心が宿っていた。


「……桐嶋莉理香です。救護課に所属しています」


 慌てて礼を返す莉理香。

 榊はにこやかに頷き、しかし次に発した言葉で、莉理香の頬を赤く染めさせた。


「存じております。現場記録にもよく名前が出ていますから。――あの、“無傷の救護前衛”」


「ひっ……」


 思わず肩を竦める莉理香。

 ネットや現場で広まっているあだ名を正面から言われると、どうしても気恥ずかしさが込み上げる。


 榊は追及することなく、落ち着いた声で本題へと移った。


「課長から伺いました。力の制御に課題を抱えているとか」


「……まあ、その、はい。とにかく出力が安定しなくて。昨日なんて家電が全部……」


「家電……?」


 眼鏡の奥で榊が小さく瞬きをする。

 その反応を、高村の咳払いが遮った。


「細かい話はいい。要は“電気的な現象を暴走させた”ということだ。精霊使いの観点から、助言できることがあるかもしれん」


「なるほど」


 榊は静かに頷き、莉理香に正面から向き直った。

 彼女の瞳は好奇心でわずかに輝き、同時に指導者としての厳しさも宿している。


「私たち精霊術師は、自然現象を“精霊”を通じて扱います。力そのものを自分のものとするのではなく、媒介を通して借りる。その際に重要なのは――現象の理論を理解することと、精霊との対話です」


「理論と……対話」


 莉理香は思わず復唱した。


「はい。火を動かすなら燃焼の仕組みを。水を操るなら流体の性質を理解しなければ、精霊は応えてくれません。――桐嶋さんの場合は、どうでしょうか?」


 問われて、莉理香は言葉に詰まった。

 彼女は科学の断片を頭の中で組み合わせ、実験するように力を試してきた。

 だが、多くの場合は理屈よりも直感に頼っている。


「……正直に言うと、あんまり理屈で理解しているわけじゃなくて。動くかな、って思うと動いてしまう感じで……」


 榊は顎に手を当て、興味深そうに頷いた。

 眼鏡の奥で光る瞳がわずかに細められ、観察対象を見つめる研究者のような色が浮かぶ。


「直感だけで現象を起こせる……なるほど。ある意味では、精霊以上に“源泉に近い”のかもしれませんね」


 ――源泉。


 その言葉に、莉理香の胸奥で竜核がかすかに震えた。


『……ふむ。やはり気づくか、この女。』


 ラギルの低い声が心の内で響く。

 莉理香は気づかれぬように、小さく息をのんだ。


***


 榊は腕を組み、莉理香をじっと観察していた。

 その視線には研究者特有の探究心が満ちている。


「……桐嶋さん。さきほど“電化製品が壊れた”とおっしゃいましたね」


 声を濁しながらも、視線が泳ぐ。昨日の惨状を思い出すと、胸の奥がちくりと痛んだ。


「え、ええ……まあ、その……」


「つまり、雷精――電気を司る精霊の加護を受けているのではないかと推測します」


「……え?」


 莉理香は思わず間抜けな声をあげた。

 精霊の加護? 自分はそんなものを受けているつもりはない。


 戸惑いを隠せずにいる莉理香に、榊は机の上を軽く叩いて促した。

 その仕草には確信を持つ者の落ち着きがあった。


「確認しましょう。――桐嶋さん、あなたはどんな現象を起こせるのですか?」


「どんな……ですか?」


「はい。できれば一通り、見せていただきたい」


 榊の眼差しは真剣そのもの。

 逃げ場のない緊張感に、莉理香はしばし言葉を失い、やがて観念したように息を吐いた。


「……じゃあ、まずは風」


 掌を差し出し、胸奥で竜核がかすかに震える。

 ふっと息を吐くと同時に、指先から突風が吹き出した。

 机上の書類がひらひらと宙を舞い、榊の髪を揺らす。


「次は……熱」


 空気を束ね、圧縮する。

 掌の前に“見えない熱球”が現れた瞬間、周囲の空気が揺らめいた。


「冷気も……」


 今度は逆に分子の動きを奪う。

 窓ガラス一面に霜の模様が走り、冬の朝のような冷気が一瞬で室内を満たした。


「最後に……雷」


 小さく指を鳴らした瞬間、ぱちりと青白い火花が散った。

 まるで掌に稲妻を閉じ込めたかのように、電流が弾け、焦げた匂いが漂う。


 ――四つの現象を立て続けに見せつけられ、榊は硬直した。

 眼鏡の奥の瞳が大きく見開かれ、知性の仮面の奥で衝撃と興奮が入り混じる。


「……なんで……?」


 震える声が零れる。


「えっ、あの……?」


 おそるおそる声を返す莉理香。

 だが榊は言葉を選ぶ間もなく、確信めいた声で言い切った。


「普通、精霊の契約は一柱だけです。火なら火、水なら水。無自覚に複数と契約しているなんて――聞いたことがありません!」


 その言葉に、莉理香は呆然と立ち尽くした。

 契約? 複数? 自分にはまるで覚えのない話だった。


(け、契約なんてした覚え……全然ないんだけど……!?)


 心臓が早鐘を打ち、視線が宙を泳ぐ。

 榊の視線には好奇心と警戒の両方が宿り、ますます息苦しくなる。


 狼狽する莉理香の胸奥で、ラギルが低く笑った。


『フフ……面白い誤解をしておるな。精霊の力など借りてはおらぬ。これは純粋に“莉理香自身の力”よ』


(ラギル、笑ってる場合じゃないから!)


 ――精霊術師は確信している。

 莉理香は「無自覚に複数の精霊と契約している」と。

 だが、その実態は竜核由来の、彼女自身の異能だった。


***


 榊は静かに息を整え、机の上に両手を置いた。

 その所作は一見落ち着いていたが、眼鏡の奥の瞳は鋭い光を帯びている。研究者特有の探究心が、彼女の全身から滲み出ていた。


「……では、次に少し試してみてもいいですか?」


 唐突な申し出に、莉理香は首を傾げた。

 榊は柔らかい声で補足を加える。


「精霊契約においては、力の“流れ”を観察することができます。あなたの中を通るエネルギーが、どんな経路を辿り、どんな性質を帯びているのか……。

 今回は契約ではなく、ただ精神的な接続を試み、流れを“覗く”だけです」


「精神的な接続……ですか」


 莉理香は小さく息をのむ。知らない言葉に、緊張がにじむ。

 だが、胸奥でラギルが穏やかに囁いた。


『構わん。ただ覗く程度ならな。――むしろ我らにとっても面白い』


 その声音は揺るぎない自信に満ち、莉理香の不安を和らげた。


「……お願いします」


 意を決し、彼女は頷いた。


 榊が目を閉じ、そっと莉理香の手の甲に指先を重ねる。

 瞬間、冷たい水に沈むような感覚が二人を包み――


「……っ」


 すぐに途切れた。


 榊は眉をひそめ、目を開く。

 莉理香も小さく瞬きをした。自分の胸奥では、竜核がかすかに脈動し、外部からの干渉を“弾いた”のがわかった。攻撃ではなく、あくまで自動的な防御反応。


『当然だ。竜核は莉理香の核であり、余人を拒む。単純に力不足で弾かれたのだ』


(……そんな、容赦ない……)


 莉理香は内心で苦笑するが、榊は真剣な表情のまま首を傾げていた。


「……おかしいですね。精霊側からの拒絶なら、もっとはっきりした抵抗の気配を感じるはずです。ですが今のは……その手前。

 まるで“門前払い”にすらならず、触れる前に霧散してしまったような……」


 困惑を隠さず言葉を重ねる榊。

 だが、その瞳には不安よりも強い興味が灯っていた。


「……桐嶋さん。あなた、本当に何と契約しているんですか?」


「えっ……いや、その……」


 言葉に詰まる莉理香。

 しかしその沈黙は、榊の疑念をますます深めることになった。


「……やはり私の側からでは届きませんね」


 榊は顎に指を添えて考え込み、やがて決意したように顔を上げた。


「では方法を変えましょう。桐嶋さん――あなたのほうから、私に力を流してみてください。私が導きます。

 精霊契約の初歩では、術者が“窓口”を開く手助けをするんです」


「わ、私から……?」


 不安に揺れる声。

 だが胸奥でラギルが低く笑う。


『いいだろう。そやつが望むなら、お前から道を繋げ。――ただし加減を忘れるなよ』


(加減……できるかな……)


 莉理香は深く息を吸い、榊の差し出した手に自分の掌を重ねた。


 その瞬間――竜核が脈動する。

 透明な流れが溢れ出し、榊の導きに従って細い糸のように伸びていく。


 意識を集中すると、その糸は榊の精神に触れた。


「――っ!」


 榊の全身に稲妻のような衝撃が走る。

 精霊との接続で感じる“自然のささやき”とは根本的に違った。

 これは山でも嵐でもない。世界そのものを押し潰すような巨大な吐息。


 心臓を直接握られたかのような圧迫感に、彼女は息を詰まらせる。


「と、とんでもない……っ」


 声が震え、額に汗が滲む。

 それでも必死に意識を保ち、糸の先だけを掴み取ろうとする。

 確かに扱いやすさはあった。だが、その背後に広がる“深淵”の存在感が、恐ろしくてならない。


『フフ……気づいたか、人間。お前が触れているのは精霊の囁きなどではない。我が力の片鱗だ』


 榊には届かぬ竜の声。

 莉理香は慌てて手を引き、接続を切った。


 ぷつりと糸が途切れ、空気が一気に軽くなる。

 榊は肩で息をしながらも、その瞳には恐怖と興奮がないまぜになった輝きが宿っていた。


「……桐嶋さん。あなたは……精霊なんかじゃない。もっと――もっと大きな……」


 言葉を失い、ただ呆然と莉理香を見つめる榊。

 莉理香は視線を逸らし、居心地悪そうに指を組む。


(……やばい。バレたかも……)


 胸奥で竜核が愉快げに震えるのを感じながら、彼女は小さくため息をついた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ