第24話 災害で輝く救護員
その日、都市近郊の地下鉄路線に隣接する小規模ダンジョンで異常が発生した。
魔素濃度の急激な上昇が引き金となり、通路が崩落。連結していた地上の建物まで巻き込み、避難途中の市民が瓦礫に閉じ込められた。
「緊急派遣だ! 協会救護課、出動せよ!」
アラートが鳴り響き、救護課の隊員たちが装備を整える。
莉理香は結界発生器を背負い、いつもの重量装備に身を包んでいた。
現場に到着すると、地下鉄の入口は瓦礫に塞がれていた。
粉塵が漂い、視界は白く濁り、呻き声が奥から響いてくる。
「中にまだ二十人以上残ってます!」
「余震で天井が落ちるぞ、急げ!」
消防と協会の合同指揮のもと、隊員たちが次々と突入する。
その中で、重量装備の彼女に目を止めた指揮官が慌てて声をかけた。
だが、莉理香は一歩も退かずに答えた。
「私は救護課員です。負傷者を助けるのが役目です」
毅然とした声音。その背後で高村課長が短く頷く。
「心配するな。……彼女は前に出ても大丈夫だ」
指揮官は呆気に取られたまま、彼女の背中を見送るしかなかった。
瓦礫で塞がれた狭い通路。
鉄骨が垂れ下がり、粉塵が視界を奪う。普通の救助員なら足を止める場所だった。
だが莉理香は迷わない。負傷者のそばに膝をつき、即座に結界を展開。
青白い膜が彼と周囲を包み込み、落石を弾いて即席の治療空間が形作られる。
「大丈夫、すぐに外へ出します」
声をかけながら、彼女は両手で鉄骨を掴んだ。
――ぐい、と持ち上げる。
「――っ!」
耳をつんざく金属音。数百キロはある鉄骨が、まるでジャッキのように押し上げられていく。
「……持ち上げたぞ、あの女……!」
後方の救助員が息を呑む。その隙間から、次々と市民が引き出されていった。
『良いぞ、莉理香。その腕は、ただの人間ではできないことができるはずだ』
(ラギル……今は黙ってて。集中するから)
その時。
「お母さん、どこ! こわいよ!」
子供の泣き声が奥から響いた。莉理香の目が即座にそちらを捉える。
倒壊した壁の隙間。大人では通れない奥に、小さな影が震えていた。
「大丈夫、すぐ行きます」
彼女は装備を外さぬまま狭い隙間に身を滑り込ませる。
鉄骨を片腕で支え、子供に手を伸ばした。
「怖くない。こっちにおいで」
子供が泣きながら腕に飛びつく――その瞬間、瓦礫が崩れ落ちた。
「危ない!」
成瀬が思わず声を上げる。
だが莉理香は片腕で子供を抱え、もう片方でコンクリートの塊を支えていた。
まるで紙のように、天井を押し返す姿に救助員たちは立ち尽くす。
「……人間重機って、こういうこと言うんだな」
誰かの呟きがこだました。
子供を抱えて外に出た莉理香は、母親のもとへ返し、安心させるように微笑んだ。
「もう大丈夫ですよ」
その笑顔に、現場の緊張がわずかに解けた。
救われた人々の目に浮かんでいたのは、恐怖ではなく感謝の色だった。
***
瓦礫の山を抜けた先――突然、地鳴りが響いた。
崩落がさらに進み、天井のコンクリートが軋みを上げる。
「全員、退避だ!」
指揮官の叫びが飛ぶ。
だが奥にはまだ十数人の市民が取り残されていた。
老人、妊婦、小さな子供。避難の足が遅れた人々だ。
狭い通路を通じて救助するには時間が足りない。
その時、莉理香が一歩前に出た。
「私が支えます。皆さんは避難者を!」
「無茶だ!」
消防隊員が叫ぶ。
「崩れるぞ、天井丸ごとだ!」
だが莉理香は迷わなかった。
胸奥の竜核が低く震え、血管の中を力が駆け巡る。
次の瞬間――
彼女は両腕を広げ、崩れ落ちる天井を結界を広げて受け止めた。
「う……ぉぉぉぉ……っ!」
轟音。
火花のように魔素が弾け、青白い結界がきらめく。
常識ではあり得ない光景。数トンの瓦礫が空中で止まり、その下に避難路が確保されていた。
理解を超えた光景に大人たちの顔に一瞬、恐怖の色が走った。
「な、なんだ……」
「どうやって支えてるんだ……」
本来の使い方じゃない結界の張り方にさすがに無理があるのか強度を保つための出力の調整が難しい。
足を止めかけた市民に、莉理香は必死に声を張った。
「走って! 今なら通れます!」
声には焦りも傲慢さもなかった。
ただ、命を救うための必死の願い。
その真剣さに、大人たちは我に返る。
理性が恐怖を押しのけ、足が前へと動いた。
一人、また一人と、崩落の下を駆け抜けていく。
老人を支える青年、子を抱きかかえる母。
彼らの頭上で、莉理香は全身を震わせながら結界を維持し続けていた。
「すごい……すごいよ!」
最後尾の子供が立ち止まり、涙で濡れた瞳を輝かせていた。
瓦礫を両手で押し返すその姿を、ヒーローを見る目で見上げている。
「がんばれ、おねえちゃん!」
その小さな声援に、莉理香の心が熱くなる。
唇を引き結び、さらに結界に力を込めた。
「……っ、まだ、大丈夫!」
結界が眩しく光り、最後の避難者が駆け抜けた。
全員が安全地帯に出た瞬間、莉理香は腕を離した。
崩れ落ちる瓦礫が轟音を立てて地面を揺らす。
舞い上がる粉塵の中、彼女は膝をつき、深く息を吐いた。
「……全員、無事ですか」
問いかける声はかすれていたが、そこには安堵がにじんでいた。
助けられた人々は、恐怖よりも感謝の涙を浮かべていた。
「ありがとうございます……本当に……」
「命を、助けていただいた……」
先ほどまで恐怖を覚えていた大人たちも、今は頭を下げていた。
理性が告げている。――この力は人を救うために使われているのだと。
そして子供たちは、ただ純粋に笑顔で叫んだ。
「やっぱりヒーローだ!」
「助けてくれてありがとう!」
莉理香は頬を赤らめ、困ったように微笑んだ。
***
その動きを遠くから監視していた男がいた。
防衛省調査班の尾行担当、成瀬。
ヘルメットに仕込まれた小型カメラが、莉理香の動きを余さず捉えている。
カメラ越しに記録しているのに、心の奥が震えていた。
(これが……本当に人間のすることか?)
狭い通路で、テコも使えない体勢のまま鉄骨を押し上げる。
だが彼女の顔には苦悶の色はなく、市民へ声をかけ続ける穏やかさすらあった。
「こっちへ! 手を伸ばしてください!」
市民を結界で守りながら一人、また一人と外へ導く。その姿は脅威というより――希望の象徴に見えた。
(でもこれを……本当に脅威と呼ぶのか?)
(もし自分が瓦礫に埋まったら。助けを求めるのは、彼女以外にいないだろう)
だが、報告にその感情を書き込むことはできない。
上層部が欲しているのは「未知の能力」「制御不能の可能性」という冷徹な分析だけだ。
現場の実感と、上層部の論理。
その落差が、彼の胸を締めつけていた。
同じ映像が、防衛省の会議室でも再生されていた。
救われた市民が涙を流して駆け抜けるその瞬間でさえ、幹部たちの表情は微動だにしない。
「人道的行動は評価する。しかし未知の能力に変わりはない」
「善意に依存するのは危うい。監視は継続せよ」
冷徹な声が響く。
現場で希望を見た成瀬と、人質を数字に換算する幹部たち。
同じ映像を前にしても、見えるものはまったく違っていた。
***
救助活動を終え、莉理香は倒壊した入口から夕空を見上げた。
光が粉塵を透かし、橙色に輝いている。
(……よかった。みんな助けられて)
胸奥で竜核がかすかに光を放ち、無数の魂を取り込み続ける。
その真実を知る者は、どこにもいない。
だが、目の前の人々は確かに彼女に感謝していた。
泣き笑いで頭を下げる大人たち。
「ありがとう、おねえちゃん!」と声を張る子供の姿。
その光景を背に、莉理香は静かに笑みを返した。
――彼女自身の想いは、ただひとつ。
「救えるなら、救いたい」
その言葉は、成瀬の胸の奥にもしっかりと残り、上層部の冷徹な議事録とは別の真実を刻んでいた。




