第19話 吹き飛ばされないために、重くしました
午後の探索者協会・出立ホール。
吹き抜けに響く足音やざわめきの中、臨時編成の十名が集合していた。
正規任務の救護枠ではなく、今回は調査を兼ねた派遣。
要救助者が待っているわけではない分、空気はどこか軽い。
その中に、ひときわ落ち着いた表情の莉理香がいた。
胸部から背にかけて分厚いプレート、腕と脛にも同じ合金装甲。外見だけを見れば「少し重装に寄せた救護員」という程度。だが、実際にその装備の重量は百キロを超えていた。
歩くたびに床板がわずかに軋み、木製部分では沈み込みすら見える。
莉理香はその違和感に気づき、足取りを調整して音を立てぬよう気を遣った。
(……普通の地面なら何も問題ないし。ここでは静かに)
もっとも、その重量を真正面から指摘する者はいない。
「女性に“重くなった?”なんて聞けるか」――そんな妙な遠慮が、周囲の口を閉ざしていた。
やがてブリーフィングの時間となり、リーダー役の村上が前に立った。
長槍を手に、いつもの温和な笑顔を浮かべながら全員を見渡す。
「今回の目的はダンジョン三層の調査だ。モンスターの出現頻度が増えているらしいが、護送任務じゃない。軽めの探索と現場記録が中心になる。救護は最低限で済むはずだ」
軽任務、と聞いて全体の緊張が少し緩む。
だが次の瞬間、視線が一斉に莉理香へと注がれた。
「救護課からの同行は……桐嶋さん一人か」
村上が確認する。
「はい。よろしくお願いします」
莉理香は丁寧に頭を下げ、落ち着いた声で答えた。
だがその装備に、ちらちらと視線を送る者がいる。見た目は「普通に少し頑丈そう」なだけなのに、妙に迫力があるのだ。直感で質量感を感じ取った者もいた。
「……装備、変えた?」
斥候役の杏奈が首を傾げた。観察眼の鋭い彼女は小さな違いを見逃さない。
「前より、こう……厚みがあるというか」
「はい。新しい試作品です」
莉理香は柔らかく微笑んで返す。それ以上は語らない。
真由が小さく頷く。
「救護が前に出るなら、少し重装の方が安心かもね」
「そうそう。結界張ってくれるだけでも助かるし」
亮介が場を和ませるように笑った。
「まあ、サポート役が一番安心できるってのは珍しいけどな」
その一言に自然と笑いが起き、空気は和やかになった。
だが――村上だけは一瞬だけ首を傾げていた。
(……彼女の動きに“重さ”を感じない。普通なら装備が変われば歩き方に癖が出るものだが……)
違和感を言葉にせず、リーダーらしく話を続ける。
「では、隊列はいつも通り。前衛は俺と亮介。杏奈が斥候、真由は後衛。桐嶋さんは救護位置……ただし、状況次第では前に出て援護を頼む」
「了解しました」
莉理香は即座に応じる。その声に迷いはなく、表情も揺れない。
こうしてブリーフィングは滞りなく終了。
部隊は軽口を交わしながらゲートへと歩み出した。
ただ一人――莉理香の足音だけが、誰も口にできないほどに、ほんのわずかだが重かった。
***
ダンジョン三層。
魔素の霧が薄く漂い、視界は開けているが湿気が肌にまとわりつく。
臨時部隊は隊列を整えて進んでいた。
村上と亮介が前衛を固め、杏奈が左右に目を走らせ、真由が後衛から矢をつがえる。
その中央――莉理香は静かに結界を張り、的確な支援を続けていた。
「前方、獣型三!」
杏奈の声が鋭く響く。
即座に莉理香の結界が張り出し、飛びかかってきた魔物を透明な壁が受け止める。
その瞬間を逃さず、村上の槍が突き、亮介の剣が切り裂いた。
「癒手!」
光が走り、亮介の腕に刻まれた切り傷が瞬時に塞がる。
「……相変わらず完璧だな」
村上がぼそりと呟く。
ドローンのカメラも、救護枠が戦線中央で支援を回している光景を映し続けていた。
《支援が完璧すぎる》
《動きに無駄がない》
《中央から全部カバーしてる》
だが、その“安定”はあっけなく崩れる。
通路奥から姿を現したのは、本来なら四層以降でしか見ない大型の甲殻獣。
重厚な脚で床を震わせながら、こちらに一直線に突進してきた。
「っ、イレギュラー!」
杏奈が叫ぶ。
「っ、まずい――!」
村上が槍を構えるが、巨体は間合いに入ってしまっている。
その瞬間――莉理香が動いた。
拳が、ただ静かに閃く。
――ドンッッッ!!!
轟音とともに、魔物の胸部が内側から弾け飛んだ。
甲殻は粉砕され、魔素が霧散し、残骸が床に散らばる。
仲間も、ドローン越しの視聴者も、一瞬息を飲んで声を失った。
《!?!?!?》
《今の何????》
《支援職がワンパンで魔物粉砕したぞ!?》
《リプレイくれ、リプレイ!!》
「……え、今の、素手だよね?」
亮介が呆然とした声を漏らす。
「嘘でしょ……前に見たときより数倍……いや、桁違いじゃない?」
杏奈が目を見開く。
「当たった部分が……爆発したな」
村上は槍を下ろし、ただ唖然とした顔で頷いた。
真由は冷静を装おうとしたが、声がわずかに震えていた。
「……莉理香さん、今のは……」
莉理香はわずかに困ったように、しかし静かに答えた。
「……ちょっと、力が乗りすぎました」
再び沈黙。
その直後、チャット欄が爆笑と動揺で埋め尽くされた。
《“ちょっと”の威力じゃないwww》
《秘密兵器じゃん》
《これもう救護じゃなくて破壊神》
《いやいやいや、支援職だろ???》
仲間たちの視線が一斉に集中する。
亮介が真顔で切り込んだ。
「……説明、してもらえる?」
「そうそう! なんでそんな威力に?」
杏奈も前のめりで詰め寄る。
莉理香は少し考え、そして静かに答えた。
「……重くしてみました」
ぽかん、と空気が止まる。
「……は?」
「いやいやいや、それ説明になってないだろ」
「重くしたら強くなる……? いや確かに理屈はそうだけど……」
仲間が混乱して頭を抱える一方、コメント欄は爆速で流れ続けた。
《????》
《重くしてみましたwww》
《意味わからんけど結果はわかる》
《ただの質量兵器だった》
莉理香はふと、腕当てを外して差し出した。
「試してみますか?」
受け取った亮介は、途端に顔を歪める。
「っぐ……!? な、なんだこれ!……これだけで十キロ以上あるだろ」
思わず腕が沈み、床に落としかける。
「そんなのを両腕両脚と胴に……?」
全員の顔に同じ答えが浮かぶ。――そりゃ爆散する。
だが当の本人は真剣に装備を直し、淡々と告げた。
「……攻撃を受けて吹き飛ばされるのが嫌で。重さがあれば、地面に踏ん張れるので」
――再び静寂。
「……はぁぁぁ!?」
杏奈が叫び、亮介が頭を抱える。
「いや、普通は回避するんだよ!」
「吹き飛ばされないために“重くする”って……それ発想が逆でしょ!」
「避ける気ゼロかよ!!」
仲間たちは総ツッコミ。
ドローン配信のコメントも大荒れだ。
《吹き飛ばされるの嫌だから重くしたwww》
《発想のベクトルがおかしい》
《タンク理論の真逆で草》
《避けるって概念捨ててるw》
莉理香はきょとんとした顔で首を傾げる。
「……だって、その方が安定するので」
真剣そのものの言葉。
その瞬間――仲間も視聴者も、誰もが一斉に悟った。
――この救護枠、やっぱりただの救護じゃない。
***
魔物を粉砕した余波で、通路の霧がまだ薄く漂っていた。静まり返った空気の中で、最初に声を発したのは後衛の真由だった。
「……でも、莉理香さん」
彼女は矢筒を軽く押さえながら、慎重に言葉を選んだ。
「その……合気道、でしたよね。以前見せてもらった動き、すごく綺麗に回避してたはずです」
「ああ」
村上も頷き、思い出すように槍を軽く揺らす。
「前に一緒に行動したとき、あの大型相手に軽やかにいなしてただろ。今回だって、つけてるその装備……普通なら動けるはずないのに、全然遜色なかったじゃないか」
亮介がぽんと手を打つ。
「そうだ。さっきまで結界張ったりヒールしたり、完璧な支援してたろ? あの動きに“重さ”なんて微塵も見えなかった」
杏奈も腕を組み、難しい顔になる。
「……つまり、本気出せば普通に避けられるんだよね? それなのに、あえて重くする理由が……」
莉理香は仲間の視線を受け、ほんの一瞬だけ考え込んだ。
やがて、静かに口を開く。
「はい。避けることもできます。ですが……」
言葉を探すように視線を落とし、拳を握る。
「自分の思った位置から弾かれると、支援がやりにくいんです。結界やヒールは、仲間の位置を基準に組み立てていますから」
――沈黙。
「…………」
「…………」
湿った通路に、魔素の霧がゆらめくだけ。仲間たち全員が同時に言葉を失っていた。
「……いや、それは、そうなんだけど」
亮介が頭を抱え、思わず天井を仰ぐ。
「理屈としては正しいよ? 正しいんだけどさ……!」
「普通は“避けてから支援”だろ……」
村上が苦笑まじりに首を振った。
「それを“避けないで支援位置キープ”のために重装化って……」
杏奈は額を押さえ、深いため息をつく。
ただ一人、真由だけは冷静に呟いた。
「……ある意味、合理的、なのかもしれないですね」
ドローン配信のコメント欄も、仲間と同じ反応で埋まっていた。
《それはそうwww》
《理屈はわかる、わかるんだけどw》
《避けられるのに避けない選択肢》
《支援職の思考回路がバグってる》
莉理香は小さく首を傾げ、真剣なままの声で言った。
「……やっぱり、おかしいでしょうか?」
仲間たちは顔を見合わせ――そして一斉に叫んだ。
「おかしいよ!!!」




