第18話 壊れない重り、歩く質量兵器
午後、協会の装備課応接室。
整然と並んだ図面と、切削後の金属片が発する独特の匂いに満ちた空間。冷ややかな蛍光灯の光が反射し、部屋はどこか実験室のような硬質さを帯びていた。
莉理香は椅子に腰を下ろすと、胸元の白衣を正すように姿勢を正し、真剣な表情で口を開いた。
「……先日、鉄製の重りを付けて動いてみました」
向かいの机で資料を整えていた担当技官が、手を止める。
三十代半ばほどの男。白衣に近い作業着を羽織り、眼鏡の奥の瞳は研究者特有の鋭さを湛えている。だが次の瞬間、その瞳が驚きに揺れた。
「今なんと……? あれは六〇キロを超える試作のはずですが」
「はい。普通に動けました」
莉理香は淡々と告げ、少し気まずそうに唇をゆるめた。
「むしろ、安定して戦いやすいくらいで」
その言葉に、技官はペンを取り落としかけた。カチリと机に転がる小さな音が、彼の動揺を代弁する。
「……そうですか。まるで、錘をつけている自覚がないように聞こえましたが……」
驚きと戸惑いが入り混じった声。だがすぐに眉根を寄せ、冷静を装うように眼鏡を押し上げる。
「しかし、タングステン鋼そのものでは……おそらく、実用になりません」
莉理香は首を傾げた。
「……壊れやすい、ということでしょうか?」
「はい。タングステンは非常に重く、硬い金属です。しかし、その硬さゆえに靭性が乏しい。強い衝撃を受ければ欠ける。防具に必須の“しなり”がないのです」
技官の声は真摯で、言葉の一つひとつに現場を知る者の重みがあった。
「もし衝撃を分散できなければ、砕け散る危険がある。ですから――」
彼は小さく息を吐き、ノートを取り出すと、走り書きで数式と素材の候補を列挙していく。
「現実的には、ニッケルや鉄を混ぜて合金化する。これで靭性を補い、割れにくくする。さらに……」
一度、言葉を切り、莉理香をまっすぐに見た。
「魔素コーティングを施せば、衝撃を金属全体に流せます。重さを保ったまま、破断しにくくなるはずです」
「……魔素コーティング」
莉理香は呟くように復唱した。
「ええ。ご安心ください。もちろん防御性能も付随しますが……」
技官は小さく苦笑した。
「これは、あくまで“壊れない重り”です。防具というより、ただの質量塊を身に着ける装置になりますよ」
彼の視線には責める色も、疑う色もなかった。ただ純粋な研究者の探究心。
なぜ目の前の新人と思しき若い女性が、こんなものを必要とするのか
――理解できないが、確かに彼女は本気だ。
莉理香はその視線を受け止め、小さく目を伏せ、そして静かに頷いた。
「……それで十分です」
竜核のことは、口に出すわけにはいかない。
ただ「重さが欲しい」という一点のために。彼女は合金と魔素で作られる質量塊を望んでいる。
応接室に再びペン先の走る音が響く中、莉理香の胸の奥では、竜核がわずかに震えていた。
***
数週間後。
協会装備課の研究室に、ようやく完成した試作品が運び込まれた。
「……これが、合金化と魔素コーティングを施した試作です」
担当技官が両手で抱え、慎重に台座へ置く。金属光沢の奥で淡い光がゆらりと揺れ、魔素加工の痕跡を示していた。無骨なプレートに見えるが、ただの鉄とは明らかに質が違う。
「鉄の比じゃない重さです。正直、人間が扱うものじゃありませんが――あなたなら、動けるかもしれない」
技官の声音には戸惑いと期待が混ざっていた。
莉理香は静かに頷き、順に腕、脚、そして胴へと装着していく。最後の留め具を締めた瞬間、足元に「ゴン」と低い音が響き、床板がわずかに震えた。総重量は一二〇キロを超えている。
「……どうですか?」
技官が恐る恐る問いかける。
「ええ、大丈夫です」
莉理香はすっと立ち上がり、軽く腕を回し、足を踏み込んでみせた。
動きに歪みはなく、むしろ先日よりも安定しているように見えた。
「……本当に、ただの重りなのに」
技官は思わず笑った。
「面白い。これは武装じゃなくて質量の増設だ。なのに、あなたにだけは武器になる」
***
訓練室に移動すると、天井から吊られた新しいサンドバッグが用意されていた。前回の反省から、分厚く補強し、二重鎖で吊るされた特注品だ。
「三分は持たないと思います。ですので――一撃だけ、お願いします」
技官が眼鏡を押し上げる。その声音は実験者の冷静さと、一抹の恐怖を帯びていた。
莉理香は深く息を整え、拳を握り込む。
そして――
ドンッッッ!!!
凄絶な轟音。
サンドバッグが一瞬で弾け飛んだ。中の砂が爆ぜるように飛散し、残骸は裂けて宙を舞う。補強された鎖すらねじ切れ、天井から火花を散らした。
訓練室に静寂が落ちる。
「……は、はい。一撃で破壊、ですね」
技官は震える手で記録を取った。
だがその瞳は恐怖よりも、純粋な興奮に光っていた。
「単純に質量を乗せただけで、ここまで異常な結果が出るとは……!」
「俺も試していいか?」
腕力自慢の山崎が手を挙げる。
「構いませんが……動ける保証はありませんよ」
技官が苦笑しながら頷く。
技官が苦笑して頷くと、山崎は気合を入れて装備を装着した。
だが――立ち上がった瞬間、膝ががくりと揺れ、呼吸が荒くなる。
「……っ、重っ……!」
一歩ごとに床板が軋み、拳を振ろうにも腕が引きずられて鈍い。
「……歩くだけで精一杯だな」
山崎は苦笑しながら装備を外した。
「やはり、あなた専用ですね」
技官は記録用紙を閉じ、真剣な声で告げた。
「これは武装ではありません。ただの壊れない重りです。……ですが、あなたにとっては最良の武器でしょう」
莉理香は静かに頷き、重みを確かめるように拳を握り込んだ。
――重さが力に変わる感覚。
竜核の存在を隠したまま、胸の奥で小さく笑みを噛み殺す。
***
サンドバッグが吹き飛んだ映像は、訓練室のドローンにより当然ながら自動記録されていた。翌日、救護課の休憩室。
「……見たか、あれ」
新人二人がタブレットを覗き込み、小声で騒ぐ。
「ただのサンドバッグ破壊じゃないだろ。鎖まで吹き飛んでるし」
「重量装備って聞いたけど……あれ、本当に防具か?」
三浦が通りがかりにため息をつく。
「あなたたち、そんなに声をひそめるなら、いっそ本人に聞いてみたらどう?」
「えっ、いや、それは……」
「怖いから無理」
小声で笑いが広がる。
***
数日後。
協会の内部ネットワークに上がった映像が、なぜか一般掲示板にも転載されていた。
《救護課の新人、物理で全て解決してて草》
《医療(物理)ここに極まれり》
《武装じゃなくて重りで強くなるってどういう理屈??》
《支援職のはずがサンドバッグ破壊で草》
コメント欄は騒然となり、「人間ハンマー」「歩く質量兵器」など、妙なあだ名までつけられていた。
救護課の高村が額を押さえ、呻く。
「これでまた“救護課に怪物がいる”って噂されるな」
技官が横で眼鏡を直し、淡々と答える。
「いいじゃないですか。あれは“面白いデータ”ですよ」
「面白いデータで済むのかよ……」
一方その頃――
当の本人である莉理香は、救護課の診療室で怪我人の処置に追われていた。
ネットでの騒ぎなど露ほども知らず、ただ真剣に包帯を巻き、声をかける。
「大丈夫。すぐに歩けるようになりますから」
その姿はどこまでも「救護員」だった。
だが、外の世界では着実に、彼女をめぐる噂が広がりつつあった。