表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/52

第18話 壊れない重り、歩く質量兵器

 午後、協会の装備課応接室。

 整然と並んだ図面と、切削後の金属片が発する独特の匂いに満ちた空間。冷ややかな蛍光灯の光が反射し、部屋はどこか実験室のような硬質さを帯びていた。


 莉理香は椅子に腰を下ろすと、胸元の白衣を正すように姿勢を正し、真剣な表情で口を開いた。


「……先日、鉄製の重りを付けて動いてみました」


 向かいの机で資料を整えていた担当技官が、手を止める。

 三十代半ばほどの男。白衣に近い作業着を羽織り、眼鏡の奥の瞳は研究者特有の鋭さを湛えている。だが次の瞬間、その瞳が驚きに揺れた。


「今なんと……? あれは六〇キロを超える試作のはずですが」


「はい。普通に動けました」

 莉理香は淡々と告げ、少し気まずそうに唇をゆるめた。


「むしろ、安定して戦いやすいくらいで」


 その言葉に、技官はペンを取り落としかけた。カチリと机に転がる小さな音が、彼の動揺を代弁する。


「……そうですか。まるで、錘をつけている自覚がないように聞こえましたが……」


 驚きと戸惑いが入り混じった声。だがすぐに眉根を寄せ、冷静を装うように眼鏡を押し上げる。


「しかし、タングステン鋼そのものでは……おそらく、実用になりません」


 莉理香は首を傾げた。


「……壊れやすい、ということでしょうか?」


「はい。タングステンは非常に重く、硬い金属です。しかし、その硬さゆえに靭性が乏しい。強い衝撃を受ければ欠ける。防具に必須の“しなり”がないのです」


 技官の声は真摯で、言葉の一つひとつに現場を知る者の重みがあった。


「もし衝撃を分散できなければ、砕け散る危険がある。ですから――」


 彼は小さく息を吐き、ノートを取り出すと、走り書きで数式と素材の候補を列挙していく。


「現実的には、ニッケルや鉄を混ぜて合金化する。これで靭性を補い、割れにくくする。さらに……」


 一度、言葉を切り、莉理香をまっすぐに見た。


「魔素コーティングを施せば、衝撃を金属全体に流せます。重さを保ったまま、破断しにくくなるはずです」


「……魔素コーティング」


 莉理香は呟くように復唱した。


「ええ。ご安心ください。もちろん防御性能も付随しますが……」


 技官は小さく苦笑した。


「これは、あくまで“壊れない重り”です。防具というより、ただの質量塊を身に着ける装置になりますよ」


 彼の視線には責める色も、疑う色もなかった。ただ純粋な研究者の探究心。

 なぜ目の前の新人と思しき若い女性が、こんなものを必要とするのか


 ――理解できないが、確かに彼女は本気だ。


 莉理香はその視線を受け止め、小さく目を伏せ、そして静かに頷いた。


「……それで十分です」


 竜核のことは、口に出すわけにはいかない。

 ただ「重さが欲しい」という一点のために。彼女は合金と魔素で作られる質量塊を望んでいる。


 応接室に再びペン先の走る音が響く中、莉理香の胸の奥では、竜核がわずかに震えていた。


***


 数週間後。

 協会装備課の研究室に、ようやく完成した試作品が運び込まれた。


「……これが、合金化と魔素コーティングを施した試作です」


 担当技官が両手で抱え、慎重に台座へ置く。金属光沢の奥で淡い光がゆらりと揺れ、魔素加工の痕跡を示していた。無骨なプレートに見えるが、ただの鉄とは明らかに質が違う。


「鉄の比じゃない重さです。正直、人間が扱うものじゃありませんが――あなたなら、動けるかもしれない」


 技官の声音には戸惑いと期待が混ざっていた。

 莉理香は静かに頷き、順に腕、脚、そして胴へと装着していく。最後の留め具を締めた瞬間、足元に「ゴン」と低い音が響き、床板がわずかに震えた。総重量は一二〇キロを超えている。


「……どうですか?」


 技官が恐る恐る問いかける。


「ええ、大丈夫です」

 莉理香はすっと立ち上がり、軽く腕を回し、足を踏み込んでみせた。

 動きに歪みはなく、むしろ先日よりも安定しているように見えた。


「……本当に、ただの重りなのに」


 技官は思わず笑った。


「面白い。これは武装じゃなくて質量の増設だ。なのに、あなたにだけは武器になる」


***


 訓練室に移動すると、天井から吊られた新しいサンドバッグが用意されていた。前回の反省から、分厚く補強し、二重鎖で吊るされた特注品だ。


「三分は持たないと思います。ですので――一撃だけ、お願いします」


 技官が眼鏡を押し上げる。その声音は実験者の冷静さと、一抹の恐怖を帯びていた。


 莉理香は深く息を整え、拳を握り込む。

 そして――


 ドンッッッ!!!


 凄絶な轟音。

 サンドバッグが一瞬で弾け飛んだ。中の砂が爆ぜるように飛散し、残骸は裂けて宙を舞う。補強された鎖すらねじ切れ、天井から火花を散らした。


 訓練室に静寂が落ちる。


「……は、はい。一撃で破壊、ですね」


 技官は震える手で記録を取った。

 だがその瞳は恐怖よりも、純粋な興奮に光っていた。


「単純に質量を乗せただけで、ここまで異常な結果が出るとは……!」


「俺も試していいか?」


 腕力自慢の山崎が手を挙げる。


「構いませんが……動ける保証はありませんよ」

 技官が苦笑しながら頷く。


 技官が苦笑して頷くと、山崎は気合を入れて装備を装着した。

 だが――立ち上がった瞬間、膝ががくりと揺れ、呼吸が荒くなる。


「……っ、重っ……!」


 一歩ごとに床板が軋み、拳を振ろうにも腕が引きずられて鈍い。


「……歩くだけで精一杯だな」


 山崎は苦笑しながら装備を外した。


「やはり、あなた専用ですね」


 技官は記録用紙を閉じ、真剣な声で告げた。


「これは武装ではありません。ただの壊れない重りです。……ですが、あなたにとっては最良の武器でしょう」


 莉理香は静かに頷き、重みを確かめるように拳を握り込んだ。

 ――重さが力に変わる感覚。

 竜核の存在を隠したまま、胸の奥で小さく笑みを噛み殺す。


***


 サンドバッグが吹き飛んだ映像は、訓練室のドローンにより当然ながら自動記録されていた。翌日、救護課の休憩室。


「……見たか、あれ」


 新人二人がタブレットを覗き込み、小声で騒ぐ。


「ただのサンドバッグ破壊じゃないだろ。鎖まで吹き飛んでるし」

「重量装備って聞いたけど……あれ、本当に防具か?」


 三浦が通りがかりにため息をつく。


「あなたたち、そんなに声をひそめるなら、いっそ本人に聞いてみたらどう?」


「えっ、いや、それは……」


「怖いから無理」


 小声で笑いが広がる。


***


 数日後。

 協会の内部ネットワークに上がった映像が、なぜか一般掲示板にも転載されていた。


《救護課の新人、物理で全て解決してて草》

《医療(物理)ここに極まれり》

《武装じゃなくて重りで強くなるってどういう理屈??》

《支援職のはずがサンドバッグ破壊で草》


 コメント欄は騒然となり、「人間ハンマー」「歩く質量兵器」など、妙なあだ名までつけられていた。


 救護課の高村が額を押さえ、呻く。


「これでまた“救護課に怪物がいる”って噂されるな」


 技官が横で眼鏡を直し、淡々と答える。


「いいじゃないですか。あれは“面白いデータ”ですよ」


「面白いデータで済むのかよ……」


 一方その頃――

 当の本人である莉理香は、救護課の診療室で怪我人の処置に追われていた。

 ネットでの騒ぎなど露ほども知らず、ただ真剣に包帯を巻き、声をかける。


「大丈夫。すぐに歩けるようになりますから」


 その姿はどこまでも「救護員」だった。

 だが、外の世界では着実に、彼女をめぐる噂が広がりつつあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
サンドバッグって最初に輸入したひとが間違って砂詰めてたから(固まって手を痛めたそうな)そんな名前になっちゃったけど普通は布とか水とか柔らかいものを詰めるんだそうな それはそれとして彼女なら砂どころかた…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ