第15話 力の本質
自室の灯りを落とし、ベッドの端に腰掛けた莉理香は、スマホを手にメモを開いた。指先が画面を滑り、「空気を集める」と入力して立ち止まる。
(風を起こすのも、熱を集めるのも……一見違う現象。でも、どちらも“運動エネルギー”を扱っているんじゃない? 空気の流れは分子の移動。熱はその分子の振動。結局、根っこは同じかもしれない)
彼女は唇を噛んだ。前にラギルが「風は熱を集めることにも通じる」と言ったのを思い出したのだ。
(つまり……風を操るってことは、運動の形を選んでいるだけ? なら、集め方を変えれば“熱の塊”を作れるかもしれない)
『……ほう!』
胸の奥の竜核が震え、ラギルの声が響いた。その調子は、まるで目を丸くしているかのように楽しげだった。
『莉理香、今の考えは面白いぞ! 風と熱を別物と思っていたが……確かに“粒の動き”をまとめているだけなら理屈が通る。わしは感覚で操っていたからな、理屈は考えたこともなかった!』
「……理屈が合ってるかはわからないけど」
苦笑を零しながらも、莉理香の胸は小さな高揚に熱を帯びていく。
『試してみるがいい。風を寄せるのではなく、“動き”そのものを束ねるのだ!』
言われるまま、彼女は深く息を吸い込んだ。
掌を前に差し出し、意識を集中させる。
すると――ゆるゆると部屋の空気が動き、掌の前に球状の揺らぎが生まれた。まるで透明な風船のように、風の塊がそこに在る。
(これが……空気そのものを集めた“風の球”)
次に、分子の動きを意識する。流れではなく、振動そのものを。
頭の中でスイッチがカチリと切り替わるように、理解が形を成した。
瞬間――掌に熱が走った。
赤い燐光を孕んだ小さな球体が浮かび上がり、じりじりと空気を歪ませる。
「……これが、熱の球……」
驚きに言葉を失う莉理香を、ラギルが愉快そうに笑い包んだ。
『やったな! 運動量を束ねた結果だ。周囲の粒子から奪った分、ここに熱が宿った。理屈も実践も見事じゃ!』
胸が震え、鼓動が速まる。
再び、手を広げ、掌に風を集める。
今までは、そよ風程度しか生まれなかった。だが理屈を理解した今は違う。
――ガッ!
部屋の静寂を軋ませるほどの勢いで、空気が掌に吸い寄せられた。
今までの比ではない、濃密で高圧縮された空気の塊。
「っ……!」
思わず息を呑む。
それは、ただの風でも熱でもない。自分の意思で掴んだ“力”そのものだった。
『良い……! その調子だ莉理香! 人の知識と竜の感覚を合わせれば、まだまだ高みに届くぞ!』
ラギルの声が熱を帯びて胸に響く。
莉理香は掌の球体を見つめ、静かに頷いた。
掌に生まれた“風の球”。
透明なはずなのに、そこだけ空気が濃く集まっているのが肌でわかる。
何の気なく力を緩める。
――次の瞬間。
バシュンッ!
耳を打つ破裂音と共に、部屋じゅうを突風が駆け抜けた。
机の上のノートが宙に舞い、ベッドのシーツがめくれ上がり、カーテンが悲鳴のようにばさばさとはためく。スマホすら一瞬浮かびかけ、慌てて掴み直した。
「ちょっ、やばっ……!」
散乱する紙や小物を追いかけて右往左往する。髪も顔に張り付き、部屋は嵐のあとみたいにめちゃくちゃだ。
『ははははっ! よいぞ莉理香! 見事に“解き放った”な!』
胸の奥でラギルが愉快そうに笑う。
当の本人は笑い事ではなく、溜息をつきながらノートを拾い集めた。
「……うっかり解いたらこれって、被害出ちゃうじゃん……」
散らかった部屋を見渡し、額に手を当てる。
けれど同時に――その力の確かさに、背筋をぞくりとさせる自分もいた。
***
次に莉理香が試したのは――運動エネルギーの制御だった。
分子の動きを奪い、それを束ねて、一点に押し込める。
瞬間、空気が揺らぎ、視界がわずかに霞む。
吸い込む息だけで喉が焼けつくように熱い。
同時に、背中を撫でるような冷気が部屋全体に広がった。
奪われた熱が消えた壁や床は、まるで凍えたように冷え込み、肌を刺す寒気を生み出していた。
「……っ、これ、やば……」
掌に浮かぶ“見えない球”から、ジジジと電線が焦げるような音が漏れる。
指先をかすめただけで、皮膚が焼け爛れる未来が鮮明に浮かび、莉理香は思わず手を震わせた。
その恐怖を愉快そうに眺めるように、胸の奥でラギルが笑う。
『ははは! 良いぞ莉理香。そなたは竜の核に理を与えた。
風を器とし、熱を束ね、己の力を自在に扱い始めている!』
掌の前に漂う“見えない熱球”。
顔を近づければ頬を焼くほどの熱が漂っているのに――当の手のひらはまるで無傷だった。
「……やけどしない、のか」
医学的に考えれば異常だ。
皮膚のタンパク質は六十度を超えれば変性し、組織は損傷するはず。
だが、掌の皮膚は赤くもならない。痛みすらない。
(これ……無意識に防御してるんだ。熱という物理現象に対して、私の竜核が常に“上回る力”で護っている)
ぞわり、と背筋に寒気が走る。
力を制御できているつもりで、本当は常に“怪物”としての防御が働いている――。
けれどその一方で、恐怖と同じくらいの安心感もあった。
この力なら、誰かを救うときに自分が焼け焦げる心配はない。
危険の中で動き続けられる。
胸の奥でラギルが笑う。
『そうだ、莉理香。竜は熱も刃も、己より弱きものには負けぬ。
そなたの肉体はすでに、人の基準では測れんぞ。』
「……怖いけど、頼もしいな」
思わず苦笑いが漏れる。
***
掌に生じた見えない熱の塊を、莉理香はじっと見つめた。
ただ“持っている”だけなら簡単だ。だが――これを、身体から離すことはできるだろうか。
「……離れろ」
意識を向けた瞬間、熱球がふわりと浮き上がった。
数十センチ、掌から離れても形を保ち続けている。
空気が歪むように揺らぎ、周囲の温度がわずかに下がった。
「……ほんとに、動いた」
恐る恐る手を振ると、それに連動するように熱球も滑る。
エネルギーの塊。
莉理香は窓を開け、十分な距離だけ熱球を離し、そこで制御を手放した。
次の瞬間、力を解放する。
――ゴッ。
圧縮された熱がほどけ、空気が弾けた。
音とともに風圧が走り、周囲に白い煙が散った。
煙というより、急激な温度変化で水蒸気が凝縮したものだ。
「これは危ないね……」
莉理香は呆然と呟く。
『莉理香! やりおったな!』
ラギルの声音は、歓喜と興奮で震えていた。
『これは誰かの真似事ではない。自らの竜核を媒介に、己の知恵と感覚で編み出した力!
人は授かりし術を使いこなす。竜は本能のままに力を振るう。
だがそなたは――両方を重ねた!』
「……私が、作った……スキル?」
『スキル、だと? ふはは! その言葉では浅すぎる!
これは“創造”よ。
竜の力に、人の理を与えたことで、新しい術が生まれたのだ!』
莉理香は息を呑んだ。
竜の力と、人の知恵。
自分の中で、二つが重なった。
『もっと試せ! もっと探れ!』
まるで子供のように、未知に胸を膨らませる声。
その好奇心に、莉理香の胸もまた震えた。
(……ラギルは、本当に研究者気質だよね)
思わず苦笑が漏れる。