第12話 護身術ってなんですか?
繁華街の居酒屋。
久々に顔を合わせた高校時代の同期たちが円卓を囲み、ジョッキを打ち合わせていた。笑い声の中、懐かしい空気が広がっている。
ふと、男のひとりがニヤリと口を開いた。
「なあ莉理香、最近ネットで見たぞ。首を――」
莉理香は慌てて手を上げる。
「待って、それ以上は言わないで」
その反応に、別の男が身を乗り出した。
「やっぱりあれ本人か!」
半笑いの男性陣と、興味津々の女性陣。視線が一斉に集まる。
「え、なにその話」
「配信の切り抜きで回ってきたんだよ。投げからの首蹴り抜き!」
「漫画の古武術みたいだったよな。正直、殺すための武芸って感じだった」
場を賑わすような感想に、莉理香は氷をかき回し、肩をすくめてみせた。
「……あれは護身の延長みたいなものだから」
しかし、男のひとりが即座に突っ込む。
「護身ってレベルじゃなかったぞ?」
胸奥でラギルの声が囁いた。
『護るためには、時にすべてを断ち切る必要がある』
(だからラギル、そういう物騒なフォローいらないってば……)
男性陣は笑いながらも、どこか居心地悪そうに腰を引いた。対照的に女性陣は頬を紅潮させ、目を輝かせている。
「カッコよすぎる……!」
「しかも色気あるし」
「わたしもその護身術習いたい!」
慌てて男性が制止する。
「いやいや、真似しちゃだめだって。骨とか、ほら……」
その言葉にかぶせるように、ラギルが低く笑った。
『骨は、折れてもまた繋がる』
(だからそういうのやめなさいって!)
テーブルの奥で、真顔になった同期の男がぽつり。
「……正直、あれ見たら告白とかできねぇわ」
間髪入れず、女性陣が一斉に声を上げる。
「それはあんたがヘタレなだけ!」
突っ込みが重なり、笑いが弾けた。
グラスが再び何度も触れ合う。温かな懐かしさの裏で――莉理香は胸の奥に、わずかな違和感を抱いていた。
この場の空気を壊すつもりはない。けれど、自分の力を知る人間が少しずつ増えていく。その感覚が、この先どう影響するのか――ほんの少しだけ、気になっていた。
***
終電前、居酒屋を出ると、夜風がほんのり冷たかった。
駅へと歩く途中、女性陣がこそこそと莉理香のそばに寄ってくる。
明るい声で最初に切り出したのは、世話焼き気質の 佐伯麻衣。
「ねぇ莉理香、今度さ……護身術教えてくれない?」
隣で頷いたのは、気配り上手な 藤井彩花。
「そうそう、あんな動きできる人、他にいないじゃん」
「え、私?」
莉理香が目を瞬かせると、麻衣は茶化すように笑った。
「しかもお医者さんでしょ? 倒してからすぐ治してくれそう」
莉理香は苦笑し、グラス代わりに持っていたペットボトルを軽く振った。
「いや、それはちょっと違う……」
冗談半分の会話の中にも、本気の熱が混ざっているのを感じる。
「最近、夜道で変な人が出たって聞いたし。覚えておいて損はないでしょ?」
彩花が真面目な声を差し挟む。
「動画で見た投げ技……あれって習えるの?」
「習えるけど、受け身ができないと危ないよ」
莉理香の答えに、麻衣は間髪入れずに言った。
「じゃあさ、次の休みにでも時間つくってよ!」
女性陣は半ば押し切るように、スマホを取り出してスケジュールを合わせ始めた。笑い声が夜道に響き、雰囲気は明るい。
――だが、その輪の少し後ろ。
一人だけ、笑いに加われない娘がいた。
中村紗季。
唇を固く結び、まるで足が地面に縫い付けられたかのように硬直している。視線は下に落ち、表情は凍りついたまま。
積極的に話していた何人かが、ふと紗季を横目に見る。だが、次の瞬間にはわざとらしく視線を逸らした。その仕草に、莉理香は胸の奥に小さな違和感を覚える。
(……みんな、あの子を守ろうとしてる。でも本人は言えない。事情を知ってるのは――きっと)
莉理香は自然な動作でスマホを取り出し、「予定を確認するね」と言いながら画面をなぞった。そのまま、麻衣へと短いメッセージを送る。
――〈彼女のこと、あとで少し教えてもらえないかな?〉
通知音とともに既読がつき、麻衣の横顔が一瞬こちらをかすめた。ほんのわずかに頷き、すぐに指を走らせる。
――〈この件は一人じゃなくて話したほうがいい。事情を知ってる子をもう一人加えるね〉
数秒後、新しいグループチャットが立ち上がった。主導権を握る麻衣と、短い返事を返す彩花。そのやりとりに、莉理香は小さく息を整える。
夜道のざわめきの中、スマホの光を見つめながら胸の奥で静かに頷いた。
『……賢明なやり方だな』
ラギルの低い声が、冷たい夜風に溶けて重なる。
(うん。ここからは、慎重に聞かなきゃいけない)
ただの飲み会帰りの道が、思いがけず秘密へと続く扉に変わろうとしていた。
***
その夜、帰宅してシャワーを浴びたあと。
スマホを手に取ると、同期三人とのグループチャットに新しい通知が光っていた。
〈麻衣〉:さっきの飲み会の帰り……護身術をお願いしたの、本当の理由を話させて。
〈彩花〉:軽口に聞こえたよね。でも違うんだ。
〈紗季〉:……私が、怖い目にあってて。
既読が瞬く。予想通りの内容に莉理香は息を整え、短く書き込んだ。
〈莉理香〉:怖い目って?
一瞬、入力中のマークが点いては消える。躊躇の跡。やがて紗季が打ち込んだ。
〈紗季〉:ここ一か月くらい、会社の帰りに……誰かにつけられてる。
〈紗季〉:最初は気のせいだと思った。でも三回。夜道で同じ足音。同じ香水の匂い。コンビニの角でスマホを向けられて……。
〈紗季〉:怖くて。電車も一人で乗れない。
短い文の連続に、画面越しでも震えが伝わる。
〈麻衣〉:私と彩花は一応ついて帰ったこともあるんだけど……相手が誰かはっきりは分からなくて。
〈彩花〉:だから、どうしたらいいのか正直分からなかった。警察に相談しても「実害が出ないと動けない」と言われて……。
莉理香は深く息を吸い、指を動かした。
〈莉理香〉:正直に聞くね。頼みたいのは“護身術”だけじゃないよね?
〈莉理香〉:具体的には“護衛”と“相手への対処”まで、私に頼んでる。違う?
画面が沈黙する。既読だけが並び、入力中マークが点滅しては消える。
やがて、麻衣が打った。
〈麻衣〉:……そう。巻き込みたくなくて、言えなかった。
〈彩花〉:でも、私たちだけじゃ守りきれない。
〈紗季〉:ごめんなさい……。
莉理香は、ためらわず返した。
〈莉理香〉:分かった。明日、時間をとって会おう。三人で。
〈莉理香〉:証拠や記録を揃えて、改めて整理する。警察がすぐ動けないなら、動ける手段を私たちで作らないと。
〈麻衣〉:……ありがとう。
〈彩花〉:ほんとに助かる。
〈紗季〉:ありがとう……。
やりとりを閉じると、莉理香はスマホを握りしめ、目を伏せる。
胸の奥――竜核が、ゆっくりと熱を帯びた。
『よく聞き出したな、莉理香』
(もう私自身の安全は気にしなくていい。私は守れるから)
『その通りだ。恐怖は人の行動を縛る。ならば、恐怖を刻め。壊さず、逃げ道を残して――な』




