第11話 首狩り医療職
倒れた魔物の首は、床に叩きつけられた瞬間にはすでに正しい形を失っていた。
余計な力みのない、あまりにも滑らかな動作だったからこそ、その異様さは際立って見える。
「……桐嶋さん……?」
弓を握っていた真由が、かすれた声を漏らした。驚愕と戸惑いが入り混じり、弦を引く指先が小さく震える。
「いや、撲殺医って……こういうこと……?」
杏奈が半笑いを浮かべながらも、視線を外せずにいた。軽口を叩いて場を和ませようとしたはずなのに、その声色の奥には確かな戦慄が滲む。
「投げて……防御不能の位置で首を蹴り折るとか……殺意高すぎて草」
亮介は剣を下げたまま、眉をひそめて呟いた。冗談めかした口調の裏で、目の奥には「人間離れ」という言葉が浮かんでいるようだった。
仲間たちが次々と口を開くが、そのどれもが恐れと畏怖を隠しきれない。
莉理香は、そんな視線を受けても淡々としていた。小さく肩をすくめ、何気ない調子で答える。
「一撃で止めた方が、安全ですから」
事もなげな口ぶり。だがその冷静さこそ、周囲の心にさらに鮮烈な印象を刻み込む。
頭上のドローンからは、リアルタイム配信のコメントが流れてきた。
《お医者さんとは……》
《これが医療行為(物理)》
《人型相手にやるムーブじゃないw》
《てかこの人救護役だよね?w》
騒然とした空気。盛り上がりというより、視聴者たちも状況を測りかねている様子だった。すでに切り抜きを作る気満々なのか、チャット欄には「秒殺」「殺意MAX」といったタグ案が並んでいく。
やがて村上が前線から戻り、苦笑を浮かべながら声をかけた。
「……あのさ」
落ち着いた声音だったが、そこには抑えきれない困惑が混ざっている。
「はい?」
莉理香が首を傾げると、村上は頭を掻きながら続けた。
「次の休憩で戦闘スタイルについて、ちょっと話そうか」
呆れ半分、感心半分。そんな複雑な感情が、その笑みにははっきりと表れていた。
***
小休憩の合図で、一行は壁際の安全地帯へと下がった。
冷たい石壁に背を預け、水筒を傾けると、さきほどの戦闘の余韻が自然と話題に上る。
「でさ……さっきの……あれな。投げて首、蹴り折ったやつ」
前衛の亮介が苦笑混じりに切り出す。だが、その目の奥には冗談だけでは済まない色が浮かんでいた。
「いや、あんなの格闘技の大会でも見たことないぞ。どこで習ったんだよ」
怪訝そうに眉をひそめる彼に、莉理香は小さく瞬きをして答える。
「合気道と……打撃系、ちょっとだけ」
「ちょっとであれ? 絶対ウソでしょ」
呆れ顔の杏奈が食い下がると、莉理香は少し考えてから言葉を継いだ。
「……中学からやってました」
「ほらやっぱり!」
真由が半ば諦めたように笑ったが、すぐ真顔に戻る。
「てかあの蹴り、防御不能だよな……」
頭上を飛ぶドローンの配信画面には、次々とコメントが流れ込んでくる。
《蹴り折り医師》
《投げられた時点で詰んでる》
《いや殺意が高い(褒めてる)》
《回復役(物理)》
《切り抜きタイトルは『救護医、ワンコンで首を折る』で決定》
亮介が水筒を口に運びながら笑った。
「正直、めちゃくちゃやりやすいんだよな。後ろが絶対崩れないっていう安心感がある」
「回復と結界は常に張ってるし、本人が鉄壁だし」
そこで杏奈が肩をすくめる。
「……っていうかさ、支援どうこう以前に、あの火力。もう火力枠で良くない?」
その言葉に、莉理香は軽く首をかしげた。
「私、救護枠ですよ?」
「……救護枠?」
リスナーのコメント欄も混沌としている。
《支援職の皮をかぶった戦闘職》
《この人に守られてる後衛陣、絶対安心感ヤバいだろ》
《というか敵からしたら悪夢》
ラギルの声が胸の奥でくぐもるように笑った。
『褒められているぞ。もっとやれば良い』
(褒められていると言っていいんだろうか?)
***
「……あ、リスナーから質問きてるぞ」
村上が端末を見て吹き出した。
《大会とかで人間相手にあんなことしてないよね?》
「してないです!」
莉理香は慌てて手を振る。
「人間相手にあんな全力出したら危ないに決まってるじゃないですか」
「だよなぁ……」
亮介が笑うが、真由が首を傾げた。
「でも、手加減しても……普通の人間なら壊れるんじゃ」
「……だから、やってないんです」
曖昧に答えると、コメント欄が一気にざわついた。
《やってない(やろうと思えばできる)》
《むしろ魔物が人間でなくてよかったやつ》
《合気道ってこんな殺意高いスポーツだっけ?》
「だから人間に対して殺意はないです!」
否定するも、仲間もリスナーも苦笑を隠さない。
「でも、大会に出てたら……」
「多分、秒で優勝だな」
「いや、秒で出禁だろ」
《出禁www》
《競技ルールが追いつかない》
《次回の模擬戦、競技用ルールでやってみてほしい》
胸の奥で、ラギルがくぐもった笑い声を漏らす。
『人間相手でも、一瞬で終わるだろう』
(だからそれをしないって言ってるの!)
その時、真由が画面を指差した。
「……あ、ちょっと待って。これ、知り合い?」
《合気道の大会で当たったことあります。あの時はすごく優しく投げられました》
莉理香は首を傾げる。
「……あー、もしかして地区大会の?」
《はい。でも今の映像見て……もし蹴られてたら俺の首とれてたのかなって考えたら震えてます》
「そんなことしませんってば!」
笑いながらも、仲間たちが小声で「首がとれる……」と繰り返している。
さらに、別のコメントが流れる。
《キック系のアマ大会で一瞬でKOされたことあるけど、今思えば手加減されてたのかも》
「ルールに従って普通にやっただけで……」
《普通(0.5秒で試合終了)》
《レフェリーが驚くやつだ》
《やっぱ支援職じゃなくて格闘職でしょ》
「いやいや、私は医療系です!」
必死に否定しても、コメント欄は「#首狩り医療職」で盛り上がっていた。
ラギルが最後にぼそりと呟く。
『首は折れると死ぬから大事にしろ。人も魔物も』
(最初から大事にしてるから!)
***
後日、この映像は当然のように切り抜かれた。
探索から戻った翌日、スマホを開くと通知が止まらない。
SNSのタイムラインは、例の戦闘シーンを何度もリピートする切り抜き動画で埋め尽くされている。
《【衝撃】支援職さん、ガチ格闘で魔物を即死させてしまう》
《医療系(物理)》
《#首狩り医療職 がトレンド入り》
「……え、なにこれ」
コメント欄は既に地獄だった。
《これ絶対格闘職》
《急所を一瞬で理解できるのはさすが医師》
《蹴りが美しすぎてスローで見たら余計怖い》
《魔物視点だとホラー映像》
《俺も合気道大会でやられたことある(優しかった)》
《優しい投げがこんな変化球持ってたとか聞いてない》
別のまとめサイトには「過去の対戦者証言集」が作られていた。
《投げられただけだけどあの時、俺死にかけてたんだなって》
《あの人が支援職って冗談でしょ》
「……なんで過去の大会まで掘られてるの」
『強き者の名は広がるものだ。喜ばしいではないか』
「いや、喜ばしくない!」
動画の再生数は数時間で数百万回を突破。
コメント欄には海外からの書き込みも混じり始めていた。
流れるのは、もはや恐怖よりも称賛の声だ。
《Please teach me that throw!》
《Is there a class change system? She’s clearly DPS now》
《Marry me》
『求婚されているぞ、よかったな』
「読まないで! ていうか通訳しないで!」
否定するエネルギーはとうに底を尽き、莉理香は観念してスマホを伏せた。
――首狩り医療職。どうやらこの呼び名は、しばらく付き合うことになりそうだ。