エピローグ 絶宴の星メリナ
皆さん、惑星メリナ編 最後までお付き合いいただき誠にありがとうございます。
エピローグもよろしくお願いします。
──雨上がりの夜気は冷たく澄み、山頂の岩肌を濡らしていた。遠くには、赤黒い炎と煙を上げるシャルロット邸。瓦礫の間にまだ燻る火が、夜空に小さな閃きを撒き散らしている。その奥には、王都アナリヴォの灯が燦然と広がっていた。芸術と科学の粋が重なり合い、無数の光が星空と競うようにきらめいている。メシエが生まれ、育った故郷。だが今、彼女はそのすべてを“焼け跡の向こう”から見下ろしていた。
冷たい風が頬を撫でる。メシエは俯き指先を握りしめた。爪が掌に食い込み、痛みだけが現実を確かめる術だった。雨粒が髪先から滴り落ち、顎を濡らしていく。
「ねぇ……ケイさん、アイさん。……私は……どうしたらいいの……? 死んだら……」
ケイは外套を翻し、夜空を見上げながら吐き捨てるように言った。瞳には古都の光が映り込み、その冷たさを隠さなかった。
「知らねえな。自分のことだろ」
「……わからない……わからないの……おしえてよ……」
メシエは必死に縋るが、答えは鋭かった。肩が小刻みに震え、握った拳が白くなる。
「嫌なら、死ぬのも一つだな」
「ケイ、それは──さすがに……」
アイが思わず口を挟む。
彼女の銀の髪が夜風に揺れ、瞳は炎を映して淡く光った。
「何がだ。濁したところで、現実は変わらない」
「それでも、彼女はただのヒトです……」
「…………黙ってろ」
「……はい」
静寂。
遠くの街のざわめきはここには届かず、ただ風と焦げた匂いだけがあった。
メシエは視線を落とし、唇を震わせた。
「……私が死んでも、誰も悲しまないから……」
ケイの横顔は変わらない。だが言葉は鋭く刺さる。
「誰かのためじゃなきゃ、生きれないのか? だったら、最初から誰も居ないお前に生きる意味はねぇ」
「楽になりたいか? なんねぇよ。なるわけがねぇ。終わった後に何かがあると思うな。ただ無に帰る。感じないだけだ、感じないということも、何も理解もできない……何も残らねえ」
「……わからない……」
「そうかよ。じゃあ、わからないまま死ぬのか。はっ……大したもんだな。何も知らず、諦めて、ただ消えるだけか……あの、初日と同じ目をしてるな。だったら、なんで足掻いた?」
メシエは声を失い拳を握り続けた。涙がぽたりと石に落ち、冷たく広がった。
ケイは小さく息を吐く。
「ふ~……オレも理由なんて知らね。ただ、オレは死ねなかったからな」
懐から小さな宝を取り出す。古びた輝きを秘めた鉱石。月光に照らされ、虹のような反射を放つ。
「これをお前に返す」
「え? これは……」
「レオンが報酬として、レース前にオレに渡した家宝らしいな」
「……うん……パパとママが大事にしていた。何で?」
その瞬間、アイの瞳が夜光を映した。頬を過ぎる風に揺れる髪が光を帯び、まるで星のように瞬いた。
「それは、貴女を拾った場所にあったそうです。この惑星には存在しない鉱物。私が知る限り、どの星の資料にも記録はありません。そして、硬度も密度も……信じられませんが」
ケイは短く目を細める。
「お前は……」
アイも続ける。
「貴女は……」
二人の視線が交わり、同時に頷いた。
「貴女は……少なくとも、二人の宝だった。私たちの存在意義はいまだにわかりませんが……貴女には生きる理由があったんです。ここから先は、貴女次第です」
ケイが肩を竦める。外套の裾が風に揺れ、影が長く伸びた。
「まー、お前はよくやったんじゃないか? 何も知らんただの人間がよ。オレたちの世界でな」
──そして……
『そして、三日三晩。彼女は泣き続けた。声も出ず、身体も動かず、ただ涙だけが流れた。私は理解した──“涙が枯れる”という現象が、本当に存在するのだと』
ケイの低い声が耳を裂いた。
「脱水症状だな。……でも、闘えたじゃねえか。死にたかったはずの癖に、まだ泣いてやがる。……なら、戦えるだろ」
メシエは涙に濡れた顔を上げた。頬は赤く、瞳はなお揺れていたが、その奥に小さな火が宿っていた。
「……うん……わたしは……“私”は、強くなりたい。誰かを守るとか、そんなことじゃなくて。守られなくてもいいくらいには強くなりたい」
アイは静かに頷く。指先がほんの一瞬だけメシエの背に触れそうになり、だが留められる。
「……では、一緒に行きますか?」
「はい……ううん。……うん! いいの?(いいよね?パパ、ママ……セシル)行きたい……ケイ……アイ……よろしくお願いします!」
ケイは鼻を鳴らす。口元にはわずかに疲労の影が見えた。
「……ふん……まぁ、死なないように死ぬ気になれ。オレはお前を守ってやれるほど余裕はないからな……」
続けて、髪をかきあげ気だるげに言い放った。
「そうだな、お前の復讐に付き合った報酬だが……お前が生き残った意味を見せてもらおう。それがいい……」
そして、明け方──エレイオスの陽光が街を照らす。焼け落ちたシャルロット邸。その向こう、王都にそびえる尖塔の影が朝霧に溶け、川面は白金の光を返す。街はなお光を放ち続けていたが、メシエにとってそれは懐かしさではなく、過去との訣別を突きつける光だった。
メシエはその光を見つめ、小さく呟いた。唇が震えていたが、声は確かに朝空へ届いた。
「……さようなら。私は強くなるよ」
その言葉は、朝霧とともに消えていった。
だが私は確かに記録する。
『檻を破り、翼を得ようとした一人の少女の声を』
そしてもう一人。
『彼はいつも死を突きつける。希望など語らず、ただ残酷な現実だけを与える。だがそれこそが、彼自身が“死ねなかった者”として歩んできた証だ。……ただ、いつもと違うのは、彼が私と出会ってから初めて、私以外を受け入れたという事。私はここに記録する、彼の在り方を、これからもずっと──』
一つの旅は終わり、そして誰も知らない場所で、新たな始まりを告げていた──祝宴の陰で、スカイラントレースの映像記録が静かに再生を始めていた。氷河崩壊の最中、奇跡はまさに奇なる出来事として、ある者たちの目に留まった。
新たなる旅立ちと共に、迫る影があった。




