記録93 星に残る檻―翼の形は皆違う
惑星メリナ編クライマックス。
──招かれ開いた扉の奥、黒い影が待っていた。
ジンマリウス・ヴァイゼル。脚を組み、薄い笑みを浮かべて玉座のような椅子に腰を沈めている。部屋には豪奢な装飾が並び、壁にかかる絵画や天井のシャンデリアが煌めいていたが、そのどれもが冷たく、威圧的な空気をまとっていた。
「来たか……小娘」
その声には喜悦が滲んでいた。
抹殺すべき標的が、自ら門を叩き、彼の手の中に転がり込んできたのだから。
「……どうして? どうしてなのですか」
メシエの声は震えていた。だが涙は流さない。
問いかけは、怒りでも悲しみでもなく、ただ純粋な疑問のように響いた。
「どうして……? 終わったことだ」
ヴァイゼルは諭すように言いながら、口元を歪める。
「お前の両親は大義のために糧となった。素晴らしい次代の幕開けのためにな。感謝しているとも」
「……セシルに言えますか、それを」
名を呼んだ瞬間、ヴァイゼルの笑みが深まる。
「セシルは知らん。真実は語る者次第、それだけのことだ。幼いころ共に育ったことなど、今やどうでもいい。我々はやらねばならぬことをやった。未来のためにな」
メシエは睨みつける。涙は出ない……ただ胸の奥に冷たい刃が生まれていた。
「勘違いするな、哀れな娘よ」
ヴァイゼルの声が低く響き渡る。
「お前はシャルロット家の実子ではない。どこで拾われたかも知れぬただの捨て子だ。初めからお前が我らと同じ世界で生きる道理はないのだ」
視界が歪み、耳鳴りが世界を満たした。
……う、そ……口元がそう動き……じゃないんだ……と心で念じた。
「真実だ」
膝が震え、頭が霧に包まれる。
「……さあ、決着をつけようか」
ヴァイゼルが腰から銃を抜き、冷たい銃口を突きつける。
──だが、光が横切った。
レーザーの閃光はメシエの頬をかすめ、彼女は反射的に腰を落とす。あり得ない光景にヴァイゼルの眉が跳ね上がる。
そして背後に、死の感覚。
メシエの背後にケイが現れ、寒気を感じ振り返ったヴァイゼルの眼前にはアイが立っていた。
「き……貴様ら……どうやってここに──」
アイの声は平坦だった。
「誰も、何も知りません」
ケイはヴァイゼルを見下ろし、冷たく告げる。
「ヴァイゼル。お前は幸せ者だな、死なずに済むんだ。……メシエに感謝しろ」
──あの時。
「……どうする?」
ケイの問いは鋭くも静かだった。
メシエの喉が詰まり、ようやく絞り出した声はかすれていた。
「許さない……許せない……殺したい……」
ケイは目を細め、低く言った。
「いいだろう……だが先にお前に言うことがある。レオンから聞いた話だ、それを聴いても復讐を望むなら付き合ってやる」
「……?」
「お前はシャルロット家の実子じゃない」
メシエの目が大きく揺れる。
「……ど、どういうこと……」
アイがケイの言葉を補足する。
「レオン様とメリサ様は子を授かれなかったのです。養子を取ることも考えたが、決断できずにいた。そんなある日……シャルロット家の宝石業を支える鉱山の奥、誰も入らぬ古い区画に一筋の光を見たそうです。その一角で、一人の幼子が見つかった」
アイはレオンの言葉を忠実に再現した。
「まだ一歳にも満たない子だった。泣き声もなく、石の間で眠っていた。誰の子かもわからず、なぜそこにいたのかも不明……。ですが、レオン様は“この子は星が与えてくれた奇跡だ。必ず守る”と、そうおっしゃって」
アイの声は淡々と続いた。
「メリサ様もまた“この子こそ、私たちの希望。この子がいるだけで私たちは救われる”と。それが貴女です」
メシエの胸の奥に忘れかけていた両親の微笑みが甦る。幼い頃、夜ごと抱きしめられ、額に口づけを受けた感触が一瞬で蘇り、息が詰まる。
「……嘘……うそですよね……」
声が震え視界が揺らぐ。
アイが静かに言葉を継ぐ。
「真実です。……でも、彼らにとって貴女は生きる希望になったのです。貴女が何故そこにいたのか? 捨てられたのか? それは解りません。そして、何故、今真実を告げる必要があったかもわかりません」
メシエは息を詰め、答えを探したが見つからない。心臓は早鐘を打ち、吐き出した言葉は掠れて消えた。
「…………ふふ……あははっ……わたしって何なの?」
「さーな……でも、そのまま死なずに、今こうしてるんだ」
ケイが短く吐き捨てる。
「あとは、やりたいようにやればいい」
しばらくの静寂、雨音だけが屋根を叩いた。そして、メシエは深い溜め息のあと一言発した。
「……じゃあ、わたしと契約してよ」
そして、今──メシエは顔を上げ、ヴァイゼルを見据えた。
「……ヴァイゼル様。……ううん、おじさん」
一拍の沈黙。
「セシルが、セシルがかわいそうだから……私は貴方とは違う。セシルを大切にしてください、そうでなければ必ずまた殺しに来ます」
メシエの声は震えていなかった。涙も流れなかった。ただ、決意だけがあった。
「ふはは、何を甘えたことを……どうするというのだ?」
ヴァイゼルはぬぐい切れない寒気を背後に感じたまま。一人の娘の、哀れで惨めな娘の回答を理解できずにいた。
彼女は背を向けケイと共に部屋を出ていった。その背中はわずかに震えていたが、涙は一滴も落ちなかい。
そして、ヴァイゼルはハッと後ろを振り返る。だがそこにアイの姿は無かった。
安堵の息を吐きすぐに発信機に手を伸ばす。
「誰か、誰かおら……」
──その瞬間、背後から白い手が触れた。
「んか……ッ!?」
アイが囁く。
「死は慈悲です。だから与えません」
彼女の指先から微細な振動が流れ込む。心臓部から発せられた鼓動、冷徹な精密さで焦点を絞り、組織を刻む波が体内を駆け巡った。骨を伝って耳の奥まで響くような異音が走り、頭蓋が熱を帯びる。視界が白く弾け、脳髄に稲妻が落ちたかのような衝撃が走る。
後頭部を貫いた瞬間、雷のような激痛が走る。小脳だけがミキサーにかけられるように震え、溶け、完全に機能を失った。
さらに、修復不能な身体にするためにアイは冷酷な手法を執る。頸部・胸部・腰部の脊髄に波が刻む。
焼け付くような痛みが走ったあと、急激な空虚が訪れた──ヴァイゼルの身体は意志を残したまま、動かない檻へと変わった。
あああああああ──……
声にならない叫びが喉を震わせ、空気を震わせることなく消えていく。口は開閉し、血管が裂けそうなほどに顔は赤く染まるが音にはならない。胸郭が必死に震え、空気を押し出そうとしても声帯は沈黙を保つ。呼吸はできているのに窒息するような錯覚が襲い、心臓の鼓動が耳の奥で爆ぜ続ける。生きようとする本能が暴れるが、肉体は一切応えない。焦燥と絶望が交互に押し寄せ、ただ静寂だけが周囲を満たしていった。
崩れ落ちた身体は仰向けに倒れ、天井を見上げる。震える視界の端に、冷たい瞳のアイが映る。
……なにを、した……
アイは淡々と告げた。
「貴方は今後一生、自分の声で話し、食べ、触れ、歩くことはできません。それでも生きています。それだけで救われる者もいますからね……簡単には死なせませんよ。……あとは貴方のご自由に」
──ヴァイゼルの視界は冷たい白に溶け、ただ天井だけが残った。それでも意識は残り、終わらぬ地獄は続く、いや始まった。
外では街のざわめきが遠くに霞み、ただ静寂だけがこの部屋を支配していた。
生きるために、みな必死なのだ。
生き方が違うだけで。




