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記録89 奇跡の奔流と軌跡の花束

アイが視線を向ける彼方の空でケイは飛ぶ。

──白一色の世界を突き破り、氷片と粉雪を纏った一つの影が螺旋を描いて飛び出した。その翼が、蒼を纏う閃光となって観客の視界に焼き付く。


【実況】

《エンヴァル・シグマだ!! セシル選手が氷霧を切り裂いて帰還した!!》


後に語られる。タリオ・ノヴァが続き、ガルム、サーシャ、ヨアンまでもが次々と雪嵐を抜け出したことを。全員が一様にインタビューで答えたのだ──あれは奇跡だった、と。


「セシルが羽ばたいた軌跡に導かれるように、引っ張られたんだ」


「勝利への渇望……いや、それ以上に生への執着を感じた」


そう証言した。


確かなことは何も分からない。まだ若い彼を、なぜそこまで奮い立たせたのか。それでもあの瞬間、すべての機体が完全に機能を失い、氷河の奔流に呑まれかけていたその時、見えざる道が開いた──それは、セシルが切り拓いた未来そのもの、そう誰もが理解した。



氷霧を突き破り、轟きが爆ぜる。だがその裏側には、機影一つごとに刻まれた絶望の瞬間があった。


タリオ・ノヴァ。

氷塊の奔流に機体を呑まれ、計器が真っ赤に染まる。骨の髄まで冷える恐怖に、初めて「終わり」を覚悟した。そのとき、視界の端に蒼の閃光が走る。まるで光条に引かれるように、操縦桿が勝手に持ち上がった気がした。


ガルム。

制御不能の重装機体が回転し、翼が氷壁に叩きつけられる。「ここまでか」と歯を食いしばった刹那、機体が何かに支えられるように進路を変え、氷の裂け目を抜けた。

「まさに天運としか言いようがなかった」


サーシャ。

通信はすでに途絶、風防を叩く氷片で視界は閉ざされる。目をつぶった瞬間、機体が風に乗るように跳ね上がり、目を開けた時には雪霞を抜け出していた。

「導かれた」としか思えなかった。


ヨアン。

心臓が張り裂けるほどの恐怖と昂ぶりの中で、機体は完全に失速していた。だが、奇妙なほど穏やかな力に背を押され、気づけば雪煙を超えていた。


──そして、中心にいたのはセシル=ケイ。視界は断片的で、血の匂いと轟音と耳鳴りが交錯する。


キィィィィ──……


「……ぐ、ぁ……」

脳を貫く痛みは意識を白く塗りつぶすが、それでも彼は落ちなかった。


フレア・ドライヴの暴走。氷河を裂き大地を揺るがす狂気の奔流。だがその波動は、次第にケイの五感を侵食し、逆に彼の領域と化していく。


歪む視界。血走った眼球の奥で、空間そのものが波紋のように広がっていく。まるで、彼自身がフレア・ドライヴを抑制しているかのように。


誰のためでもない。

ただ、生き延び、勝つために。


ケイの視界は氷と光に塗りつぶされていた。眼球の裏で無数の針が神経を刺し貫く。仮面の下で、歯が砕けるほど食いしばる。


…… ──ィィィィィィ──……


「……ぐ、ぅ、く……ッ」


血が口内に広がり、鉄の味が喉を焼く。意識が削られるごとに、逆に空間の密度を掴んでいく──目を閉じても視界は終わらない。氷河も、風も、粒子も、すべての軌跡が幾何学模様となって脳内に描き出される。


「……は、ぁ……」


心象の波紋が広がり、波動が彼を中心に弾かれる。抑えつけるのではない。まるで世界そのものが彼の呼吸に同調して沈黙していった。


その時、フレア・ドライヴが轟音を絶した。その破壊の力はケイの神経網に絡みつき、脳へと逆流する。彼は狂気の笑みを浮かべていた。


「……まだ、だ……その力、オレによこせっ……!!」


空間が裂け、抑え込まれ道が拓かれた。白の嵐を貫き外界へ。


観客席が総立ちとなり、旗が振られ、涙と大歓声が渦を巻く。誰もが「神話の瞬間」を見たと信じた。あの若きレーサーは死の奔流から生還し、導いたと。


「……神業だ」

「伝説の始まりを見た」

「彼は星に選ばれたんだ……!」


熱狂の声が交錯する。


だが、神経は焼け、骨の奥が震え、視界は溶ける。

それでも彼は笑んでいた。苦悶と狂気が混ざり合った、誰にも見せられない笑みで。


……奇跡? 笑わせるな


身体は破滅に向かっている。それが称賛と熱狂に塗り替えられることに皮肉すら覚えない。


優勝はいただく……


…… ──ィィインン──……


エンヴァル・シグマは嵐を抜け出し、蒼い軌跡を空へ刻む。

並走する四つの影。タリオも、ガルムもサーシャも、ヨアンも──誰一人として勝利を諦めてはいなかった。その眼差しは強く変わっていた。勝利への責任、重圧、恐怖……それらに縛られてきた心が一瞬にして解き放たれていた。


生き延びた。

まだ走れる。


操縦桿を握る手に震えはない。むしろ、胸を打ち抜く高鳴りが涙をにじませていた。誰にも見られることのないヘルメットの下で、それぞれに薄っすら溢れる涙。何が起きたのかは誰にも説明できない。それでも確かに、氷河の嵐を抜けた今、そこにあったのは「生きて走る歓び」だけだった。


死線の向こうで、彼らは初めて純然たる“レーサー”に還ったのだ。


観客席は揺れ動き、嗚咽と喝采が一つに溶け合った。天空から舞い降りた奇跡を、誰もが己の目で確かに見届けた。


やがて夜のとばりが静かに降りてゆく。遥か地平の向こうで恒星エレイオスが沈み、その余韻の赤金の光が会場を包み込む。軌跡に散った氷の結晶は、いまだ宙を漂い、星々の涙のように輝いていた。それは、走り抜けた者たちを迎える花束のようでもあった。


タリオ・ノヴァ、鋭く切り込む。

ガルム、重装の機体を揺らしながら猛追。

サーシャ、鋭敏な操舵で氷片を掻い潜る。

ヨアン、冷徹な集中力で隙を逃さない。


そして、その先頭を駆けるのは──セシルのエンヴァル・シグマ。


【実況】

《まだ終わっていない! 選手たちは互いを睨み、勝負の火花を散らしている!》


観客席からは喝采とも悲鳴ともつかぬ轟きが巻き起こった。


──ゴールは目の前だ!!


最期のリング、転位装置のゲートへ。勝利を賭け、命を賭け、星々の眼差しを浴びながら。彼らはただひとつの光へと駆け抜けていった。


【実況】

《チェッカーが振られた!》


──1位っ!! ジンマリウス・セシル・アルジェントォォォッ!!!!


観客席は揺れ動き、涙と喝采が一つに溶け合った。天空から舞い降りた奇跡を、誰もが己の目で確かに見届けた──今日という一日は、銀河の歴史に刻まれる。





…………そう、誰もが疑いなく信じていた。

ついにゴール、1位を決めた。

崩壊するコースの中を駆け抜け、導いた。

セシルと言う圧倒的な光を纏って。

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