記録82 天頂の懐―命を削る飛行
さぁ、セシル(ケイ)のレースが始まった!!
──第1レースとは空気が違っていた。
スタート直後から各機が翼をかすめ合い、わずかな隙を奪い合う。旋回、急降下、上昇──コースは今やドッグファイトの戦場と化していた。エンジンの咆哮と衝撃波が入り交じり、機体が空を切り裂くたびに風が悲鳴を上げる。観客席では悲鳴と歓声が交錯し、空気が震えていた。
【実況】
《第2レース序盤から熾烈な攻防!まずは第1レース終了時の総合上位5名、そして総合13位ながら操機術満点のジンマリウス・セシル──注目のポイント差をご覧ください! おおっと、ここで一気に接近!》
【解説】
《1位、サーシャ145点。2位、ヨアン140点。3位、ガルム134点。4位、タリオ133点。5位、カルディナ131点。そして13位セシルは118点──操機術は唯一の満点50!順位点33、チーム力15が響きました》
惑星メリナは圧倒的不利だったが、セシルは全200機中13位に食い込んだ。第1レースでは酷いジャミングでチーム戦術が封じられ、己の精神力と仲間を信じて走り切った。
第2レースの勝敗は純粋に空の上で決まる。
ケイは無言で操縦桿を握り、風を読む。機体の姿勢制御フィンが微細に動き、乱流を逃す。雇い主も裏の正体も関係ない──先にゴールする、それだけだ。
その眼は前方に“流星の魔女”サーシャを捉え、その独特な空間跳躍機動を予測する。背後の気配に“孤高の貴公子”タリオ──直線加速と正確なコーナリングで迫る気配。さらに高空には“空の処刑人”ヨアン、狙撃の間合いを計りながら旋回する影を感じ取る。
死角からの機影を生命の“気”の変化で先読みし、寸前でかわす。タリオの翼端すれすれを抜けると、広い空は狭路の格闘戦に変わり、摩擦が火花を散らす。衝撃波が弾け、ソニックブームが耳を裂く。
観客席の一部では総立ちになった者たちが声を張り上げ、「抜けーッ!」と叫び、スタンド全体が波打つように揺れた。
ケイは視線を逸らさず、背後からの圧力を躱して再び前方へ。直感は淡く警鐘を鳴らす──誰かが仕掛けてくる。
後方ではガルムが戦鬼のごとき飛行で敵を弾き飛ばし、カルディナが共鳴音とともに死角へ滑り込み、ヨアンが障害物を撃ち落とし、タリオが隙を突く。
それぞれの機体が特性を生かし、空域の奪い合いを繰り広げる。観客席上空のホログラムモニターには順位が激しく入れ替わる様が映し出され、数字そのものが戦っているかのようだ。
モニターの変動に合わせて観客席から「行け!」「躱せ!」と絶叫が飛び交い、「抜かれた!?いや、また抜き返した!」とどよめきが広がる。
ヨアンは狩人のような眼で白い機体を見据え呟く。
「第1レースで俺の狙撃を受けてもなお……立ちはだかるか」
その声は誰にも届かず、風切り音に消えた。
──街路が閃光の帯と化し、ゼルグラードの痕跡を一蹴して“天頂の懐”へ。
ケイは推力全開で垂直に近い急上昇。機体がきしみ、視界が白んでいく。胸郭を押し潰すような重圧が全身を圧迫し、呼吸が浅くなる。姿勢制御AIが風向を解析し、ノーズを数度傾けた瞬間、一気に雲海を抜け、陽光の中へ。そこが最高高度のチェックポイントだ。
【解説】
《超高度からの急降下!Gは最大で10を超える! ブラックアウト寸前のコントロールが試される! おっと、機体が唸る! 計器はすでに限界を振り切った!》
通過と同時にエンヴァル・シグマの四翼が変形。宇宙一速い鳥類『レイ』を模した降下形態だ。空気を裂く悲鳴のような風切り音が鋭く変わり、コクピット内の骨組みが低く軋む。
ケイの胸郭は内側から押し潰され、血液が足先へ引きずられる感覚。視界の端がじわりと赤黒く染まり、耳の奥で自分の脈拍がドクドクと響く。背骨が圧縮されるような鈍い痛みと、胃袋が喉元まで押し上げられる不快感が降下の加速度を物語っていた。内耳は悲鳴を上げ、骨組み越しに機体の軋み音が腹に響く。それでも操縦桿から指は離れない。
観客の一人が「あれはレイだ、狙った獲物は逃がさない!!かっけえ!」と熱弁する。別の観客が頷きながら、「速すぎる……!」と息を呑む。
その降下速度が生物を超えた領域にあることを語る声があちこちから響く。旗が乱れ飛び、抱き合う見知らぬ者同士、投げ上げられた飲み物や軽食が空中で弧を描く。子供が泣き笑いし、老人が椅子を蹴って立ち上がる。興奮が波となり、観客席全体を飲み込んでいった。
──その様子を、地上のメリナ整備チームも固唾をのんで見守っていた。
「あいつ……すげえ……」
「なんであんなマシンに初見で乗りこなせるんだよ?ミーティングで操作方法とコースを聞いただけだろ!」
「それにな……普段は宇宙船、それも反重力装置付きだろうがよ!こんなG、耐えられるはずねぇのに!」
驚愕と興奮が入り混じった声が交錯し、誰も瞬きすらしない。
光の矢と化した機体は推力を得て後続を引き離し、サーシャを捉えた。死角からの急旋回も直感で回避し、その背を抜く。
背後ではガルム、カルディナ、ヨアン、タリオが巨大な螺旋を描き、攻防を繰り広げていた。観客席は立ち上がった群衆のうねりと歓声で揺れ、まるでスタジアム全体が跳ねているかのようだ。
【実況】
《第1チェックポイント目前!トップはセシル! まだ加速するのか!?》
【解説】
《あの大事故を経ても、この動き!》
【実況】
《惑星メリナの希望を背負い──命を削る飛行だ!》
機体が激しく軋み、外界は閃光の帯のように流れ去る。それでもケイの視界は先の先しか見ていない。
──セシル……。たしかに、あいつはこの世界では天才なんだろう。この強敵を差し置いて、圧倒的優勝候補と唄われる人間種、他にはいないはずだ。ここで勝つには、更に圧倒するしかない。
彼方に雷雲が立ちこめ、雲底が渦を巻くたびに遠雷が瞬き、空気が金属の匂いを帯びる。雲の奥で何か巨大なものが息を潜めているかのような、圧迫感のある静けさが広がっていた。観客席が揺れる中、ケイは次の雷雲地帯を見据えていた。
直感が再び囁く──……来る。
それぞれが第2レースを命がけで飛ぶ。
空の戦いは勢いを増していく。




