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記録80 密約と幻影

その一部始終を見届けていただけますよう、よろしくお願いします。

──静寂を破ったのは、重々しい扉の開く音だった。

王都アナリヴォの中央議政庁、非公開会議室。

決して広くはない、しかし古く、かつてこのような密会が幾度となく繰り広げられてきた石造りの空間には、重厚な長卓を囲むようにして各家の代表者たちがすでに揃っていた。


ジンマリウス家からは、現当主ジンマリウス・ヴァイゼルその人が姿を見せていた。銀灰の髪を撫でつけ、冷ややかな双眸を持つその男は、沈黙をまとって席に着いている。

その背後には家宰ロダンと忠実な腹心たち。

王家からは議政監査官が一名。そして、シャルロット家側からは当主レオン、妻メリサが出席していた。



──本会議が正式に始まる前。

静まり返る場内に、シャルロット家の陪席のひとりが小さく問いを投げかけていた。


「……で、オルテンシア様とセシル様は?ご出席いただけないのですか?」


柔らかくも、明確に核心を突く言葉。


「そちらこそ、メシエ様がおらぬようだが」


ジンマリウス家の面々がわずかに動揺する。

だがヴァイゼルは微動だにせず、答えない。


空気が一段と冷える中、ロダンが苦渋に満ちた顔で口を開こうとするも、その横でヴァイゼルが軽く手を上げて制する。


……沈黙。


それを受けて議長役が静かに言葉を発する。


「……では、議題に入る前に、シャルロット家より本会議に臨時出席させたい人物がいるとの申し出があります」


視線が移動する中、再び扉が開く。


そこから現れたのは、銀白の髪をたなびかせたセシルと──その後ろに控える一人の少女メシエ、そしてアイだった。


入室してきた三人の姿に会議室の空気が一変した。


凛とした佇まいの若き貴公子の姿。

そして、長く揺れる黒髪と背筋を伸ばした静かな歩み。レースクイーンの紋章をあしらった公式衣装。その少女の姿を見た瞬間ジンマリウス家側に緊張が走った。


「……セ、セシル……様……?」


セシル……、それに……メシエだと。


ロダンが息を呑み椅子を引く音が響いた。ヴァイゼルもわずかに視線を動かしその幻影を見つめる。そして、メシエの姿を確認し人知れず拳を握り込む。


セシル──否、その姿をした存在は、ゆっくりと卓の傍らに立つ。


見た目は完璧に再現されたジンマリウス・セシル・アルジェント。 彼を知る者であれば誰もが一目で信じてしまうであろう錯覚のような現実。

そして、沈黙を切り裂いたのは、レオンでもなく、ジンマリウス家でもなく、メシエ本人だった。


「──説明いたします。この者はジンマリウス・セシル・アルジェント様本人ではありません。擬態迷彩により、過去に公開された映像・記録・公式資料をもとに再現された視覚モデルです」


ざわつく貴族たち。王家監察官が小さく目を細めた。


「まさか……擬態迷彩とは?」


「はい。本件はシャルロット家の監修のもと、実証目的として本会議にて使用許可を得たものです。この再現モデルは民衆に公開されたセシル様の姿と完全に一致します」


議長が一拍の沈黙の後、レオンへと視線を向ける。


「では、シャルロット家より──事実確認として、報告をお願いしたく思います」


その言葉にレオンがゆっくりと席を立った。


「はっ」


静かな声で、しかし一点の曇りもなく、レオンは語り始める。


「まず、我々が今この場に同伴させた人物は、ジンマリウス・セシル・アルジェント殿本人ではありません。擬態迷彩を用いた再現モデル──すなわち、現時点における()()()の提示にほかなりません」


「……その理由を説明するためには、先に一つ、真実を明らかにせねばなりません」


長卓に沈黙が広がる中レオンは続けた。


「本来、いまこの会議において真っ先に報告されるべきは──セシル殿の墜落とその後、そして娘メシエの救出についてです」


「ご存じのとおり、レースの前日に謎の勢力より脅迫文が届きました。すでに皆様はそれに目を通されたかと。……そして、メシエは第1レース開始1日目の夜、突如として姿を消し、しかし実際には──拉致され、ルミナスステーションの地下に眠る旧補給港に監禁されていたのです」


衝撃が走り、ジンマリウス家側がざわつく。ただヴァイゼルだけが沈黙のまま。


「更に申し上げれば、その際に舞台に現れたのは“偽のメシエ”でした。擬態による完全な偽装。その存在は我々を欺き、そして惑星全体を欺こうとしたものです」


「その偽装の中枢に存在していたのが──『ヴィータ・ヌーダ』と名乗る勢力。いまだ出自が明かではありませんが、少なくとも当惑星のレース体制に深く関与し、妨害・分断・暗殺行為を企てていた事実は揺るぎません」


「その存在の証拠として、我々が回収したのが──この『擬態迷彩』です」


「そして──この問いは、貴家にしかできぬ……。ジンマリウス家は、本当にセシル殿を出場させるおつもりなのか?……それとも、軽傷とは建前で、重症であり出場不能なのではないですか?ここに本物のセシル様、オルテンシア様もおられぬのも、それが理由では?」


言葉に詰まるロダン。しかし、それでもなおヴァイゼルは表情を変えずに沈黙を守る。周囲の視線が彼に集中する。


更にレオンは続ける。冷静にしかし確実に、言葉を選び、権力者たちの理解を仰ぐ。


「このまま沈黙を続けられるなら、事実と受け取らざるを得ませんな。我が家は()()()()()()()()を追求するつもりはございません。メシエを救出できた、それが我がシャルロット家、そして私が願う全てでした。そして、惑星メリナの威信と未来を想うのは同じ──よって、この代案を提示せねばならないと決意いたしました」


……沈黙が流れる。


だがその空白が、“真実”を物語っていた──この場にセシルは居ない。そして、ジンマリウス家はレースの勝利よりも体面を優先し真実を隠していた。だからこそ、レオンは“幻影”を連れてきた──すべてを暴くために。


その重たく張り詰めた空気のなか、議長が改めてジンマリウス家側へと向き直る。


「──では、ヴァイゼル卿。このまま話を伺ってもよろしいですかな?」


しばしの沈黙ののち、ヴァイゼルは微かに目を伏せ、そしてゆっくりと答えた。


「……はい。そうしましょう」


──だが、その返答の裏で、ジンマリウス・ヴァイゼルは内心で静かに警鐘を鳴らしていた。


(セシルの容態が……外部に漏れている?この擬態迷彩をどこから?)


彼はまだ知らない。シャルロット家がどの経路でこれほど詳細な情報に辿り着いたのか。そして、その裏に潜む存在──彼のことも。


そんな思案の渦の中、議長がさらに話を進める。


「では、次にお伺いしたい。シャルロット家の報告にあった擬態迷彩、そしてそれを用いて再現されたセシル殿の姿。これらがどのように回収・活用されたのか。そして、救出に関わったという──ケイ、及びその同伴者アイという存在についても、説明を求めます」


その言葉を受けて、ヴァイゼルが初めて小さく片手を挙げ口を開いた。


「……それについては、我々としても確認しておきたい。擬態迷彩の使用者──そして、救出に関わったというその“ケイ”と“アイ”、二人を紹介していただけますかな。……できれば、その擬態迷彩も解いて、正体を明かしていただきたい」


場内の視線が再び動く。静かに、しかし確かな緊張を孕んで──“セシル”と呼ばれる人物の方へと集まった。


そのセシルが一歩前へ進み静かに深呼吸をする。彼は首元に手を当て擬態迷彩の制御を解く──揺らめくような歪みの後、姿が変わった。現れたのは、鋭い眼差しを持つひとりの青年──ケイ。

そして彼に続くように隣に控えていたアイが前へ出る。


二人は並んで立ち会議卓を見渡した。一瞬ケイとヴァイゼルの視線が交差する。その空気に場内の誰もが息を飲んだ。


そのとき再びレオンが口を開く。

「ご安心を。彼らは我がシャルロット家が兼ねてより傭兵契約を交わしていた外部の者になります。個人情報に関しましては、契約上秘匿とさせていただきますが──彼らの行動すべてに関して私が責任を持つ所存です」


その言葉にざわめきが走る中、レオンは静かに視線をヴァイゼルへと向ける。


「そして、私が秘密裏に収集した情報によれば──セシル殿は現在、医療棟〈セフィラム〉にて集中治療を受けておられる。こちらの映像をご確認いただきたい」


アイが端末を操作し、会議室中央のホログラムに、治療用ポッドに横たわるセシルの映像が浮かぶ。レスピレーター、全身に生体反応モニタが接続されている。


ぐ……。

ヴァイゼルは人知れず奥歯を噛み締める。


「……これは、我が家がメシエの救出作戦を実行した後、その帰還の過程において並行して収集した情報です。娘を救出できなかった際に、セシル様までもを失ってはならぬ──その一心からのものでした」


レオンは長卓に両手を突き、前のめりに訴えかける。


「そして何よりこの会議の場において、セシル様のお怪我が重篤であっても、命に別状はないことを皆様にお伝えしておく必要があると考えたのです……なぜなら──そうでなければ、次の策を講じることができません!我々が敵を欺き、そして()2()()()()()()()ためには──!!」


そして、レオンはわずかに間を置き、重々しく言葉を続けた。

「この第2レース──これを、ケイ殿に任せたいと考えています」


会議室に微かなざわめきが走る。だがレオンはそのすべてを見据えるように卓上へと視線を落とした。


「先ほどの映像をご覧いただいた通り、ケイ殿は超一流の傭兵であり、その操機術においても熟練した実力者です。たたき上げの実戦経験は、まさしくこの非常時にふさわしい」


「彼に“ジンマリウス・セシル・アルジェント”として、表舞台に立っていただきましょう。そして、惑星メリナを勝利へと導く──それが、我々の提示する代案です!」


「……むろん、再び敵の手が及ぶ可能性はあります。しかし、ケイ殿がこの場に姿を現したことこそが、彼がこの作戦を引き受けるに値する、かの敵に勝る実力の持ち主であるという事は明白」


そしてレオンは横に立つ少女──アイへと視線を移す。


「そして、裏で暗躍する敵勢力とその偽装工作を阻止する役割。それを担ってくださるのが、アイ殿です。先の映像には映っておりませんが、彼女はケイ殿が最も信頼するパートナーであり、これまで無数の極限任務を共に遂行してきた者──申し上げるまでもなく、彼女もまた超一流」


……沈黙。


その静けさの中、ジンマリウス家側の面々が互いに視線を交わす。疑念と警戒──そして、わずかながらの希望。現実として、セシルは出られない。状況は刻一刻と進む中、策を講じねば勝利も未来も得られない──ならば、この提案に賭けるしかない。


しかし、一人の政務官が手を挙げ言葉を挟む。


「恐れながら、ひとつ確認がございます。第2レースに出場するにあたり、各出走者は直前に厳密な生体検査を受けねばなりません。網膜・声帯・DNAなど、あらゆる情報が照合され、替え玉や模倣を排除するためのものです」


長卓に伏せた目を、再び持ち上げ周囲を見渡す。


「……その関門を、擬態迷彩がいかに精巧でも通過することは……」


そこへアイが一歩前へ出た。


「擬態迷彩は、表層の模倣のみを行う装置ではありません。生体データの投影干渉、および複製暗号パターンの挿入により、一定時間だけ検知システムの誤認を誘発させることが可能です。完全なすり替えではなく、生存確認として通過する程度の短時間であれば、システム側のチェックポイントを突破できます」


政務官が顔をしかめる。

「……しかし、機体は? セシル殿の専用機は墜落したと──」


レオンが応じる。

「セシル殿の状態が軽傷と報告されている以上、ジンマリウス家ではすでに機体修復の準備を進めているはずです。部品供給、機体コード登録、すべて予定通りであると考えますが──いかがでしょう、ヴァイゼル卿?」


ヴァイゼルはしばし沈黙した後、再び口を開いた。

「まさに……ただし、条件がございます。各種生体検体──網膜、DNA、声帯などのデータは我々ジンマリウス家が採取し、しかるべき時にお渡しさせていただきたい。……すり替えのないよう、正式に提出された検体と照合される必要がある。その上で、ケイ殿がその場でクリアできるというのであれば……」


ヴァイゼルの視線がケイとアイに向けられる。


「……──彼に、任せることとしましょう」


アイが一歩進み出て、淡々と答える。

「その手段に関してはお答えしかねますが、必ず突破してみせます」


再び、場には静かな緊張が走った。


「……よろしい。ジンマリウス家として、本提案を受け入れましょう」


ヴァイゼルの声が会議室に響いた瞬間、場の空気がわずかに緩んだ。


そして、レオンが最後に言葉を添える。

「この勝利を必ず──この惑星のすべてがかかっているのです。必ずや、成し遂げましょう」


そのとき、ヴァイゼルはわずかに顔を上げ、会議室の奥に控える王家監察官と静かに視線を交錯させた。ケイとアイは、その視線の動き、その呼吸の微細な変化すらも──確かに感じ取っていた。



──こうして会議は結ばれた。

偽セシルとしてのケイ、裏に潜む敵を討つ者としてのアイ、そしてレースクイーンとして再び表舞台に立つメシエ──それぞれの役割が静かに、だが確かに定められ〈幻影作戦〉は幕を開けた。


やがて彼らは整備庫へと向かい、破損したセシル機の確認と調整にあたることとなる。準備は、急がねばならない。


そして、第2レース当日を迎えた。





──その少し前、まだ朝靄の残る仮宿の一室にて。

窓辺に腰掛けたメシエは、柔らかく光を帯びた空をぼんやりと見上げていた。昨晩はほとんど眠れなかった。だが、不思議と体は重くなかった。少しだけ心が静かだった。

ケイも、アイも今はそれぞれの準備を進めている。誰もが戦うために、静かに、しかし確かに動き始めていた。


──わたしは何ができる?


問いは、まだ胸の奥で繰り返されていた。


その頃、静かな病室ではセシルが眠っていた。 いまだレスピレータで調律した呼吸。淡く点滅するモニター。


「……もう少しだけ、頑張ってちょうだい」


そう言いながら、母オルテンシアがそっと彼の手を握る。

看護師がそばで採血を終え、必要な検体を慎重に保管する。すべては、今日──この日のために。


その掌を母はそっと包み込んだ。その手は冷たくて、そして何よりも静かだった。



ついに明かされた事実。

ジンマリウス・ヴァイゼルはレオンの雄弁に完膚なきまでに叩きのめされたのでは?

これもそれも、メシエの勇気、ケイとアイの力があってのものだった。


そしてついに、第2レースの日を迎える。

幻影作戦 開始。

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