記録77 眠らぬ灯と、揺れるまなざし
ケイとアイ、彼らがシャルロット家にもたらすもの。
しばしの休息と共に、一緒に夜明けを待ってみましょう。
──星々の囁きが、静かな寝室に降り注いでいた。
あの一件から数刻。屋敷の高層棟、貴賓用の客間に用意された部屋にて、ケイは窓辺に立っていた。窓の外には王都の灯が遠く揺らめき、曇りの無い空には彼方にゼルグラードの根跡が荘厳な姿のまま街並みを見下ろしている。
アイはソファに腰かけ、腕を組んでデータログを再整理していた。一見何気ない仕草だが、その背後には、常に警戒と計算が存在する。
「……お前、眠ってもいいぞ?」
ケイがぽつりと訊くと、アイは顔を上げずに答えた。
「眠る必要はありません。貴方の安全を最優先に監視を行っています」
「……そうか」
短く答えたケイは再び外を見やる。
その視線の先、離れの塔の一室──わずかな灯火が見えた。メシエの部屋だ。
一方その頃、メシエは──部屋のベッドに体を預けながら、眠れずにいた。シーツに指を絡め、何度も反芻するのはあの名前だった。
ケイ。
アイ。
冷たい目。けれど、自分を抱き止めてくれた腕。あの“異世界”のような存在感──あの人たちは、いったい何を見て生きてきたの?
枕元の端末が音もなく点滅する。医療塔セフィラムの情報だ。どれだけ検索しても特別医療機関であるセフィラムの情報は開示されない。その秘匿性の高さに、ジンマリウス家が情報操作を行っていることは、まだ若いメシエですら理解できた。
端末に触れる彼女の指は震えていた──怖かったのだ。何かわかれば、もっと深い絶望が押し寄せる気がして──でも、こんなことになったのは自分の責任でもあるかもしれないと、そう言い聞かせ、ただただ時間が過ぎていった。
しかし、その時──小さなノック音がした。
「……どうぞ?」
扉が開かれた。そこに立っていたのは、母、メリサだった。
「起きていたのね……少しだけ、話せる?」
「……うん」
メリサはそっとベッドの端に腰を下ろし、メシエの手を包んだ。
「セシルは……きっと大丈夫よ。あなたのせいじゃない」
メシエは言葉を返せなかった。ただ、母の体温に触れて目を閉じた。
その心の奥底で──またあの瞳を思い出していた。
──客間/寝室
ケイの掌に浮かんだBOLRがゆっくりと展開する。
王都圏内のローカルネットに接続され、最新のニュースが幾層にも重なったホログラムとして表示される。競技継続の知らせ、市民の談話、レース予選の組み換え──表向きの話題ばかりだった。
「つまらない情報ばかりですね」
アイが呟く。
だがケイはそれに応じず、BOLRの中央に浮かぶ微弱な蒼い光に視線を向けた。
その光が一瞬だけ明滅する。
ケイのまなざしの先で、またひとつ光が点滅する──意識だけで。
「……反応が鈍いな」
ぼそりと呟きながら、ケイは微細な制御を続けていた。
だが次の瞬間、目の奥がじんと痛む。空間が揺らいだような錯覚とわずかな視界の乱れ。
「使うなとは言いませんが、無理は禁物です」
アイが視線を向ける。
ケイは力でBOLRの光を制御してみせるが──それが、五感を蝕む副作用をもたらすことを、彼女は誰よりも理解していた。
「……わかってる。ただ……少し、気になることがあっただけだ」
ケイはわずかに眉をひそめた。
あの時の感覚がふと脳裏をかすめる──扉を開くために力を使った時、何かがズレた。
いつもと同じはずだった。だが、ほんのわずかに何かが違っていた気がする。それが何なのか、説明はできない。ただの勘違いかもしれない。
でも──妙に引っかかる。
「……まあ、いい」
ぼそりと呟くと、ケイは光の制御を止めた。
BOLRはゆっくりと収束し再び静寂へと戻る。淡い蒼光だけが彼の横顔を照らしていた。
その静けさの中で、アイはふと自分の両手を見下ろした。
「今は無きノクス・ヴェルムで傷ついたこの手は修復されました。いつでも行けます」
言葉に感情はなかったが、そこには確かな決意が宿っていた。
ケイは一瞬だけ目を細めた。
ノクスヴェルム……?
脳裏に浮かんだその名に、ふたりの間にわずかな沈黙が流れる。確かに記憶はある。忘れることは無いと思いたい。あの崩壊した星での経験が、これからに活きるのだとそう信じていた。
──そして、夜は静かに明けた。
王都アナリヴォ高地街区の空に、薄く朝霧がたなびく。古都の街並みに金属の屋根が反射し、塔の先端には陽光がゆっくりと差し込んでいた。
ケイは廊下を静かに歩いていた。背後からは変わらず無音の足音でアイが続いてくる。すでに身支度を整えた二人に、扉の先から足音が近づく。
「お待ちしておりました、ケイ様、アイ様。会議室までご案内いたします」
案内に現れたのは、シャルロット家に仕える従者だった。丁寧な所作と静かな口調、だがその眼差しには明確な“観察の意志”が込められている。
「……ようやく本題か」
ケイはぼそりと呟き、無言で従者のあとに続いた。
アイも、無言のまま後を追った。
静かな朝の光の中──その背中には、まだ語られていない“昨日の続きを問う場”が待っていた。
いよいよ会議の場へ。




