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記録68 黄昏航路ー制空戦場の亡霊

お待たせしました。

スカイラントレースの展開とそれぞれの心の動き、そしてケイとアイが動き出す。

超低空飛行で数々の都市を、広大密林を駆け抜けた先……一気に高度7,000メートルまで飛翔する。空気は薄く、音は死に、風がうねりを見せる。惑星メリナ上空、黄昏の大海を越える「黄昏航路」へと、スカイラント・レースは突入していた。


突如として巻き起こる断層突風。気流の断絶と重力波のぶつかり合い。センサー類は干渉を受け、通信支援は機能停止。


——このエリアでは、すべての機体が独りになる。セシルの耳元でノイズが弾けた。


《……応答願います、エンヴァル・シグマ、こちら地上コマンド——》


通信が、途切れた。

回線ランプが赤く点滅する。バックアップチャンネルも順に潰されていく。通信妨害波(ジャマ―)の層に完全に包まれたのだ。セシルの視界、パネル左端に小さく浮かぶシステムログ。


《不正アクセス検知 - 発信源不明》


「……なるほど、ただの黄昏航路ってわけじゃないか」


思考は瞬時に切り替わる。

ただの環境的な干渉じゃない。普段のこの航路にはジャマ―に僅かな隙間がある。しかし、この連続性――明確な誰かの意思が、彼をこの空で孤立させようとしている。


「くそ……」


軽く舌打ちする。だが、表情はほとんど変わらない。

いつか、こうなることは予期していた。この惑星のこの空域——黄昏航路は、いずれにせよそういう場所だ。


「だったら、こっちもそのつもりでやるだけだ」


セシルはパネルの一部を切り替え、視覚と触覚による航法支援モードへ移行。自機の姿勢制御と風の解析を感覚で読み取るスタイルに切り替える。

補助輪はなくなった。だが、それは——翼が真に試される瞬間でもある。



その頃、他の機体の一部には異変が起きていた。

突風に押し流され、反転して姿勢制御を失う機体。エンジン温度が急上昇し、緊急冷却モードに入ったまま高度を下げる機体。パネル誤作動でルートを誤認し、航路外に逸脱する者——。


《機体フェイルセーフ作動:ユルト・ハーン機、失速・航路離脱》


《カンティナ・ロウ機、突風回避失敗による棄権信号確認》


《ミト・ウェイル機、ジャミング下での管制不能。緊急回収シグナル発信》


セシルのヘルメット越しに表示されるレーサーたちの脱落ログ。 その多くが、技術や経験ではなく、明らかな異常干渉による事故だった。


カルディナ・サレフの『レゾナンス・ソネット』が音波で風を探る。サーシャ・リュミエールの『リュシオール』は姿勢制御を優先し、慎重な滑空に切り替えていた。ヨアン・マルストロムの『ヴァルキュリア・レイジ』は進路を外して減速、空中ブレーキをかける。



――だが、ひとつだけ違った。


『エンヴァル・シグマ』——セシルの機体だけが、突風の層に向けて速度を上げた。


高度7,200——再起動したリフレクター装置が強烈なエレイオスの陽光を跳ね返し、機体のカウリングに眩い虹が走る。空間が捩れ、気流の密度が変わる。そこを突き抜けた刹那——通信帯に走った、わずかな揺らぎ。


《……決着をつけろ。時間の問題だ――》


思わずセシルは、通信干渉を即座に検出・排除。が、そこに残ったのは微弱なエコーのみ。発信元の特定は不可能。


(またかっ……これは明らかに外部からのもの。だが、誰が?どこから?)


そのとき、彼の視線がわずかに周囲をなぞる。交差する航跡——隊列の順序——遅延の反応——。


(……この中にいる。このレースに参加している誰かが、あの惑星の関係者……いや、送り込まれた存在だ)


セシルは僅かにブーストを切り、通信記録をデータロガーへ送信する。同時に、自動ログのスキャンパターンを変更。明らかに異質な飛行挙動、応答遅延、視線の動きすら記録させる。


(どこにいる……)


彼の視線の先、セシルの前方パネルには空の道が浮かんでいる。 気圧の境界、乱気流のうねり、上昇気流の渦——それらすべてが、幾層もの光流として前方空間に立体映像で描かれていた。 彼の身体感覚と融合するように、風の流れが読める。



——風が、鳴いている。

セシルはコクピットで重心を前に傾けると、わずかに指先をスティックに滑らせる。機体の尾翼が風に合わせてたわみ、風を掴んで旋回へと導く。


「……いい風だ」


機体の外壁が軋みをあげ、突風の縁を切り裂く。 風音は次第に高まり、コクピット内に共鳴するように低音を響かせる。 体感でわかる——これは、登れる風だ。


宙が軋む。 重力波の干渉層を突き抜ける瞬間、セシルの身体はわずかに座席に沈み、次の瞬間には跳ね上がるようなGに襲われる。 風は肌を裂くような抵抗とともに機体を包み、視界の中で空の裂け目が瞬いた。



――渡り鳥の群れが視界に入る――。



空気の裂け目を知っているかのように、鳥たちは斜め上へと羽ばたき、互いに合図を送り合う。風に乗る術を心得た翼たちは、突風の縁に乗り、遥か上空へ舞い上がる。

セシルの視線が、その一瞬の挙動を捉えた。


「今だ——!」


『エンヴァル・シグマ』が速度を上げて突っ込む。誰もが減速を選んだ中、セシルだけが風の縁を正確に掴み、空を裂いた。


その軌道は、まるで渡り鳥たちと同じリズムを刻むように、突風の上昇気流を跳ね上がる。風を切る音が、機体のフレームに響く。空が唸り、機体が歌う。セシルは自身の身体と機体のすべてで風を掴み取り、自在に舞い踊る。


「っ!誰の星だと思ってる……ここは僕の空だ!!誰にも邪魔はさせないっ!」


観客席がどよめき、解説が声を詰まらせる中、

ただひとり、衛星視点でその挙動を見守っていたアイだけが、無言で頷いていた。





ヴァイゼルがレース展開を静かに見守っているが、ひじ掛けに添えられた手は握り込まれていた。


(……だが、セシルをレース中に潰すとなれば、こちらの負けだ。レース自体が破綻すれば、主催の信用は失墜し、責任はすべて我らに返ることになる――奴らは今、ギリギリの心理戦に賭けている。メシエを餌に、セシルを自壊させる気だ)





その頃――ケイは通信機を操作しながら、民間のアプリケーションに隠された裏回線に接続していた。クラウド広告の更新頻度や天候情報に混じるノイズを解析し、独自の監視網を構築していく。


「……アイ、あいつ、メシエが……いない」

《確認しました。先ほど控室前の映像、以降記録なし。同行者なし、影もなし……これは誘拐です》

「なかなかやるな……だが、このタイミング……」


アイの視線が、他のメディアドローン群にリンクし、宙に浮かぶ無数の映像へと移る。

《周囲の衛星軌道上からも追ってみます。BOLRも再起動、行かせます》


ケイは静かに息を吐く。

「……誰が動いた?」





同時刻、シャルロット家の警備部門も異変に気づき始めていた。控室の所在確認を担当していた副官が慌ててレオンに報告を上げる。

「お嬢様が……所在不明です」


レオンは一瞬だけ目を閉じ、強く拳を握りしめた。

「セシルは、父であるヴァイゼルではなく、メシエの、娘のためにレースを長引かせようとしている。だからこそ、今、全力を尽くしている……」


そのレオンの動きに、ジンマリウス家の情報部がすかさず察知する。

「シャルロット家が動きました、隠密部隊を展開中。どうしますか?」


ジンマリウス・ヴァイゼルは短く答える。

「セシルには知らせるな。シャルロット家の動きは牽制しておけ」


彼の読みでは、敵勢力はあくまで()便()()開催権譲渡を狙っていた。過激な手段は避けたいはずだった。


……だが。

「……メシエ誘拐という手を使ったか。ふん、予定が狂い始めたな」





オリンピアの祭典に紛れ、すでに潜入していた敵勢力の隠密は、レオンの行動を察知していた。


「……面白い。シャルロット家が出た。後ろにはジンマリウスの追跡もある」


彼らはその流れを逆手に取り、偽装行動の余地を得た。そして、その矛先はレース中のセシルへと向けられていく。


「——完全勝利を阻むには、勝者を脱落させるのが最善。今動くしかない」


ジャミングは続く。黄昏航路の自然障害に乗じて、人為的な妨害電波がセシルの回線を断ち切り続けていた。すべては、セシルをこの空から落とすために。


しかし——それでも、空を滑る彼の軌跡は、なおも光を帯びていた。





……その裏で

「さて……面白くなってきたな」


ケイは、警備と監視体制の行き届いた舞台の裏に滑り込んでいた。アイの指先は、複数の監視ドローンと都市ネットワークの裏チャンネルに同時接続している。


《シャルロット家、ジンマリウス家、そして……これは敵勢力。全員が、動き始めました》


「だったら、俺たちは……もっと深く潜るだけさ」

ケイは笑う。心から、面白がっていた。


「闇がこれだけ揃うなら、こっちも演者として踊るしかないだろ?」

《……同意します。ですが、慎重に》

「ああ」


二人はあらゆる視界を掌握しながら、あえて姿を消していく。情報の奔流の裏を抜け、闇の共演の観客となるために——。





その頃、上空8,000メートルの空域――尚も続く人為的な黄昏の路。

観客が目にする空は、神々しきまでの美しさに満ちていた。燃えるような夕陽が水平線に沈みかけ、海面は金と紅の光に染まり、ホログラフには幻想的な光景が映し出されていた。


だが、セシルの視界は違っていた。

高速で風を切り裂くその機体は、すでに陽光を超え、漆黒の上空へと踏み入れていた。風は無音となり、世界の色は一気に褪せる。



……誰もいない。



進む先に仲間も敵も見えず、背後も確認できない。五感だけを頼りに、沈黙の中を滑空する——。


「これは……僕の、独りの航路だ」


そのとき、不意に通信帯に微弱なノイズ。


《セシル!……メシエ嬢を見失った!!》


聞き覚えのある仲間の声――だが。セシルの眉がわずかに動いた。


(……これは、確かにクルーの声……でも、何か違う)


彼は即座に通信のログを確認し、声紋を分析させる。結果は——模倣された音声。AIによる生成。


(……父上の命令で、メシエに関する情報は一切遮断されているはず。それが、なぜ今になって……)


黄昏航路の終盤、神経が削られるこの空域で、それは仕組まれた。


「……僕の心を乱すための、罠か、それとも……」


セシルは奥歯を噛み締め、深呼吸とともに言葉を吐き出し、機体を制御しながら再び前を見据える。


(見えない敵……だが……確かに僕の左右後方に追従している誰か!)


彼の視線が航跡をなぞる。その中に紛れているその誰かを、探すように。


(レースが終わればすべてが崩れる。だから……僕は、まだ終わらせない。メシエを救い、相手の尻尾を掴むまでは……)





オリンピアの影にて――

「完全勝利を阻むには、勝者を脱落させるのが最善。今動くしかない」

「ああ……だが、これで全てが表沙汰になれば、我らも終わる。躊躇はないが、覚悟はいる」





……その頃、オリンピアの影から空を見上げていたアイが、ふと立ち止まった。

《……亡霊、ですね》


彼女の視界には、闇の中を音もなく滑り込むケイの視界と、その周囲の空域に漂う無数の動きを示すノイズが映し出されていた。


《この空の下で、誰かが動いている……まるで亡霊たちのように》

アイはひとりごちるように言った。


その視線の先、ケイの姿が暗い監視層の中へと滑り込んでいく。

「亡霊、か……」


ケイの声が返るころには、彼の姿はすでに次の層の向こうへと消えていた。

まるで、最初からそこに存在しなかったかのように。

ケイとアイが隠密行動を始めた。

きっかけは些細な視線の交錯。

あの目が気に入らない。

それだけだ。

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