記録67 脅迫の軌道
スカイラントレース、盛り上がってきました。
裏で暗躍する者たち、指示的なしがらみを抱えた者たち、銀河をまたいだオリンピアは様々な思惑の渦の中に。
浮島群を縫うように駆け抜ける機体の群れ。 高度は5000メートルを越え、空気密度が一気に低下する。 セシルの機体『エンヴァル・シグマ』は、浮遊島の細い岩道をまるで滑るように抜けていく。
だが、その刹那。
「消えた……?」
目の前にいたはずの1機が、突如として視界から姿を消した。空間跳躍か?否――それは、まるで風のように軌道をずらし、視覚を抜けた。
白銀の航跡が交差する中、ひときわ小さな機体が浮かび上がる。
「流星の魔女」サーシャ・リュミエールだ。
機体『リュシオール』が描くのは、空間ごと滑空するような螺旋。無音の旋回が、観客の歓声を一瞬、凍らせる。
【解説】
《出ましたね、サーシャ選手!その挙動、ほとんど空間跳躍に見えますが、実は風圧と重力を逆手に取った重圧浮遊術だぁ!》
【実況】
《まさに流星の舞!光の粒となって空を裂く!!》
セシルは、一瞬だけその機体と並ぶ。だが、サーシャは言葉を発さず、ただ前を見据え、次の浮島へと飛び込んでいった。
――その頃、会場上空
巨大ホロビジョンが切り替わる。観客の声援がいったん収まる中、流れ始めたのは――「銀河オリンピア・正式12種目 紹介V」だった。
【ナレーション】
《ここでご紹介しましょう!このスカイラント・レースが属する、銀河オリンピアの正式競技12種目――それは力、知性、文化、意志を競う、銀河最大の競技祭典です!》
1:星環航宙競技:惑星の重力環境を活かし、全土を舞台に縦横無尽に翔ける空宙レース。
2:ゼロG格闘競技:無重力下で繰り広げられる立体格闘。宙そのものが戦場となる。
3:超環境適応戦:極限環境下でのサバイバル任務遂行型チーム戦。
4:記憶領域型思念格闘:精神世界で記憶と意志がぶつかる“魂のレスリング”。
5:機体再構築型競技:制限パーツで最適機体を設計・実装、任務をこなす技術戦。
6:次元跳躍スナイプ:一瞬の実体化と発射――確率を制する狙撃競技。
7:多種属混合球技:重力差も体格も超えて連携せよ!多種族チームスポーツ。
8:文化的意志表現競技:芸術と哲学で未来を描く知性のパフォーマンス。
9:衛星軌道リレー:大気圏出入りと周回を繰り返す、超高速の軌道リレー。
10:人工知性対人類型詩的対話戦:詩と論理で争う思想対話。語り手の座を懸けて。
11:神経直結型スポーツ模擬戦:神経と競技が融合する、限界の身体戦。
12:戦略模擬統合作戦:AIと共に戦略を制す、リアルタイム制圧シミュレーション。
《これら12種目が、選ばれた各銀河系を舞台に現在繰り広げられているのです!!そして、ここメリナでも今、熱いレースが展開されている!!――》
その頃――地上、ゼルグラードの根跡上部/王宮・貴賓席
金と白の礼装に身を包み、静かに座る男――ジンマリウス・ヴァイゼル。手元の投影端末に映るセシルの機影を見つめ、何も語らない。
だが、その頃、スタート地点の特設ステージ上。華やかなレースクイーンたちとともに整列するひときわ目を引く存在――それが、シャルロット・メシエだった。
彼女は、会場の声援に笑顔を返しつつも、スクリーンの中のセシルを見ていた。
(セシル……今、どんな顔してるかな……?)
目の奥にちらっと浮かんだ迷いを悟られないように、そっと前髪を直す。
(あいつがわたしのことなんか気にしないで走れるなら、それでいいって思ってた。……でも、もしわたしのせいで、変なプレッシャーとか背負ってるなら――本当やだ)
銀のドレスがライトを受け、ステージ上に立つメシエの姿が大スクリーンに映し出され、会場の歓声が再び湧き上がる。笑顔を作りながらも、その奥には揺れる不安と決意があった。
――その瞬間、背後のホロビジョンが閃き、セシルの機体が雲を突き抜ける様が映し出された。観客が息を呑む。
(……行って。セシル。私のことなんか気にしないで……空を駆けて――)
その想いは、届くのか――答えはまだ、空の彼方。
――同時刻、シャルロット邸/私設応接室
蝋燭の炎が静かに揺れるなか、重厚な机を挟み、数人の高官とシャルロット・レオンが向かい合っていた。
「ヴァイゼル卿の動きは?」
「依然、貴賓席から外には出ておりません。表向きは公務に専念中という体裁です」
レオンは黙って頷く。
視線は机上の情報端末に落ちているが、その指は既に次の一手を思案していた。
「セシルが勝てば、この惑星の未来は、我らの世代は安寧を得るだろう。そして、ジンマリウス家、引いては我らシャルロット家も。だが……勝てなければ?」
「処分が下るでしょう。あの子の保護者たる我々にまで」
一拍の沈黙。
「……ならば、どうするのだ。娘の、メシエの命もかかっておる!」
その声には、かすかな怒りと、抑えきれない焦りが混じっていた。
レオンは立ち上がる。
「貴族院への根回しを再開する。時が来れば、我らが発言権を得ねばならぬ。私は構わぬぞ!この惑星の未来はどうであれ、娘一人守れぬのであれば、もはや勝利に意味は無い!」
――その天井裏
静かに、まるで空気すら欺くように気配を消した一つの影が。小型偵察ドローン、小型の振動共鳴式マイクロ端末が、レオンの発言を忠実に記録している。
「……予想通りだな、シャルロット卿」
それを操作する男の声、わずかに機械的なフィルターを通していた。
ヴァイゼル直属の密偵。その姿はどこにも存在せず、記録だけが本宮に転送されていく。
ジンマリウス・ヴァイゼル――彼の沈黙は、何も知らない者のそれではない。王の椅子の傍らで、すでに彼はすべてを見ていた。
銀河オリンピアの12種目紹介Vが終わると、会場のホロスクリーンには再び各競技のスナップショットが映し出され、観客たちの熱気は最高潮へと達していた。
その中でも注目度の高いスカイラント・レースは、各地から選抜された飛行士たちの憧れであり、同時に政治と貴族社会の思惑が複雑に絡み合う舞台でもあった。
その裏側――ゼルグラード市外の通信施設
「音声、入った。……これは貴族邸の私設回線からの傍受ログだ」
暗室の中央、複数のホロモニターが青白く瞬く中、BOLR-φの記録映像が投影される。
「これが、ジンマリウス家が仕掛けた密偵の成果か……」
映像には、シャルロット・レオンと数名の高官たちが密談を交わす姿が映し出されている。
「娘を表舞台に立たせたのは、レオンの意志じゃない……やはり、背後には別の勢力があるな」
フードの奥で、ヴァイゼルの密偵が低く呟く。
「メリナの敗北、狙いはセシル様……だが、脅迫の材料に使われているのは、シャルロット家の娘――メシエ。どこの惑星国家かは特定できないが、競合チームの関与は濃厚だ」
傍受された音声ログの一部が再生される。
《――このまま出場を続けるなら、彼女の身の安全は保証できない》
「それでも卿は……勝利を選ぶだろうよ。たとえ、メシエ嬢の命が危ぶまれようとな」
「……メシエを匿えば、直接セシル様にその矢が向く。ならば、あの動線の上に立たせるほかはない」
その目が、闇の奥で静かに光った。
――同時刻/スタート地点の裏手
レースが中盤に差しかかる中、出番を終えたレースクイーンたちが控室で歓談していた。メシエもその一角で、水を口にしながらスクリーンをちらりと見上げた。
(ああ、ほんと……わたし、今、何してるんだろ)
自嘲気味に笑う少女。
(お嬢様の仮面かぶって、ニコニコして、今にも殺されるかもしれないのに……)
メシエを表舞台に立たせたのは、シャルロット家の意志でもなければ、彼女自身の意志でもない。他でもない、脅迫による動線の誘導であった。そして、その動線の把握とは、彼女の行動すべてを監視・掌握しているという意思表示でもある。
レースクイーンという、一種の見世物になるような場に立たせることを、レオンは本心では望んではいなかった。だが、大衆の面前にメシエを配置することによって、相手の出方を牽制する――つまり、下手に手出しができないようにする抑止力になるとも考えた。確証のないままに暗殺や襲撃が仕掛けられるより、視認され、注視される場に立たせることで犯行のリスクを下げる。
結果、脅迫文に指定された動線に従うかたちでメシエをステージへ送り出したのは、シャルロット家ではなく、ジンマリウス家の決断であった。セシルを標的にされた可能性もある以上、彼らはメシエの動線を維持することで、最悪の事態を未然に防ごうとしていたのだ。
そこへ、若いスタッフが控室に入り、何かを告げると、レースクイーンたちが一斉に立ち上がった。
「メシエさんも、ちょっと来てもらえます?」
「えっ? あ、うん」
軽く応じて立ち上がるメシエ。
その胸には、ほんの小さなざわめきが灯っていた。
(……なんか、変。空が、さっきより静かに感じる)
次第に近づく波紋。その予兆を、彼女だけが微かに感じ取っていた。
――高度5000メートル
(父上……僕は……)
超速で舞うセシルは、まるで白銀の鳥の様。しかし、やはり心の奥では昨晩の出来事が蘇っていた。……だが、違和感がある。
通信帯域のノイズ。周波数の揺れ。明確な妨害ではない――けれど、何かが干渉している。
(これは……警告か? いや、探ってる。こちらの反応を見てる)
セシルは歯を食いしばる。
(メシエじゃない……これは僕への直接的な脅迫だ)
昨晩、父ヴァイゼルが言った言葉が脳裏に浮かぶ。
「我らが何も動かなければ、次はセシルが狙われる」
(……そうだ。脅迫文は、メシエを動かすための道具。本命は僕だ。ここで負ければ、全てが崩れる)
周囲の景色が、今まで経験したことないくらいの速度で過ぎ去っていく。何もかも記憶に残らない、時間の流れが速すぎる。目の前の光景が噓のようだ。
――前夜の密談/セシルの視点
夜の帳が下りたアナリヴォ高地のジンマリウス家特別会議室――そこにジンマリウス家とシャルロット家の当主たちが静かに対面していた昨晩。
「……我が娘を、あのような見世物に出すなど、狂気の沙汰だ」
シャルロット・レオンの低い声が静寂を破る。
「承知の上だ。だが我らが何も動かなければ、次はセシルが狙われる」
ジンマリウス・ヴァイゼルの声は冷徹だった。
その言葉に、セシルの母であるオルテンシアは眉をひそめた。
「どうして、子どもたちが戦争の代償のような役割を背負わねばならないの? 彼女たちはまだ若いのよ……未来を守るべき私たちが、彼女たちの未来を脅かしてどうするの……」
「……それでも、守るべきものがある。政治とはそういうものだ」
ヴァイゼルが静かに応じる。
シャルロット家の夫人・メリサもまた、母として口を開いた。
「メシエは……この子は、自由に笑って生きるべき子です。貴族の娘であっても、運命に縛られずに……」
その言葉に、一瞬だけ空気がやわらぐ。
だが、現実は非情だった。
「……話は以上だ」
ヴァイゼルが椅子を立ち、部屋を出ようとする。
その瞬間、セシルがメシエのもとへ歩み寄ろうとした――が、その前にレオンが手を差し出して遮った。
「……余計な言葉は、今の彼女を惑わせるだけだ」
ヴァイゼルもまた、セシルの肩に手を置いた。
「すまんが……静かに、見守ってくれ」
セシルは、悔しそうに拳を握りしめながら、その場に立ち尽くした。
(メシエ……)
その胸の内には、言葉にできない想いが渦巻いていた。
そして、夜が更けていった――。
セシルとメシエの気持ちが交錯する中、彼らの気持ちはどこか遠くに飛ばされて消えて行ってしまうのだろうか?




