記録66 神話航路ースカイラント・レース開幕
さあ、いよいよ、スカイラントレースが始まる!!
上空には、燃えるような橙の恒星エレイオスがのぼり、アナリヴォ高地街区の特設アリーナはすでに熱気と興奮で満ちあふれていた。
空間に浮かぶ巨大ホログラムモニターの数々には、各レーサーの顔、名前、出身惑星、機体名、スポンサー企業名が立体的に表示されており、スクロール操作で詳細なプロフィールまで即座に確認できる仕様だ。
それを見上げながら、観客たちは酒を片手に声を張り上げ、祭りのような熱気を肌で浴びていた。
「見ろよ、あれ!第8航宙機構がスポンサーについてるってことは、あの機体、最新の重力調整装置内蔵してるぜ?!」
「俺はあの惑星モリクス出身のレーサーに賭けた!あいつ、去年の惑星間カップでも準優勝してんだぞ!」
「こっちのスポンサー名見ろよ……なんて読むんだこれ、ヴァル=グローム重工? 聞いたことねえが、なんかヤバそうだな……」
「やばいって……この星に来たかいがあったぜ……!」
観客たちの歓声が渦巻く中、巨大ホロスクリーンに切り替わったのは、銀河規模の通信局が誇るオリンピア専属の実況・解説陣。 その声が、会場中に響き渡る。
【実況】
《さあッ!いよいよ始まります!銀河世紀4年に1度きり――宇宙最大のスポーツの祭典オリンピアに繋がる、次世代模擬本戦、スカイラント・レースがいま、火蓋を切ります!!》
【解説】
《忘れてはならないのは、今回のレースは惑星メリナ伝統の空競技スカイラントレースを、超最先端に昇華させた模擬本戦であるということ。かつては地元の祭事として空を舞う“浮島越え”に始まり、いまや銀河規模のスポーツイベントへと進化したのです》
【実況】
《しかもこのレース、単なる直線コースじゃありません!惑星メリナを横断・縦断の2部構成、各32,010キロを走破する、超過酷な二連型大航宙レース!!》
【解説】
《第1部は惑星を横軸に貫く“黄昏航路”――都市と廃墟と密林を抜ける変化に富んだルート。第2部は縦軸“天頂の懐”――断続的に高低差のある“空の裂け目”を縫う、高度な航行技術が問われるルートです》
【実況】
《その総距離は、64,020キロ!惑星メリナ一周が約50,218キロですから、その1周を超える――全体で4日間に及ぶ超ロング航行!!まさに神話の距離!》
【解説】
《そう、これは偶然ではありません。この距離、実は銀河神話に記される古の英雄“オルビ=スレイア”が、失われた星“カサンドラの涙”を求めて歩んだとされる旅路と同じ距離。彼の旅は、後に“挑戦の軌跡”と呼ばれ、多くの航宙士たちにとって“越えるべき神話”とされてきました》
【実況】
《つまりこれは――ただのレースではない!!銀河に名を刻む者たちの、神話の再現ッ!!己の限界と星の運命を懸けた、宇宙の意思との闘争だ――!!》
【解説】
《そして、この模擬戦は本戦種目アストラルレースの開催権をめぐる選定試験――つまり、このレースで惑星メリナが次回のオリンピア本戦会場に選ばれるかどうかが決まるんです!》
【実況】
《勝てば惑星経済は100倍規模に膨れ上がる!栄誉!資源!航路!国際影響力!一つの星の未来が、この空にかかっている!!》
【解説】
《そして面白いのは、メリナは重層式地殻浮島構造という特殊な惑星だということ。浮遊大地が三次元に入り組み、風速や重力の変化が激しい。選手たちはその過酷なフィールドを駆け抜け、この長距離を踏破する必要があります》
【実況】
《そして今回、初の試みとして導入されるのが――転位ゲート!惑星上の各チェックポイントを通過することで、レーサーたちは瞬時に別のフィールドに転送されるのですッ!!》
【解説】
《しかも~、このゲート、通過直前の機体情報と環境調整が一致していないと――転送後、機体が崩壊する恐れすらあるという、まさに賭けのシステムです》
【実況】
《つまり、これはパイロットの腕前だけの戦いじゃない!!各レーサーのバックには専門技術チームが何十人も張りついてるんだ!!高度な気象予測、転位座標の計算、機体調整、戦術判断――これは技術と人智の総力戦!銀河を懸けた、最先端のスポーツだッ!!》
おおおおおおおおおお!!!!――爆発するような歓声が響き渡る
【実況】
《さあ、観客の叫びが、空を揺らす……惑星メリナの空を舞うのは、未来か、それとも――破滅か!?歴史が、今、刻まれる――!》
【実況】
《――さあ、全機、チェックゲート001を通過!!第一区画、水平航路アナリヴォ・ストレートへ突入だァ!!》
ブオォォォ……!
ジェット噴射と衝撃波が街の上空を駆ける。観客が一斉に湧き上がる。
そしてその刹那、各地の観客たちが息を呑む。レースは、ただのレースではない――
これは、神話を体現する者たちの、星を懸けた闘いなのだと。
――音が消えた……。
機体のバイザー越しに、遥か先に伸びる光の道だけが見える。
父の言葉、母の沈黙、メシエの表情……すべてが、僕の背中を押している。
「ジンマリウス家が、何より誇りを重んじる家だとしても。それでも僕は――」
――ならば、僕がやるしかない。
「星の代表として、一人の男として、僕はこの道を走る」
本戦出場は果たした。だが、それがゴールじゃない。
勝敗が決まるまでの道程は、まだ長い。
この3日の間に、僕は――答えを出さなきゃならない。
あるいは、もう少し感情寄りにして、メシエを守るためにどこかで負けるのか。
家の誇りのために、どこまでも勝ちにいくのか。
この3日間で、そのどちらかを選ばなきゃならないんだ。
──セシルの視界には、ただ青白い稲光のように閃く航跡が連なっていた。
レースは始まった。惑星メリナを東から西へ駆け抜ける、全長6万キロを越える空の戦場。スタートと同時に、200機の機体が一斉に宙へ舞い上がった。観客席からは熱狂の声が空を割り、実況の声が会場全域に響き渡る。
《さああ!!飛び出しました!ジンマリウス・セシル・アルジェント――優勝候補筆頭、その機体、エンヴァル・シグマ型はまさに音速を超える白銀の閃光!今、その4枚の翼がエレイオスの陽光を裂いて、伝説を描こうとしています!!》
だが、そのセシルの表情は、歓声とは裏腹に曇っていた。
──メシエは、無事なのか?
彼は目を閉じ、一瞬だけ風景を断ち切る。
「……僕は勝たなければならないのか。いや、勝ちたい。だけど……あの子が、苦しんでいるかもしれないってのに」
ふと、無線に呼びかける。
「メシエの様子は?何かわかったか?」
だが、返ってきた声は冷静だった。
《……何を言ってる、セシル。集中しろ。ここは戦場だぞ!》
「……っ!」
耳を打つその叱咤が、彼の迷いを断ち切った。
彼の機体が、低空で揺れる気流を裂きながら加速する。
その背後、各勢力のエースパイロットたちも一様に、その動きに気づいていた。
「……チッ、こいつ、最初から全開かよ」
惑星ベルトリオン代表、異形の生体融合型機体に搭乗する魚人属リザ・アルグレア。濃紫の瞳がスコープ越しに銀翼を捉える。
「まさか、あの貴族の坊ちゃんがここまでやるとはな……侮ってた」
コロニーミリュール代表、氷のような口調の爬虫類オリガ・サンデラ。彼女の機体は沈黙しながらも、重力の縁をなぞるように最適軌道を刻む。
「……やれやれ、誰もかれも、星の重さを背負ってんのか。だが、俺も後には引けねえんだよ!!」
自由浮遊都市コロン代表、陽気で喧しい小人類フレア・リックス。だが、その操縦桿を握る指には微かな震えがあった。
誰もが見ていた。
その背中を。
勝利を求める背中ではない。
何かを守ろうとする、その切実な疾走を――だが……。
「……皆、気づいてる。あの飛び方、何かがおかしいって」
実況が呟くように語ったその一言に、観客席の誰かが続けた。
「あれは……戦ってるんだよ、自分と。たぶん、誰よりも」
セシルの機体が、水平飛行をやや外し、低空から一気に雲上を駆け抜けた。
レースはまだ始まったばかり。だが、誰の胸にも刻まれた。
「――全員が、それぞれの世界を背負ってる。命より重い、故郷の未来を」
空は美しかった。
エレイオスの陽光が、戦う者たちの航跡を七色に染め上げる。
セシルの視界に再び広がるのは、遥かな未来と、救いたい少女の姿だった。
――シャルロット邸/地下回廊・密議の間
重厚な石壁が空間の温度を奪う。祝祭に湧く都市の中心で、この空間だけがまるで時間から切り離されていた。シャルロット・レオンは、数名の側近と共に、蝋光の下に立っていた。顎に手を添え、前に広げられた情報端末に映るデータを睨みつけている。
その目には怒りも焦りもなかった。ただ、ひたすらに計算と判断だけがあった。
「……ジンマリウスのヴァイゼルは、今や主賓の座にある。王の御前を離れられぬ立場ゆえ、直接的な動きは取れまい。だが──」
「彼の部下は動いております、レオン様。我々の足取り、セシル様の行動……すでに何かを察している可能性があります」
部下の報告に、レオンはうなずいた。
「こちらも動く。王家に動議を出すには時期尚早だが……貴族院のうち、我らに近い家門への上申は検討すべきだろう。もしもの時に、シャルロット家が正統性を持って訴えられるように」
「まさか、メリナ議会を巻き込むつもりですか?」
「……それすら検討せねばならぬ時だ。セシルがレースを走りきればそれが一つの証明になる。だが、やつらの狙いはその前に切り捨てることだろう。私もヴァイゼルもそれは分かっている」
レオンはそこで小さく息を吐いた。
表情は硬いままだったが、目の奥にはごくわずかな、迷いにも似た色がにじんでいた。
「家門を守るために、娘を犠牲にする――そんなことは絶対にしない。だが……この惑星で、正義を貫くだけで何が守れる?」
言葉は宙に浮かび、誰もそれに答えられなかった。
レオンは端末の画面に指を走らせ、貴族院への下書きデータを一つ残す。
その内容はまだ“未送信”のまま。
だが、それが意味するところは明白だった──シャルロット家もまた、切り札を用意しつつある。
そして再び、観客が湧きたつ――セシルを先頭に無数の機体が空を交錯し、まさにドッグファイトの様相だ。
「うわ!!!あっぶねえ!……すげえ、ヤバいだろ今の?!」
「かっけえ」
「初日でこれかよ」
「綺麗……でも駆け引きも見どころだね……」
観客の熱狂は最初から全開だった。
「ん?……なんだこいつ、急に甘えた走りしやがって、何かのトラブルか?……だが俺だって、このレースで勝たなきゃ、故郷が干上がる。引きずり下ろすぜ、坊ちゃん」
惑星バルツァ=ルグナー出身の獣人属猫科、ガル・ヴォルドン。彼は過酷な砂漠星で水源の支配が貴族階級に握られつつあり、優勝することで国から独立水利網を構築しようとしている。
「お前も誰かを守りたいんだろうな……だが俺も、あの子を病床から連れ出すには、金が要るんだ。譲らんぞ」
惑星ネブラ=マグノリア出身の鳥人属猛禽類、ユリウス・フラウド。静かな研究惑星のエンジニア出身。妹は環境汚染で難病に苦しんでいる。優勝することで惑星最先端の医療が約束されていた。治療に移住費、生活費が一挙に約束されている。
「みんな、背負ってる。だからこそ、ここでは迷うな。迷いは、死だ。覚悟を決めろ――ジンマリウス・セシル・アルジェント」
惑星アリアンロッド出身の人間種、セレーネ・ロシュフォール。軍属上がりの女傑。星の再建に人生を懸けるシングルマザーで、レースの勝利が支援団体の資金に直結する。
「星の未来は俺の肩にかかってる。英雄ってのは……立ち止まらないものだろ? あんたも、そうだったはずだ」
惑星シルファル出身の妖精属との混血、イオ・クレメンティア。若き政治家候補として民衆の希望を背負う少年。レースは彼にとって「世界に意思を示す舞台」だった。
それぞれが、各々の空を駆けていた。
それぞれが、各々の地を背負っていた。
だからこそ、このレースに「遊び」はない。
負ければ終わり。勝てば、未来が見える。
それが──スカイラント・レース。惑星の名誉と命運を懸けた、“真の戦場”を駆けていく。
様々な人々の夢と希望と野望と欲望が入り混じるオリンピア!
平和と尊厳の中に渦まくそれぞれの想い。
見届けてください。




