記録64 素顔は踊ることなかれ
さあ、オリンピア開催まで間もなく!
――鋼鉄と透明材で組まれた軌道ゲートの発着場。その上空に浮かぶ巨大なホログラムが、今日という日が特別な一日であることを高らかに告げていた。
惑星メリナ――ゼルグラードの根跡に建造された空中スタジアム。その周囲には各星系からやってきた群衆が集い、頭上を滑る垂直離着陸機と無数の旗が混じり合い、視界を彩る。
「……っ痛……。騒がしいな」
ケイは人波から一歩退いた場所で、風に翻る星々の旗を眺めながら呟いた。
「当然でしょう。祝祭の舞台に静寂は許されません。群衆が求めるのは熱狂ですから」
隣に立つアイの声は、騒音にかき消されそうになりながらも冷静だった。
頭上のスクリーンが一瞬、黒く沈黙する。
次の瞬間、**空中音響網**が起動し、空間に澄んだ鐘音が広がった。
ファンファーレのようでもあり、どこか儀式めいた音だった。
《――スカイラント・レース、開幕まで残り8時間となりました! 本日は、数ある選手の中から、今大会で特に注目されている実力派たちをご紹介いたします!》
群衆がざわめき、各国語の歓声が湧き上がる。次々に映し出されるのは、今大会に出場する空翔ける者たちの姿だ。
【Entry No.004】
「亡翼」ガルム・ヴォルグ
出身:惑星シグルズ
人種:ヒト科獣人属狼種
《かつての戦場で“戦鬼”と恐れられた元傭兵!低酸素・高重力環境の出身で、その筋力と耐久性は異常値。今は辺境の村で隠遁生活を送っていたが、再び空へと戻ってきたぁ!!》
映像には、無言でマシン『スレイ・ナイト』を整備する巨体の男。灰色の毛皮と義手が、過去を物語る。
【Entry No.089】
「流星の魔女」サーシャ・リュミエール
出身:惑星レノア=ルーメ
人種:ヒト科妖精属耳長種(純血)
《 高重力と薄明の惑星に育った、小柄な女性パイロット。空間跳躍に近い飛行挙動で知られる技巧派だ!》
無言で舞うような旋回に群衆が息を呑む。『リュシオール』と名付けられた愛機は、彼女の身体と同様、軽量で俊敏。
【Entry No.131】
「超光速の詩人」カルディナ・サレフ
出身:コロニー:ソリュシオン=フォルテ
人種:ヒト科鉱晶属女性体
《音響共鳴体を持ち、音で空間を“感じる”異才の飛行士!鉱石のような半透明の身体は音を反射・共振し、その全身がセンサー代わりとなる。常に旋律とともに飛ぶその姿は、まるで空を奏でるよう。共鳴と操縦が一体化した彼女の飛行スタイルは、詩的で異質――だが観客を虜にする!》
【Entry No.057】
「空の処刑人」ヨアン・マルストロム
出身:惑星ヴァル=ジル
人種:ヒト科鳥人属
《有翼種一撃必中の妨害飛行で知られる元ハンター!》
映像では、自作のスナイパースコープを覗き込む姿が映る。精密狙撃によってレースの障害物を排除し、己の道を切り開くスタイルは賛否を呼んでいる。
【Entry No.174】
「孤高の貴公子」タリオ・ノヴァ
出身:惑星アーヴェンタス
人種:ヒト科人間種
《 旧王政文化を色濃く残す星の若き貴族。完璧な立ち居振る舞いと堅実な飛行で知られるが、出資は乏しく、すべてを一人でこなす孤高の男だ!》
雨の中、一人でマシン『シルフィード・アルテミス』を整備する姿にファンも多い。
そして――
《次なる選手は、我らが誇るこの星の象徴!》
ホログラムが切り替わり、銀色の閃光とともに式典会場が映し出される。
《ゼルグラードの申し子――ジンマリウス・セシル・アルジェント!》
群衆の歓声が爆発する。
白銀の式典服に身を包んだ青年が、関係者に囲まれて歩いている。 その姿はまるで神話の登場人物のようだった。
しかし、ケイの視線はその隣にいた少女へと向かっていた。
白いドレス、整った容姿。カメラに映る少女は、静かに笑っていた。
そして――
「……目が、笑ってないな」
無表情に近いその視線の奥に、沈んだ感情の波が見えた気がした。ケイの声に、アイが振り返る。
「はい?」
「いや、なんでもない」
その目だけが、異質だった。あれは昨日、群衆の中で目が合った少女、名をメシエと言った。あのときとは違う。笑っているようで、笑っていない。 誰かが作った仮面のようだった。
周囲では、群衆がざわつき始めていた。
「え、誰あの子?」
「めっちゃ美人だけど……初出じゃない?」
「やっぱセシル様の婚約者か?」
「違うわよ、シャルロット家のお嬢様よ。有名な文化系の貴族」
「ふーん、でもコネだよね。絶対に」
そんな中でアイが静かに言った。
「幸福の中でも、人は隣を叩かずにはいられないようですね」
ケイは無言で頷き「……そんなもんだろ」と、誰に聴かせるでもないに声で呟いた。
そのとき、セシルがメシエに身を寄せ何かを囁くと、ケイの目が細くなる。
(……心配するな。大丈夫だ。俺に任せろ)
読唇、ケイはその言葉を正確に読み取っていた。
「……やっぱりな……」
「何か?」
アイが問う。
ケイは視線をモニターから外し、空を見上げて笑った。
群衆の熱気は最高潮に達していた。ネオンライトの渦と歓声の波が、空に浮かぶホログラムモニターを照らす。
観客の興奮とは裏腹に、ケイは無言で佇み、映像の奥――あの少女の瞳に目を留めていた。
その少女は星芒旗を掲げたレースクイーンの一人として、表舞台に立っていた。
「――気になりますか?あの少女」
ふと、隣のアイが問いかけてくる。
「さあな」
ケイは口元だけで笑った。
「ただ……面白いもんが見れそうだからな」
アイは頷き、静かに手元の端末を操作した。
「珍しいですね。あなたがヒトに興味を示すなんて――では……少々お時間を」
彼女の瞳が淡く光り、瞬時にネットワーク接続が始まる。アイは数秒で端末を操作し、解析を開始する。ホログラム上に情報が展開され、淡々と読み上げられる声が空間を満たす。
「彼女は――シャルロット・メシエ。文化貴族・シャルロット家の一人娘。シャルロット家は、ゴンドワナ連合王国の西端部にある鉱山資源を基盤に、一世紀前に宝石加工業で台頭。現在は医療、教育、文化財の流通・保存など、多角的に事業展開する名門貴族です」
淡い光に包まれて少女の略歴が映し出される。
「ジンマリウス家とは二世代以上の取引関係にあり、現在においても財政基盤の約28~34%がシャルロット家の供給網に依存していると推定されます。両家は長期的な戦略的連携関係にあり、社交界では政略的にも極めて親密と見なされています」
一拍置いて、アイの声が続く。
「なお、シャルロット・メシエとジンマリウス・セシル・アルジェントの間には、幼少期からの交流記録があります。公式発表こそ存在しませんが、社交界において“将来の婚約者”と称されることも多く、招待状の序列や陪席配置などからも、それを裏付ける動きが複数確認されています」
ホログラムに少女の写真が再び映る。
そこに映る完璧な笑顔は、あまりに均整が取れすぎていた。
「――世間では、次代の文化象徴とまで称されています」
ケイはその名を静かに繰り返す。
「シャルロット・メシエ……ね」
その声に、アイが問う。
「情報としては以上ですが……ご所感を?」
ケイは、短く吐息をついたあと、皮肉気に口の端だけを吊り上げた。
「……つまり、金ヅルの娘ってことか」
アイは即座に応じた。
「俗な表現ですが、経済的・政治的に見れば的を射ています。ただし――彼女個人の本心までは、どの情報網にも記録されていません」
……沈黙が落ちた。
ホログラムの彼女は、何も語らず、ただ笑っている。
ケイはそれを聞いても、特に驚いた様子を見せなかった。予想どおり――ケイは、ただ薄く笑った。
「……笑えるな」
アイが振り向く。
「何が……」
「よく見ろよ。あの目が沈んでんのに誰も気づかねぇ。 祭りってのは便利だな。嘘も夢に見える」
「なるほど、確かにそうかもしれないですね」
アイが少し目を伏せる。
「……彼女の立場なら、周囲の誰かに本心を伝えるのも難しいのでしょうね」
このとき、祝祭の熱気とは裏腹に、静かに、確かに――少女の背後には、誰にも気づかれぬままに冷たい風が流れ込み、陰謀の影がゆっくりと忍び寄っていた。
セシルが群衆に向けて手を振る。 一見すれば、完璧な微笑と、貴公子然とした立ち居振る舞い。誰もが彼のカリスマに歓声を送った。
だが、ケイの目は別のものを捉えていた。
「……あれが、挨拶か?」
セシルの指の動き――それはわずかに、だが明確なパターンを描いていた。 一般人にはわからない。だが、訓練された警備員たちは、確かに反応していた。
「あれは……誘導か? いや違う。あれは情報を送ってる」
セシルは表情ひとつ変えず、群衆の中心に立ち続けている。
少しの動揺、少しの緊張、ほんのわずかな迷い――だが、それらは仮面の奥深くに隠され、誰にも悟らせない。
「完璧な立ち振る舞い……まるであれが彼の本性であるかのようですね」
アイは、瞳をわずかに細めていた。
「ただ……揺れています。あの男の瞳……ほんの一瞬だけ、光の焦点が乱れました」
セシルの微笑は変わらない。 群衆の歓声に応えるその姿は、まさにゼルグラードの申し子。
だが、ほんの僅か――その仮面の奥に、揺らぐ人間の気配もあった。 それを見逃さなかった者は、ケイと、そしてアイだけだった。
ケイとアイだけがメシエ、セシル、そして、このオリンピアに潜む違和感を覚えている。
ただじゃ終わらない日々が始まろうとしている。




