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記録63 祝祭の群青―銀翼の序章

さて、オリンピア開催地、メリナ。

オリンピアとは?

この惑星とは?

この惑星での出会い、出来事、全てが始まろうとしている。

祭の前日。

聖域『ゼルグラードの根跡』へと向かう主要道は、すでに多くの人々で賑わっていた。各国からやってきた記者たちの姿、星々の旗を身にまとう応援団、そして仮設ブースで機材を調整する技術者たち。空には垂直離着陸機が旋回し、会場となる切り株状の大地の縁に、巨大な競技スタジアムが空中構造体として築かれていた。


――空に浮かぶ都市。

ケイは肩をすくめると、風に翻る旗を眺めた。そこには、スカイラント・レースの公式エンブレム――翼を広げた獣と螺旋を描く空路があしらわれていた。すべてが「空の祭典」の始まりを告げている。


ケイとアイは、人波に混じりながらも一歩引いた位置からその光景を見つめていた。

「騒がしい星だな……」

ケイが目を細める。

「当然です。祝祭の舞台は、静寂を許しません。群衆が期待するのは熱狂ですから」


華やかな衣装をまとった市民たちが色とりどりの旗を振り、蒼と金の儀仗服に身を包んだ案内人たちが観客を整然と誘導している。その中でもひときわ熱狂的な歓声が飛んだ。


「見て見て!本物だよ!セシル様だ!」

「白銀のジャケットって、やっぱ本人仕様なんだ……!」

「やばい、オーラが違う……生で拝めるなんて奇跡!」

「セシル様ぁぁあ!こっち向いてーっ!」

「きゃー!今の見た!?絶対今のは保存版だよ!録ってる録ってる!?お願い消さないでよー!」


歓声の先に、数名の関係者に囲まれて歩く一人の青年の姿があった。

白銀の式典用コートに身を包み、整った顔立ちに背筋の伸びた歩様。群衆がざわめくのも無理はなかった。

三大貴族の嫡男。優勝候補筆頭の青年――ジンマリウス・セシル・アルジェント。


ケイは遠巻きにその姿を見やり、低くつぶやく。

「……なんだ、あれが本命か」


「民間の反応だけで言えば、すでに英雄ですね」

アイは淡々と答えたが、視線はケイの背後に向けられていた。


そのときだった。

セシルの名を叫ぶ群衆の間を、制服姿の少女たちが駆けていくのが見えた。弾むような足取り、笑い声、紙吹雪。だが、その中のひとり――少女が、不意に足を止めた。


ケイはふと、視線を上げる。


群衆の間を縫い、数十メートル先にいたその少女と――目が合った。

確かに、そう感じた。


少女は、その場に立ち尽くしていた。

長い髪を肩で揺らすその少女は、顔立ちに幼さと気高さを併せ持っていた。

名前も知らない。見覚えもない。けれど、確かに……その瞳は、自分を見ている。


なぜか、その一瞬だけ、周囲の音が遠くなった。

騒がしさも歓声も、色彩も、何もかもが霧に包まれたように。


(……誰だ?)

ケイの胸の内で、答えのない問いが浮かんでは消えた。


そのとき、少女の背後から声が飛ぶ。

「メシエ!? なにしてるの、早く! セシル様行っちゃうよ!」


はっとしたように少女が瞬きをする。

そして、何事もなかったかのように、友人たちの後を追って再び走り出した。


ケイは、ただその背を見送った。

「……今のは」


「?」

アイが振り向くが、ケイは何も答えなかった。

彼女には、あの一瞬の交錯が見えていなかったのだろう。


それ以上の説明はなかったし、必要もなかった。だが、胸のどこかに残った違和感だけが、彼の思考の底で静かに疼いていた。


霧に溶けるように、少女の姿が人混みにかき消える。


視線を交わしたのはほんの一瞬だったが、その一瞬だけは、確かに世界の音が止まっていた。

ケイは立ち止まり、何かを追いかけたい衝動を自ら戒めるように、肩を小さく揺らしてため息を漏らした。


「……気のせいか」


「え?…… 何か言いましたか?」


アイの問いに、ケイは首を横に振る。

その瞳に残る微かなざわめきは、次の瞬間にかき消された。


この星で、何かが始まろうとしている――

そんな確信にも似たざわめきが、胸を離れなかった。


上空に――光が集まる。

透明なドームを思わせる空間に、白銀の光柱が走ると、やがて都市の中心に設置された巨大投影塔が、スカイラント・レースの全貌を空中に浮かび上がらせた。


――空が、コースになる。

――街が、観客席となる。

――惑星が、祝祭の舞台へと姿を変えた。


立体投影されたコースは、数千キロにも及ぶ空中ルート。浮遊島群(エアアーク)をいくつも縫い、峡谷の間をすり抜け、雷鳴が轟く“雲海の断崖”、さらには沿岸の町アルアの祭り会場すらも経由するという。


観衆がどよめき、歓声を上げる。

「これが……全貌か。……すげえ……」

「単なる競技じゃなく、国威と技術の展示会ってやつだね」


アイが腕を組みながら呟く。

その分析は冷静だったが、ケイの方は視線を立体マップから外し、会場に集まる観衆をじっと見つめていた。


──熱狂し、浮かれる人々の波。その中に、明らかに浮かない視線を向ける者が数名いた。軍人とも傭兵とも取れぬ黒服。通信端末を耳に当て、わずかに頷きながら群衆の裏手へと消えていく。


(あの視線……)


ケイの直観がざらついた。

この惑星に漂う祝祭の甘い香りの中に、確かに裏の匂いが混じっている。



再び空を見上げれば、立体投影の中でレーススタート地点が映し出されていた。

試験用レース《オープニング・ルートA》。

ここから数日かけて、模擬とはいえ世界に中継される戦いが始まる。


「始まるな」

「はい」


ケイは、立体投影の中で始まりを告げるレースの映像を見やりながら、ふっと口元をゆがめた。


「ま……好きにやらせときゃいいさ」

「ええ、私たちには関係のないこと、ただ普通の世界を学びに来ただけ」


そう――これは他人の祭だ。

欲望と称賛と権威がぶつかりあう、眩しすぎる星の物語。ケイにとって、それはまるで別の銀河の話のようだった。

それでも、時折、誰かの視線や気配が、祝祭の陰に紛れた「死の匂い」を運んでくる。

ケイは、ただそれを感じ取るだけだった。



その夜。

ケイとアイは宿に戻っていた。上階の共有スペースでは、半球状のホロスクリーンにレース特集番組が流れていた。


「……中継だな」

「はい。前日特番――レースの仕組みと注目選手の紹介、とのことです」


番組では、実況と解説者が熱を帯びた声で語っていた。


《スカイラント・レースは、速さだけを競うものではありません! 飛行ラインの創意工夫、回避テクニック、空中アクロバットなどを加点評価する“芸術点”の仕組みが特徴です!》


《さらに注目すべきは、搭乗者たちに肉体改造を一切認めていないという規定!あくまで純粋な「ヒューマン」の技術、操縦技術と空間把握能力が求められる、極めて繊細かつ過酷な競技となっています!》


続いて、注目選手たちのプロフィールが映し出される。


「またあの白銀か」


ジンマリウス・セシル・アルジェントの映像が流れ、彼のマシンが紹介された。

空中機動に特化した『エンヴァル・シグマ』。四枚の可変翼を持ち、主推進には“反転重力エンジン”を搭載した最新鋭機だった。


《ご覧ください、この美しいフォルムと出力安定性。セシル選手は貴族院からの全額支援を受けており、今年の“空の芸術”において最も完成度が高いとされています!》


「……ほぉ。なるほど、確かに美しい造形だな」

ケイが珍しく感嘆の声を漏らすと、アイが端末を操作して補足する。


「この機体は重力制御に優れていますね。爆風にも強く、急旋回に特化した設計……ただ、機体が高性能すぎるがゆえに、操縦者の技量が問われます」


「つまり、あいつはそれだけの腕があるってことか」


やがて、他の選手たちの映像も映し出される。異なる銀河、異なる惑星の代表者たち、それぞれの個性と誇り、機体に込めた理念。さらに、名もなき辺境惑星から突如出場が決まったダークホースや、技巧派として知られる老練の女性飛行士など、セシルに対抗する面々も紹介される。


「これは……あれだな、確かにただの祭りじゃ測れない巨大なイベントみたいだな」


ケイはホログラムの画面を見つめながら呟く。しかし、その瞳はすでにこの祭の奥に潜む“裏”を見据えはじめていた――誰もが浮かれ、誰もが騒ぎ、誰もが夢に酔ったその夜――彼はたった一人、群衆とは逆に冷えていく空気を感じ取っていた。まるで、この祝祭が弔鐘になることを、すでに知っていたかのように――。


情報過多!

ですが、オリンピアは天の川銀河系の最大の祭典。

その一種目のスカイラント・レースの舞台となった惑星メリナ。

何かが起きることは間違いない。

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