記録62 それを欲するのは誰
いよいよ新章、本編へ。
ケイとアイの旅はいつもどこかに違和感がある。
そんな気持ちを一緒に見ていただけると彼らもきっと。
惑星メリナの巨大都市へと二人は降り立つ。
まるで科学と歴史が手を取り合い、長い時を越えて築き上げた調和の結晶のようだった。石畳が続く広場や通りは古都のような趣があり、中世の面影を残す重厚な石造りの建物が並び、アーチ型の窓や鉄細工のバルコニーが通りを歩く者の視線を優雅に誘った。
その街を行き交うのは、最新鋭の自動車と、伝統を感じさせる馬車のような車両だった。だが、その牽引役は馬ではなく、この星特有の四肢のしなやかな獣で、光沢のあるたてがみを揺らしながらゆったりと歩いていた。最新技術と古き風景が違和感なく共存し、平和で豊かな空気を生んでいた。
石造りの建物の壁面には、街の景観を損なうことなく映像を立体的に浮かび上がらせる高度な機器が巧妙に組み込まれていた。ファッションの発信地としても名高いこの通りには、立体映像で服の動きや素材感を伝える広告が流れ、歩く者の視線を奪っている。
行き交う人々は洗練された服装に身を包み、華やかな色彩のローブや、軽やかなコートをまとっていた。この星の先住民はヒト科ヒト属(人間種)であり、黒髪、金髪、茶髪、赤髪……さまざまな色の髪を持つ者たちが自然に混じり合っている。観光に訪れた異星人たちの姿も目立ったが、その賑わいはこの街の誇りのようでもあった。ケイのエメラルドの髪も、染めたものと思われるだけで特に目を引くことはない。
ふと、制服に身を包んだ学生たちの姿が目に留まる。彼らの笑顔や朗らかな声が、街にさらなる活気を与えていた。祝宴の星メリナは、今まさに穏やかな日常の輝きを放っていた。
――この惑星は民主政治と資本主義のもとに成り立つゲイル国家群が大半を占めていたが、惑星の最大勢力であるゴンドワナ連合王国は例外だった。最大の大陸モザンビークをほぼ領するこの国は、近隣の島国と連携する立憲君主制国家であり、貴族階級が存在していた。自然豊かなこの国は宝飾工芸や彫刻、絵画などの芸術分野に秀で、街全体に優雅で文化的な気風が漂っていた。とりわけ今回のオリンピア開催国として、芸術的教育が盛んであり、街の至る所に美術学校や工房の姿があった。
そして、世界の象徴として、ゴンドワナ連合王国の王都アナリヴォ高地街区には“聖域”と呼ばれる場所があった。それは惑星メリナの世界樹の化石跡とされる巨大な切り株状の岩で、まるで神話の残滓のように大地に根を張り、直径は10キロ、高さは500メートルにも及ぶ。
その堂々たる姿は古の神話に語られる『世界樹ゼルグラード』の名を冠し、『ゼルグラードの根跡』とも呼ばれていた。地上から見上げれば空を裂くような存在感を放っていた――
ケイとアイは、その聖域から数十キロ離れた地点に立ち止まり、遥か遠くの空に浮かぶ巨影を眺めていた。
「あれが……ゼルグラード」
ケイの呟きに、アイはそっと頷く。
そのとき、通りすがりの陽気な住民たちが彼らに声をかけた。
「観光客かい?すげえだろ~?あれが、ゼルグラード、我らがメリナの世界樹様さ!」
彼は誇らしげに、そして讃え崇める様にその大地を仰ぎ見た。
「そしてな、あの切り株の中央が、今回メリナを舞台とするオリンピアの種目――『スカイラント・レース』のスタート地点さ!!」
――スカイラント・レースは、古代の巡礼儀式を起源に持ち、空と大地のはざまを駆けることで神々への祈りを捧げたとされる伝統競技だった。やがて芸術性とスピードが融合した乗機競技として洗練され、銀河世紀8年、オリンピアの正式種目に採用されたのだ――
その言葉に、ケイとアイは互いに視線を交わす。
彼らが今滞在しているのは、アナリヴォ地区から三つの県をまたいだ場所にあるルミナステーションのドッグ。アマデウスの損傷を修理するために立ち寄った場所だった。
ルミナステーションは「光の墜ちた地」とも呼ばれ、遥か昔に流星が落ちたという伝承が残る高台の宇宙港複合施設だ。観光船も発着するこの地には、今も地下にかつての戦争時代の補給港の名残が残されているという。
そして、アイの提案で祭を少し味わい、しばしの観光をとの計らいによって、今こうしてこの華やかな街に足を運んでいたのである。
街に立ち並ぶ石造りの建築物も、立体映像で彩られた華やかな広告も、ケイにはただ整いすぎた風景としか映らなかった。優雅に笑い合う人々の姿も、音楽に合わせて踊る学生の群れも……まるで舞台の上で役割を演じているかのようだった。文化、芸術、娯楽――それらを“慈しむ”という感覚が、彼には理解できなかった。目の前に広がるこの世界が、どこか異質で、遠すぎて、何よりも現実味がなかった。
(……オレには、こんな世界はまぶしすぎる)
それゆえに、ケイの目にはこの街の人々がまるで生かされているだけのように映った。幸福に満ちた営みが、どこか機械的で、予定調和で……彼には、自分だけが別の時間を歩いているように思えて仕方なかった。
そして、再び陽気な呼びかけがケイに向けられる。
「楽しんでるかい?」
「なあ、こっち見てごらんよ!」
誰かが手を振り、紙吹雪の舞うアーチの下を指さす。
そこでは大道芸人が炎を操り、歓声が上がっていた。
ケイは反応に迷ったまま、ただ小さく頷いた。
「……ああ」
「……そうか」
それだけの言葉が、彼の限界だった。
その隣で、アイは静かに街の情景を目に焼き付けていた。
陽光を浴びてきらめく広場、すれ違う者たちの軽やかな声と笑顔。祝祭という言葉が示すもの――それは、この世界が今、平和の中にあるというひとつの証明でもあった。
彼女はそれを肯定するように、記録する。
この惑星の祝祭、この街の表情、そしてその片隅で、どこか遠い目をして佇む青年の姿を。
『これは記録である。彼の歩みとともに観測される世界の輪郭を、私は綴る――』
アイの視線は、決して冷たいものではなかった。それは論理に基づく親心にも似たものだ――青年が平穏と呼ばれるものを理解し、少しでも触れることを願うような、観察者としての祈り。
そうしてまた、彼女は記録する。
『この星が、あまりにも美しく、整いすぎているということを――』
この惑星は美しく、まさに平和の象徴と呼べるでしょう。
コレから始まる次年度のオリンピアに向けたレースや街のヒトビトとの出会いは、彼らに何を与えてくれるのか。




