記録61 Requiem Chorale—The Star’s Lament:鎮魂の合唱―星の嘆き
バルゴを救い、惑星を飛び出せ、海賊共よ。
《ザラ……ザザ……ザザザ――……》
ストリングスの先から届く音は、もはや歪み、かろうじて届く微かな囁きとなっていた。
《……ザザ……き……え……か……ザザ――……》
DDの声か? それすらも判別できぬほど、共鳴波は限界に達していた。
「大丈夫よ……」
シェーネはただ、白い吐息とともに小さく呟いた。
その声は、闇に溶け、後ろを流れる冷気に揺らいで消えた。
ここは円柱艦アリアの真下、アンテナ状構造物の直下、地下数百メートル。
バルゴの足跡に導かれた先に眠る神殿は、科学の匂いなき最古の文明が見守り続けた空間だった。
なぜこのような空気も薄く、凍てつく深部に神殿を設けたのか。修行の場か、戒めの場か、生贄を捧ぐ祭壇か。
時の神殿――そう呼ぶにふさわしい沈黙と暗黒が広がっていた。だが、これまで感じなかった何かが、今、彼らに触れた。奥から……冷たくも澄んだ空気がわずかに流れ来るのを、彼らは確かに感じたのだ。
――ストリングスはすでに限界に近い長さ。たどり着けるかどうか、もはや紙一重だった。
暗闇の中、空気の揺らぎだけを頼りに、壁を伝い歩を進める。その距離わずか1キロ。だが、その道程は精神を蝕み、意識を削り取るには十分すぎた。
バルゴはその先を突き進んでいた。
彼の矜持が、論理が、意志が、その歩みを止めることを許さなかったのだ。
シェーネの脳裏に、まるで幻視のようにバルゴの歩む姿が浮かんだ。その背を追うように、ただ黙々と足を運び続けた……。
やがて、暗黒の中に一点の光が見え始めた。その小さな光はわずかに大きくなり、小部屋がその輪郭を露わにした。そこは、神官か、あるいは贄のための祈りの間だったのか、理解はできない。
だが、祈りの場――そう感じた。
そして、ついに……その発光源の袂に、バルゴを発見する。
「――見つけたぞ」
《あ……ほ、本当ですかっ!?》
「ええ、目の前に」
《無事……なのですか?》
「わからないわ。でも、より深い時の檻に囚われているようね」
バルゴは微かな光に手を伸ばすようにして、時の流れから取り残されたように静止していた。
この風化を免れた空間に、ただ一人、神殿の沈黙の守人のように。
シェーネが一歩を踏み出しかけたとき、オダコンがそっと手をかざした。
「しっ……」
シェーネは振り返り、オダコンの瞳を見つめた。
その眼に、ただならぬ緊張と警戒の光を読み取り、静かに足を止めた。
ストリングスの最後の張力が、ピンと静寂を裂くように、かすかに鳴った。その響きは、艦内の誰もが無意識に息を止めるほどの切迫を帯び、骨の髄まで震わせた。
この空間は時を刻むことを拒み続けた。
至る所に刻まれた碑文は声を失った祈りを黙して語り続け、解き明かされることのない古代文字は闇と共に眠っていた。
バルゴが伸ばした手の中、光の穴を塞ぐための小さな蓋があった。
それは発せられる光をわずかに遮っていた。
まるで、その光から漏れ出す何かを止めようとしているかのように。
シェーネが近づくほどに、手を伸ばすほどに光は遠のいた。届きそうで届かない、永遠の彼方にあるかのような光。それは一縷の希望を掴み取るようであり、同時に邪悪な予兆をはらんでいた。
《……慎重に……な》
バードマンの声がか細く届いた。
《……任せたぜ、キャプテン・シェーネ……》
ギャルティスのレゾナンスが共鳴波に乗って響いた。
シェーネは静かに頷き、オダコンと二人、無言でストリングスを強く握りしめた。
擦れ合う糸の微かな音が、仲間たちの詩のように耳に響いた。
そしてついに、二人の手がバルゴの握る小さな蓋に手を添え、その光の穴を閉じた。
その瞬間――僅かな地鳴りが足元を震わせ、これまでの静寂を破った。
数億年の間、止まったままの時が、わずかにその針を進めたようだった。
そして、空へ。
アンテナ状構造物の中心から、空を貫く光の筋が駆け上がった。その共鳴に、アリアの中枢が脈動を取り戻し、大地そのものが微かに鼓動を打った。
だが、その光は嵐をも呼び覚ました。時の光は、蓋を閉じたことで抑えられるどころか、むしろ大地に広く撒き散らされてしまったのだ。
《……ザザ……ザザザザ……!!!!》
共鳴波の通信は絶叫のようなノイズに歪み、艦内、嵐の只中、全域を包み込んだ。
「急げ……!」
シェーネの喉奥から搾り出す声。冷え切った空気を裂くように。
バルゴはその声に応え、意識の底から力を振り絞り、膝をつく身体を起こした。
「しっかりしな……!」
シェーネが彼の手を掴み、オダコンが肩を差し出す。
足元の地が不規則に震え、嵐の咆哮が遠雷のように響く。
《ザザ……バルゴ……戻れ……急げ……ザザ……》
DDのノイズ混じりの通信が届く。
ストリングスの張力はギリギリ、糸が張り裂ける寸前の歌声のようだ。
一行は全速で駆けた。
リラ、ゼム、セオ、カイル……時に囚われていた探索班の仲間たちも次々に意識を取り戻し、震える脚で地を蹴った。
そして――地表の小さなハッチから這い出す影。
「あれは……キャプテンッ!!」
エルナの声が風を裂いた。
冷静さを貫いてきた彼女の声が、熱と涙で揺らいだ。
バルゴは荒い息を吐き、彼女の肩を叩く。
「戻った……さあ、走れ!」
アリアのハッチが開き、全員が駆け上がったその瞬間、
船体が重々しくも確かな推進で宙に浮かび上がる。
《エンジン点火!推進最大!》
エルナの指が制御盤を叩き、円柱艦アリアの管が響き渡った。
重低音が艦内を揺らし、全員の胸に染み込む。
「飛べぇっ!!」
バルゴの号令。
アリアは星の脈動をその身に刻み、嵐を裂こうとする。推進音が艦内の金属を唸らせ、振動が足元から背骨を貫き、全身の血潮が駆け上がるのを感じた。
《ギャル!ティス!切り裂け!》
《ああッ、任せろォ!!》
バードマンが叫び、モーターヘッドの二人が音波の楔を嵐に打ち込む。
嵐の壁が音の刃で裂け、アリアは光の渦を駆け抜けた。
だが――雲の奥から現れたのは、星の拒絶が生み出した幻影の巨影。腕のような影が空を覆い、全てを呑み込もうとしていた。
「なんだ……なんだあれは!?」
ザルヴァトのクルーの声が震える。
「避けられませんっ!」
「慌てるな!あれは幻影だ……惑わされるな!!」
バルゴの声も喉を裂くほどの絶叫に変わる。
だがその幻影はリアルで、重く、スティグマータのように心身に刻まれそうな恐怖だった。
「ヴェルヴェット!ギャルティス!――見せてやる……アリアの咆哮を!!」
バルゴの咆哮が艦体を揺るがす。
円柱艦アリアの管が響きを増し、艦体が淡く光を帯びて艦首へと集まる。共鳴がさらに深く、低く、鼓膜を圧し、床を這い、まるで大気そのものが歌い始めたかのようだった
「放て……ディビナ・カノン!!」
ディビナ・カノンの閃光は、嵐を裂くどころか空間の骨をも断ち、大気を震わせ、祈りと呪いの歌を一瞬で沈黙させた。その静寂は、あまりにも重く、誰も息をすることすら忘れるほどだった。
アリアはそのまま、ヴェルヴェット号、モーターヘッドと共に宇宙の宙へ駆け抜けていった。その軌跡の背後で、ストリングスの糸が光に溶け、静かにその響きを失った。
宇宙空間に飛び出した彼らは眼下に沈黙する、惑星クトゥリウムを見下ろした。星の空に戻った静寂は、数億年の眠りから解き放たれた宇宙の鼓動そのものだった。
惑星クトゥリウムを脱出した。
原始の惑星は進化を拒絶した、幻惑の惑星だった。
そして、その幻惑はそれぞれの肉体と精神に干渉し、スティグマ―タのごとく多くの者たちをこの星の土に返したのだろう。
エピローグへと続きます。




