記録56 第九の弦ーVelvet Strings of the Ninth
ギャルティスを救い、そして!
――ヴェルヴェット号/ラウンジ
薄暗い照明の中、ギャルとティスはテーブルを囲んで、ヴェルヴェットのクルーたちと静かに過ごしていた。艦は第8帯域を抜け、第9帯域へ向けて航行中。途中、ギャルティス団の協力もあり、数名の孤立した海賊たちを回収し、艦内にはかすかな熱気が戻っていた。
バードマンがマグカップを回しながら、ニヤリと笑う。
「……で、あんたら。俺らを艦に入れて平気かよ? 下手すりゃ、この艦のギミックと動力システム、まるっと覚えちまうぜ?」
今更だけど、とギャルは慣れた様子で投げかける。
ジークがすかさず口を挟む。
「そんな心配、今さらしても始まらんだろ。助け合いってのはそういうもんだろ?」
「ま~……、クソみたいな取引で命張るより、今はマシだな」
ギャルが笑って言うが、目は遠くを見ていた。
その表情を見て、DDがそっと口を開く。
「――で?あの神殿でどうやって生きてたんじゃ?」
ティスが小さく息を吸い、迷うように言葉を探す。
「……正直、わからない。……音を失った世界でよ、目的も何も分からなくなって、帰り道も見失ったんだ。でも――」
ギャルが静かに続けた。
「――あぁ、そうだ。声が、聴こえてきたんだよ。周りから……たくさんのヒトの声がさ」
「音も何もない空間で、じゃろう?」
「そーなんだよ……最初はただの幻聴だろってな。互いの声も聞こえねえから、身振り手振りで伝えたよ。けどさ、違ったんだよ……。ありゃぁ、もうこの世にいない奴らの――」
「――祈り……か?」
バードマンが嘴を摩りながら低く呟く。
ティスがこくりと頷く。
「この惑星で、何度も何度も滅びた人たちの想い。祈って、願って、それでも救われなかった……そんな記憶が、あそこには残ってた気がするんだ……。あんたら幽霊ってみたことあっか?俺ら蝙蝠科は、音波を発し、聴きわけることもできる。もちろん聴こえねえ音もあるがな。だからよ、普通の奴らにゃ感じ取れねえ、何か、霊的な力を感じることがあるんだぜ――」
ギャルが天井を見上げ、ぽつりと零す。
「まるでさ……死んでもそこに居続けるために、声を刻んでたみたいだった――」
DDが髭を撫でながら呟く。
「その声が、巨大な影の正体……と、言えるのかもしれんな。進化を拒まれたヒトビトが、形なき神を祀り、そのまま……思念だけを残した――これだけ発展した我々の文明であっても、到底理解すらできない未知、神秘……」
空気が重く、濃霧の様に沈む感覚が流れる。
だが、その空気を察してか、ティスがまたバカになる。
「……俺たちさ、ほんとはあそこで死んでたんじゃね?でさ、何かが時間を巻き戻して、俺らを置き去りにしてった。だから生きてたんじゃないかって」
ギャルが苦笑する。
「はっ、冗談キツいだろ。でも……あの神殿の静寂って、音がなかったんじゃなく、時間が流れてなかったのかもな」
シェーネが一言添える。
「面白い解釈ね。じゃ、次の帯域は……もっとヤバいかもしれないわね」
赤い唇の隙間に白く輝く歯を見せて小さく微笑んだ。
DDは蒸気を吐くティーカップをじっと見つめながら囁く。
「時間とは、心が動いた記録じゃ。もしそれを奪われるなら……お主らは自分を保っておられるかのう?わしらが今向かっている第9帯域、おそらく時間を見失うはずじゃ」
沈黙が一瞬だけ場を支配したあと、DDが指先でホログラムのコントローラを軽くなぞった。ラウンジ中央に設置されたデバイスが音もなく開き、これまで訪れた帯域ごとの観測データが立体映像として浮かび上がる。
浮かんだのは、惑星の地表を中心に展開される9つの帯域――。
「……この惑星は、ただ滅んできたのではない。何度も祈りの果てに滅んだんじゃ。そして、各地に残された遺構が、祈りの痕跡。つまりこれは――」
DDはゆっくりと周囲を見渡した。
「――文明の輪廻じゃよ。進化に挑み、拒まれ、それでも祈った者たちの記録が、この星の帯域として今も機能しとる」
「つまりこの星そのものが、過去の意志を蓄えた“記憶装置”みたいなもんか……」
ギャルが羽を僅かに揺らして、まるで武者震いするかのように呟いた。
DDがホログラム操作を止め、懐から手帳のような端末を取り出した。ページをスライドすると、神殿内部で記録された祈祷盤のスキャン映像が次々と表示されていく。
「……のう、忘れとらんかもしれんが。あの神殿には、9つの祈祷盤があったじゃろ?」
「覚えてる。あの丸い石板が並んだ通りか……」
ティスが頷くと、DDはゆっくりと最後の盤面の画像を拡大した。
「そのひとつひとつには、それぞれ“失われたもの”と、それに対応する“象徴”が彫られとった。視覚、聴覚、感覚、そして……時間、場所、記憶、生と死、そして――これじゃ」
最後の祈祷盤――ホログラムに映し出されたその盤面には、他の盤よりも遥かに巨大な何かが描かれていた。曲線で描かれた鱗のような模様、空を泳ぐ蛇……その中心には、渦を巻く磁気嵐のような彫り込みが刻まれている。
その盤面は、静止画であるはずなのに、見ているとまるで“動いている”ような錯覚を覚えた。
鱗の流れが波打ち、渦が微かに回転しているように――視覚ではなく、記憶がそれを動かしているかのようだった。
「……これは、竜か?」
バードマンが口を開く。
「いや、竜というより……存在そのものが流動する何か。少なくとも、わしらが知る生き物とは異なる」
DDが静かに言った。
「第9の祈祷盤に刻まれていたもの――それは、時間の象徴としての存在。言い換えれば、時間という概念そのものに干渉できる案内人……つまり、“竜宮の使い”じゃよ」
「……神殿は、いや、古代人はそんな生物すら見てたってのか」
ギャルが言い、DDは頷いた。
「この星の文明は、祈ることで、時間を超越しようとしていたのやも知れん。自らが滅びたあとに現れる存在すら……のう?」
その言葉を受け、シェーネが微かに笑った。赤い唇の隙間から白い歯を覗かせる。
「古代の人間たちは、文明が滅びるたびに、自分たちの失敗を“神”として刻んだのね」
ホログラムの竜を見上げながら、まるで独り言のように続ける。
「それを祀った時点で……もう一度、同じ道を歩くことが決まってたのかもね」
ジークがホログラムの竜の映像を睨みつけるように見ながら囁く。
「そいつが今、あの盆地にいるってことか……」
「行こうぜ――」
――磁気嵐外縁/成層圏上空
空は黒紫に染まり、雷の尾が雲を裂く。だが、その嵐の壁の奥にザルヴァトは囚われている。
「高度限界、ここまでだな」
ジークが端末を睨む。
だがその横で、ギャルがフードをかぶり直した。
「……行くぞ、俺が切り拓く」
「はあ!?バカ言え、あそこはドローンもまともに飛ばねぇぞ!」
「だから俺が行く。俺たちとモータヘッド舐めんなよ!」
嵐の中を駆けるヴェルヴェット号から繰り出される細く輝くケーブル。
それに接続され、成層圏上層を舞う小型超速艇モータヘッドが、黒雲と雷鳴の上を滑ってゆく。
ギャルの手にはアナログな羅針盤と骨伝導の音響センサー。
デジタルは全て死んでいた――だが、ヴェルヴェット号の外壁から伸びるケーブルが、まるで天と地を結ぶへその緒のようにギャルティスの魂を嵐へ導いていた。
雷ではない。雲の中で何かが呼吸していた。
それを感じ取るようにギャルは風を読む。
「マジでいやがった……竜だ。竜が泳いでやがるぜ」
一瞬、閃光が雲を走る。
その稲光の中に――一瞬だけ巨大な尾が、雲の奥を横切った。
ザルヴァト商会を救いに、時の監獄へと向かう一行。
磁気嵐と言う果てしない自然の猛威に抗うことが出来るのはお前達しかいない。




