記録55 静寂に灯る、絆の鼓動
ギャルティス救出なるか??
――イレム砂漠/神殿外周/ヴェルヴェット号ブリッジ
ヴェルヴェット号の甲板に立ったまま、ジークとバードマンはドローンを慎重に起動した。かつてザルヴァトが使用していた探索型ドローン。念入りな整備を経て、今再びこの地で新たな任務に赴く。
「接続完了。視覚情報、来るぞ……」
スクリーンに映し出されるのは、静寂に包まれた神殿内部だった。光源は天井の裂け目から降り注ぐ自然光のみ。音は……ない。
「……妙だな。音がない」
バードマンが眉をしかめる。
「通信は生きてる。なのに、音だけが……完全に途絶えてる」
まるで音そのものが、この神殿に吸い込まれていくかのよう。ドローンのマイクは正常に動作している。だが、その場に立ち会う誰もが、自分の鼓膜が一瞬で塞がれたような錯覚に陥った。
ドローンは滑るように進んでいく。壁面には、かつての宗教文明が残したと思しき浮彫、複数の祈祷盤が並ぶ空間。
最奥の広間が見えてきた頃、甲板に立つクルーたちは言葉を失っていた。スクリーンの中、誰かがいた。
「……ギャルティスだ」
石の床に座し、目を閉じたまま動かぬ二人。生きているのか、意識を失っているのか。それすら分からない。ただ、彼らは交互に砂地へと文字を記した痕跡を残していた。
シークレットは映像の端、その傍らに転がる球体を発見する。スフィア型の記録装置だ。ジークが遠隔で回収指示を出し、記録装置を抱え、監視用カメラを残してその場を後にした。
――数時間後、スフィアの再生が始まる。
映像は10日以上にわたり、途切れることなく続いていた。初日は探索の足跡。2日目にはすでに祈りの所作が始まり、3日目以降は無言で砂に文字を描く。
7日目、神殿の天井に雲がかかり突如として雨が降り始める。祈祷盤に水が溜まり、天井の裂け目から差し込む光が雨を照らす。
9日目、雨が止み盤面が光を反射し始める。祈祷盤の奥にそびえ立つ巨像の複眼が淡く輝き始め、神殿全体がわずかに振動したようにも見えた。
そして10日目――祈祷盤に溜まっていた雨水が蒸発し、その霧が天井に向かって舞い上がる。やがてそれは、ある“形”を浮かび上がらせた。
それは、大海原を航行中にヴェルヴェット号から見えた、あの『巨大な影』と同じだったのだ。
映像を見守る面々の中で、DDが小さく息を呑む。彼は端末の記録装置を操作しながら、神殿に残された石柱の文字、祈祷盤の構成、神官像の意匠、そしてノーデンスの森での幻視体験――それらすべてを繋ぎ合わせていた。
「この惑星は、かつて幾つもの文明が挑み、敗れてきた『進化の拒絶』そのものだった……のかもしれんのう」
彼の手元のノートには、すでに複数の古代文字が列挙されていた。ある者は目を、ある者は耳を奪われ、ある者は時の感覚すら奪われていた。DDは呟くように言葉を紡いでいく。
「この惑星の各地にこのような文明が存在するのじゃ。そしてそこに記された古代文字や宗教体系……それらは、時代や種属を越えてなお、驚くほど酷似しておる」
ノーデンスの森では視覚を、イレム砂漠では音――聴覚を奪う。それぞれの帯域には、それぞれの感覚や認識を奪う特性が存在していると考えられる。
「五感を奪い」「時間を」「場所を」「生を」そして「死を奪う」……。
全9帯域。それらが祈祷盤と対応している。
この神殿は、そうした“現象”に対抗しようとした文明の痕跡であり、同時にそれを受け入れようとした祈りの記録だったのではないか。
ギャルティスが祈り続けた理由――それは到達点なのか、滅びなのか。この神殿は、シェーネ達に新たな問いを投げかけていた。
――神殿内部/祈祷の間
ジークが再びドローンを操作し、遠隔で神殿内部へと接近していく。
「このままでは、やつら……魂ごとこの祈りに呑まれかねんのう」
DDが言葉を漏らす。
すでにギャルティスは意志も目的も消失しているように見える。
ジークは船内に設置した外部スピーカーと、スフィアと連動させた音響装置を起動する。
「――特殊音波、発信する。……今こそ、お前らの魂を呼び戻すんだ、ギャルティス」
ギャルティスのモーターヘッドが神殿入口で駆動する。船体に搭載された特殊音響エンジンが、彼らの足音が、心を震わせた“音”を再現する。
科学じゃ解析できない。
理屈では再現できない鼓動。
それは、彼らがこれまで航海の中で積み重ねてきた“心の音”――
故郷の丘で聞いた風の音。
母の声、父の笑い声。
仲間との航海のざわめき、夜の甲板で聞いた波の音。
すべてが、魂に刻まれていた――それは彼らにしか聴こえない。
音が、戻ってきたのではない。
最初から、彼の中に在り続けたのだ。
神殿の静寂に抗うのは、轟音ではない。
それは、彼が信じてきたもの――絆の音。
魂が刻んできた旅の記憶。
科学も理屈も越えて、彼の心臓が“再び鳴る”。
神殿内部の空気が一変する。
石造の巨像の複眼が揺れ、かすかに共鳴音が響く。
ギャルティスのまぶたがかすかに動いた。
「応答あり!脳波反応確認!」
ジークが叫ぶ。
「ギャルティス、目を覚ませ!お前らが求めたのは、これからだろう!」
ついにその瞳が、静かに開かれた――かすかに、胸の奥から――ごく微かにだが、音が生まれはじめる。
静寂の神殿に、ギャルの心臓の音が帰ってくる――信念が、音となって還ってきたのだ。
そして、その鼓動が神殿の奥へと広がる時、ティスもまた、静かに目を開く。その胸にもまた――鼓動が、灯っていた。
ギャルティスは無言で目を覚ました。ただその目ははっきりと、聴こえないはずの音を聴き続け、極限状態でも生還した彼らの叫びを帯びていた。
――神殿外周/ヴェルヴェット号艦内
その後、ギャルティスはドローンによって慎重に担ぎ上げられ、ヴェルヴェット号の格納デッキから医務室へと運び込まれた。まだ意識はぼんやりとしていたが、確かに彼らは戻ってきた。
モーターヘッドはヴェルヴェット号の貨物吊り機構によって慎重に吊り上げられた。超小型とはいえ、旅をするための装備が詰め込まれているその機体は、単なる戦闘艇とは異なり、存在感を放っていた。
「おかえり、夢追い人ども……」
バードマンが静かに言う。
砂嵐がまた吹き始めていた。
まるですべての痕跡を、神殿の存在すらも飲み込むように。それでも、彼らの中には確かな記憶が残った。祈りの音、失われた音、そして――絆の鼓動、それは誰にも奪えない。
――ヴェルヴェット号/医務室
再び眠りについていた二人は医務室のベッドで目覚める。眩いライトを手で遮り、ぼやけた視界の先に見えたのは、ヴェルヴェットのクルーたちの顔だった。
(……あ)
声にはならなかった。
ただ、かすかに口を動かすことしかできない。
「こっちも、めぇ醒ましたぜ」
バードマンの声にギャルが振り向くと、隣のベッドにティスがいた。お互いの顔を見つめ合い、しばしの沈黙の後、ゆっくりと微笑みあう。
ギャルの目尻に一滴こぼれる、ティスが手を伸ばして掴む――――彼らは思い出していた。
あの目的を失った静寂の神殿で、ただ心のつながりだけが、確かな灯だったことを。
二人は交互に、文字をしたため続けていた。故郷のこと、過去のこと、航海のこと――見失わぬように、忘れぬように。
そのすべてが、今ここに繋がっていた。
そして、彼らの胸に、確かな音が再び宿っていた。
科学の力をもって古代文明の真理の試練を乗り越える。
科学の力をもって心の力に火をつける。




