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記録53 進化を拒む星

ザルヴァト商会がたどり着いたこの地は一体??

探索し、そして脱出せよ。

――不明帯域


白い吐息が縦穴の縁からふわりと立ちのぼる。その吐息は霜を帯びた空気に吸われ、音もなく沈んでいった。ザルヴァト商会の探索班は、機器の故障と電磁障害により数日間通信不能となっていたが、ようやく人工的構造物を発見し、報告をバルゴ・サリムへ届けた。


バルゴは報告書を黙読し、構造物のスケッチに目をとめた。指先でなぞるようにしばし見つめ、呟く。


「……この目で見なければならない。理屈だけでは、解けんこともある」


そして、ゆっくりと立ち上がる。


「エルナ」


呼ばれた副官はすぐに歩み寄る。少し緊張の色を浮かべた。


「この任務、私が出る。指揮は君に。艦は――任せます」


周囲の空気が変わった。バルゴが現場に出るなど、異例中の異例だったのだ。


「……了解しました」

エルナの声はわずかに震え、それでもまっすぐだった。


バルゴが去り際、小さく呟いた。

「……懐かしいな」


その背中がエレベーターに吸い込まれるようにして消えると、司令室に沈黙が戻った。


「……あんな方だったか?」

若い管制士が呟いた。


エルナはふと微笑む。

「最初の任務のときも、あんな顔をしていましたね。あの人、若い頃は“一筆のバルゴ”って呼ばれてたのよ。何も言わずに場をまとめる、そんな人だったわ」





静寂と霜の中、探索班の先行降下が開始される。


リラ・ジンは先頭に立ち、ロープを伝って慎重に縦穴を降りていった。セオ・ヴァンオールが彼女を支え、ゼム・クライスが後方を守る。


縦穴の壁面は明らかに人工物であった。鉄のようで鉄ではない、未知なる合成物質で構成された滑らかな壁面、一切の装飾を排した無機質な構造が続いている。それらは時間の経過にもかかわらず、驚くほどの保存状態を保っていた。


彼らが下層に着地すると、薄く積もった銀白色の粒子が靴裏に反応し、ささやかな音を立てる。その粒子は砂ではなく、何らかのナノ構造物質の崩壊残渣であり、光を受けると微かに煌めいた。


「まるで……空間そのものが冷凍保存されたみたいだな」

セオが呟いた。


「……っ」

リラが何か言いかけてやめた。


代わりにゼムが静かに肩をすくめた。

「気にすんな。ここじゃ、何考えても無駄だ」


やがて合流したバルゴが降下を開始。その姿は海賊というより、研究者や探検家のようだった。冷静な観察眼とともに、だが心の奥には確かな決意と危機感を宿していた。


着地と同時に、彼は全員を集め短く指示を出す。

「リラ、前方の構造を解析してください。医療班はここを基点に簡易拠点を構築。全員、感覚の異常があれば即報告を――」


その一言に、周囲の空気がわずかに変わった。

バルゴ・サリムが現場でエルナ以外の名を呼ぶことは稀だった。ましてや探索班の者に対しては尚更だ。

数日前、彼がいなかったときは、隊員たちはどこか肩の力が抜けていた。

けれど今、その声に背を伸ばす気配があった。命令ではないが、それ以上に確かに見られているという感覚。それが、彼の存在を現場に根付かせていった。その声音には揺るがぬ冷静さと、予測不能な事態への対応力が共存していた。


探索班は一つの隊列を保ち、慎重に進行していく。左方の通路は崩落していたが、右方のスロープ状通路は比較的安定していた。バルゴは部隊の分裂を避けていた。極限下での行動には、一つの判断、一つの意志が必要だと誰よりも理解していたからだ。



そして進路の先には、奇妙な反射を示す広間があった。

その広間は天井が高く半球状のドームとなっており、壁面には星図に似た光点が浮かんでいた。

それらは単なる装飾ではなく、記録素子として機能していることがセオにより判明する。


「これは……熱や圧力で情報を反応させてるみたいだ。静電気レベルで動きそうだぞ」


彼が手袋を外して触れると、点がゆっくりと移動し、幾つかの軌道を描いて絡み合った。それは明らかに、天体の運行記録のようだ。


「これで……何を見ていたんだ?」


――その問いも、今となってはもはや知ることは出来ないだろう。


バルゴは奥の部屋へと進んだ。そこには、管制室と思しき空間が広がっていた。壁一面に走る曲面の制御盤や、光を失った中空ディスプレイの痕跡群。


これまでの過程で、彼はすでに気づいていた。

ここにはあの“幽霊”はいないのだろう。

メルカトル事件の亡霊――犯人の影も、証拠もこの惑星には存在しない。

あるのは、熱の無い古代文明の遺物。



壁の奥からわずかに伝わってくる共振のような振動に隊員の通信機が一瞬だけノイズを吐いた。

バルゴは隣にいるゼムの肩越しに振り返る。


「今のを……感じましたか?」

「あ……いえ?」

「振動……いや、微細な電磁波か。このアンテナ様構造物は……まだ何とか生きているみたいですね」

バルゴは静かに頷く。


科学は通用しない。

機器も軋み、観測も不完全で時間さえも歪んでいる。それでも隊員たちはお互いの能力を信頼して探索を続けた。解決するかもわからない現状を打開するために。だから、何を信じるのか――その問いに答えられるものは、一つしかなかった。


「……皆さんこの危機を乗り越えますよ。いいですね?」

「「了解!!」」


彼の言葉に、探索班の面々が互いを見やる。これが、ザルヴァト商会が失っていた何かを取り戻す始まりだった。そして、得られた数少ない情報から推察したこの施設についてを隊員たちに告げる。


「見ての通り、この惑星にはかつて栄えた文明があった。そしてそれは滅び、星は原始の眠りに還った――今、我々の前にあるのは、その名残です」


皆が息を飲む中、彼は言葉を続けた。


「これより先、迷いがあればすぐに口にしてください。不安があれば共有。だが、決して歩みを止めてはなりません。我々がこの遺構に辿り着いたのは偶然ではない」


鼓舞するでもなく、ただ淡々と語るその言葉に隊員たちは気圧されながらも心を奮い立たせていった。


そして進む――かつてこの惑星で何が起きたのかを解き明かすことが、現状の打開策になると信じて。


やがて、解析班が一つの事実に辿り着く。


この構造物――この盆地状地形は死してなお、惑星全体にわずかな影響を与え続けていた。 はるか昔、この星には高度な科学文明があった。 だが星はそれを病とみなし、知性を狂わせる“免疫”を発動した。 それがこの構造物。文明を拒み、進化を拒み、静かに星を守ろうとした装置となった。


「科学の光を受け入れることなく、幻覚や錯乱といった形で文明の芽を摘み取る道を選んだ。この施設はそのトリガーであり、封じられた過去の名残だと思われます」


バルゴの推察は現実身を帯びてきた。


古代文明が創っただろうこの構造物、そして科学は進化を促すためではなく、進化を壊すために働くことになった――それが、この文明の終焉となってしまった。


セオが記録装置の前でぽつりと呟く。

「……こんな場所が。これ……何億年も、誰にも知られず、ただ観測を……」


ゼムがその言葉に頷きながら、地図データに仮名称を入力する。

「じゃあ、こう呼ぶか。第9帯域/悠久の盆地カダス――時間すらわからなくなるこの場所にぴったりだろ?」


その夜、バルゴは静かに報告書をしたためる。

その結びにこう書き残した。


『この惑星は、進化を拒む。神のように、偶像のように、そして邪神のように、すべてを観測し続けている――人々は時代ごとに、文化ごとに、名前を変えてそれを呼んできた――観測者。と』


探索はその後も続いたが、脱出するための新たな成果は乏しかった。構造物の解析は進まず、通信は断続的で、測定機器も満足に作動しない。





時間の感覚はますます曖昧になっていった。

日が昇ったのか、落ちたのかさえ判然としないその空間で、隊員たちは隣人の声だけを頼りに行動を続けた。


徐々に疲労が蓄積し、緊張の糸がゆるみ始める。希望と覚悟に支えられていた空気は少しずつ諦念の色を帯びていった。


「……彼らは、どうなったのでしょうね?それぞれがそれぞれの場所で……この惑星全体が何か巨大な夢を孕んでいるかのようですね……」

バルゴの呟きは、もはや独白ではなかった。


彼と同じように、エルナも、ザルヴァトの仲間たちも、皆がこの惑星の“静かな問い”に耳を傾けていた。

ここは第9帯域、そう呼ぶこととなった。

超古代文明、そして科学文明の痕跡。

ザルヴァト商会は悠久の中に引きずり込まれていった。


ギャルティス、ザルヴァト 彼らはどうなってしまうのか?

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