記録52 Days Gone-過ぎ去ったものたちへ
ノーデンスの森で目的のメルフェノラをついに採取した。
しかし、ぬぐえない違和感、他の海賊たちはどうなったのか?
砂嵐の後、イレム砂漠の石柱林――その最奥。
長年風化し続けた黒い石柱群が、まるで意味ありげな法則で立ち並ぶ地帯。その一角、崩れかけた石柱の裂け目に、奇妙な割れ目が覗いていた。
岩肌に削られたようなその隙間は、砂を巻き込みながら底知れぬ闇へと通じていた。
そして、地面すれすれを滑るモーターヘッドの機体がその手前で減速した。
クリムゾンカラーの細身の機体――ギャルティス団の特注フレーム。
「……ここは……凄いな」
操縦席でギャルが呟く。
痩身の男。無口で端整な顔つきだが、目の奥には奇妙な煌めきが宿っている。
その横で、ティスがキャノピーを勢いよく開けて立ち上がると、身を乗り出し指差す。
「兄貴、やっべぇぜ……あれ見ろよ……」
割れ目の奥、砂と岩に埋もれかけた神殿様構造物が、その姿を覗かせていた。黒曜石のように黒く、時間さえも吸い込むような質感の壁。
そして、両側にそびえ立つのは――異形の神官像。
耳を持たず、胸部にぽっかりと孔が穿たれた巨像。その一体一体が、十数メートルを超える威容で神殿の入り口を守るように並んでいた。まるで、心なき者がこの地に入ることを拒むように。
ティスがモーターヘッドを降りると、足元の砂が乾いた音を立てた――はずだった。
だが、その音はどこかへ消えた。耳に届かない。
足元をみると砂の粒子がさらさらと流れているのが見える。
「……?兄貴、今……足音、聞こえたか?」
ギャルは静かに降り、石像の列を仰ぎ見る。そして、ぽつりと呟いた。
「違う。聞こえないんじゃない。ここには音が存在しないんだ」
ティスが眉をひそめる。
「耳、イカれたかと思ったぜ……でも、確かに変だな。風の音も、兄貴の声も……全部、頭ん中に直接響いてる感じだ」
だがその響きすら、次第に揺らぎ始める。
神殿に近づくごとに、互いの声が掠れ、届かなくなる。
「おい、兄貴……聞こえてるか? おい、ギャル!」
ティスの叫びにギャルが振り向く。
だが、表情から読み取れたのはわずかな困惑と、首をかしげる仕草のみ。
インカムがノイズを帯び、やがて無音となる。ギャルの唇が何かを告げていたが、ティスにはそれがまるで読めなかった。まるで言葉自体が、空間に拒まれているかのようだった。
神殿の奥から、さらに深い静寂が満ちていた。兄弟は無言のまま、その裂け目へと歩みを進める。
ティスがふと疑問を洩らした。
「オレら……何しにここ来たんだっけ?」
ギャルは足を止めただが、その問いにすぐには答えなかった。
静寂の中、音のない空間に誰かの笑い声が響いた気がした――だがそれも錯覚だった。
神殿は、まだその真意を見せていない。
それでも、ふたりは奥へ進む。
通路に刻まれた碑文。曲線的で異質な古代語。見覚えがあるはずのない文字群なのに、なぜか――その意味が、心に直接刷り込まれてくるように感じられた。
ティスが足を止め指差す――
『心を捧げし者、響きに至らん。響きに頼りし者、心を失わん』
ギャルが頷く。
その言葉は音ではなく、まるで誰かの想いが心に触れたかのように、彼の中で理解されていった。互いの顔を見て何も言わずに笑う。口の動きだけで言いたいことを伝える。
そして、神殿の最奥へと兄弟は導かれるように静寂の道を進んでいった。
やがて現れたのは、壁一面に広がる壮大な壁画。
手を繋ぎ輪になって祈るヒトビト。地を這うサンドワームの群れ。砂漠を貫く石柱群。そして、空を舞う竜と、その背後に浮かぶ星々。
それらは色もなく、彫刻と陰影のみで表現されていた。だが、見る者の心に強い印象を焼き付ける。まるで、かつてこの惑星クトゥリウムのこの第2帯域に栄えた文明が、記録ではなく感情で伝えようとしたかのように。
ギャルは思わず立ち止まり、壁にそっと手を当てる。すると、彫られた絵の気配が静かに心の深部へと染み込んできた気がした。
そして、ティスがギャルの肩を叩き示す先、彼らが見上げた天井は大きく穿たれ、漆黒の空間にぽっかりと夜空が覗いていた。
差し込む光を目印に進む。
回廊の壁には無数の小さなレリーフが彫り込まれていた。耳のない神官たちが輪になり、空に向かって両手を広げる姿、そしてその中心に刻まれた触れてはならぬ核のようなシンボル。
通路には、かつての信徒が祈りを捧げたと思われる祈祷盤、円形の石版が等間隔に並び、そのひとつひとつが微かに発光していた。その光は熱もなく、視線を向けるたびに言葉にならぬ詩のような印象を残していく。
その光景は、過去の巨大文明は科学的な発展は遂げていなかったが、果てしない信仰の先にたどり着いた――そんな気にさせるほどに壮大なイメージを二人に植え付けた。
その時、ギャルはふと胸騒ぎのような感覚に襲われた。理由はわからない。ただ、この神殿に何かが眠っている。
名も知らぬ神、記録にも残らぬ存在。それを祀るために、文明は音を捨て心を差し出したのかもしれない。そこには祈りも儀式もあるようで、だが“音”を前提としない宗教体系なのだ。
そして、差し込む光を中心にして螺旋階段が地下深くまで続いていた。
階段を下るごとに、壁の紋様は音階を模したようにも見えた。ティスが思わず手を触れるが、振動も温度も感じられなかった。神殿はすべての感覚を奪うために造られているようだった。
彼らが神殿中央の広間へ辿り着いたのは、それから間もなくのこと。
中心には、巨大な祭壇のような台座。周囲には幾何学的な紋様が石床に刻まれ、時折かすかに明滅する光を放っていた。
先にあったのは巨大な祈祷盤だった。その中心には、一際明るく輝く星がひとつ、瞬いている。一筋の光が、空からまっすぐに差し込み、祈祷盤の中心を淡く照らしていた。その構造は明らかに、誰かがそこに跪き、祈るための場所だった。
そして、その祈祷盤の奥。
ひときわ巨大な、異形の巨像が静かに座していた。輪郭はヒトに似ている。だが、その身体はあまりに歪で、仮面のような顔は口も耳もなく、無数の目のような意匠が全身を覆っていた。
それはまるで、見ることだけを許された神。
声も、聞く耳も持たず、ただ沈黙の中に在る存在。
ティスがその姿に何かを言おうとしたが、声は出なかった、出すことが出来なかった。
ギャルは、ただ静かに跪いた。
この地の文明が、何に祈ったのか。何を恐れ何を願ったのか。それを考えることすら今は意味をなさない気がした。
だがその後、ふたりはそれぞれのデバイスを取り出し、壁画や碑文、神殿様構造物の全景を記録することにした。
文字も、構造も、全てを収める。
(売れるかもしれねぇだろ、兄貴)
ティスが笑った。
ギャルも黙って頷く。目的は曖昧になっていたが情報は金になる。少なくともここを後にしたときのために。
罠はなかった。だが、何も起きないということが逆に異様だった。
兄弟はその場にキャンプを張り、様子を見ることにした。そして、日々が過ぎていく。
ティスは、落ちていた石片を拾い、何気なく床や壁に文字のようなものを刻みはじめた。
意味はなかったかもしれない。だが、それが唯一の行動だった。
記録でも、祈りでもない。
ただ、何かを残したいという本能。
完全なる静寂の中、その行為はふたりの理性が崩れきらないための、かすかな拠り所だった。
到着から8日目を迎えた頃、ふたりの間に言葉はほとんどなくなっていた。
音も気配もない。
目的を思い出そうとしても、頭が霞む。
9日目、10日目――何をして過ごしたのかも、もはや曖昧となった。
11日目、12日目――まるで時間そのものが、この神殿に吸い込まれていくかのよう。
――13日目の朝。
ギャルは静かに目を閉じる。言葉にならぬ想いが、波紋のように心の奥へ広がっていった。
このとき彼の足元には、小型の投影装置が据え置かれていた。
無意識のうちに、神殿中央の様子や兄弟の行動を断片的に記録していたのだった。
ギャルティスたちは音を失い、離れた場所へと吸い込まれていった。
彼らは現実に戻ることが出来るのか?




