記録43 その夢、くだらねぇか?
海賊の哲学をここに。
ざわつきの渦は中央に集まり、賞金首“幽霊”の話で火がついた海賊どもが、興奮気味にテーブルを叩き合っている。
その熱気から少し離れた壁際の席、ネオンに赤く染まる影の中で、バードマンが背凭れに深く体を預けていた。スモーキーな蒸気の中、彼のグラスは空っぽのまま指で縁をゆっくり撫でていた。
「……すげぇな、あいつら」
喉の奥で笑いを漏らす。だがそれは嘲りではない。
一拍置いて、隣に腰をかけていたジャックが言う。
「笑ってんのか、感心してんのか、どっちだ?」
「両方だよ」
バードマンは目を細めて騒ぐ連中を眺める。
ネオンが彼の瞳に微かに揺れ、空間の奥行きを際立たせた。
「命なんて紙より軽ぇってのを知ってる奴らがよ、夢を語るときの顔……俺ァ、あれが嫌いじゃねえ」
「バカバカしいって言う方が、簡単だからな」
ジャックが言いながら、足元に転がる瓶をつま先で蹴る。コロンと転がったそれに、青白いネオンが映り込む。
その向かい――テーブルを挟んで、DDが深く腰を落ち着けていた。
煙草に火をつけたばかりのシェーネが、わざと大きく煙を吐き出す。
「夢ってのはさ、どれだけくだらなく見えても、それに命を賭けてる奴がいるなら――嗤っちゃいけないのよ。その賭けに、どれだけの痛みが乗ってるかなんて、他人には見えないんだから」
煙の向こうで、シェーネの目だけが静かに光ってる――。
「ロマンに命を賭ける。どこかの誰かとよぉ似とるのう」
DDが指で髭を梳きながら、紫煙の向こうのギャルティスたちを見やる。
その頃、ティスが叫んでいた。
「よーし、じゃあザルヴァトの連中もまとめて行くか!? 幽霊探し、旅のついでだろ!?」
盛り上がる酒場。
その空気にシェーネが煙草をくゆらせながら、ため息混じりに呟く。
「……めんどくさいわねぇ」
だが、その言葉に棘はない。むしろ、彼らを見送る親のような視線だった。
「でもまあ、バカが夢追って跳ね回るのを見るのも、嫌いじゃないわ」
ジャックがふっと笑った。
「いいじゃねえか、なぁ船長。たまには賑やかなのも」
グラスに注がれた酒が揺れた。光がその中で歪む。
DDは目を細め微かに笑った。
「……わしらもそういう時代を通ってきた。今はもう、ちょいと立ち止まっておるだけよ」
バードマンが最後に口を開いた。
「夢の先に何があったか、それを語るには……少しだけ年季がいるってだけだ。あいつらにもいつか分かるさ」
光と影が交差する酒場の隅で、ヴェルヴェットたちは“夢”の話を静かに見送っていた。
その表情には、呆れと、そして――少しだけ羨望が混じっていた。
──そんな中。
壁際、色褪せた掲示板のホロ画面の前で、バードマンが仕事一覧を眺めていた。
古びた端末に映るのは、整備中の交易船の警護、小惑星帯での回収依頼、宙域パトロール補助――どれも地味で確実な小銭稼ぎだ。
その背後から、ぬっと影が差し込む。翼の生えたシルエットがにやにやと画面を覗き込んだ。
「しけてんねぇ~……ま~たこんな地味なの探してんの?」
ティスだった。
羽根を揺らして背後から覗き込み、あからさまに肩を落とす。
「なぁ兄貴、こいつら幽霊の話、まったく興味ないらしいぜ。信じられるか?」
ギャルもすぐ隣に立つ。口の端を吊り上げて、ヴェルヴェットの連中に目をやる。
「ま、興味ねぇのは自由だが……」
彼は少し声を張ると、酒場の中央へ声を投げかけた。
「おーい、お前ら!どうする?こんな地味仕事してる連中に、本物の宝、先越されても知らねぇぜ?」
「ははっ!やっぱCランクはロマンで生きなきゃな!」
「おう!どっちが先に幽霊ぶっ捕まえるか勝負だな!」
ざわっと空気が弾ける。
賞金首“幽霊”をめぐるバカで熱い小競り合いが始まりつつある。
バードマンはやれやれと肩をすくめた。
「……かったりぃ流れになってきやがったぜ」
DDは奥の席からその様子を見て、髭を撫でながら一言。
「だが……おもろいのう」
そして、ティスがからかうようにバードマンの肩に肘をかける。
「なぁなぁ、こんなしょっぱい依頼ばっか見ててさ、本気で金になると思ってんのかよ? おい兄貴、俺らで幽霊追ってひと山当てちまおうぜ」
ギャルが腕を組みながら、グラス越しに他の海賊たちへ視線を送る。
「興味ないってのは、余裕か、それとも……怖いのかね?」
「へへ、ああ見えて、結構ビビってんじゃねぇの?」
「口ばっか達者でも、幽霊とドッグファイトする根性はねぇってか?」
煽る声が飛び交い、酒場の空気がざわついていく。
そのざわめきの中、ふと、視線がひとつこちらをかすめた。
店の奥、壁際のブース席にいたのはバルゴ・サリム。グラスを指先で弄びながら、背もたれに寄りかかって場のやりとりを眺めている。彼の視線には、明確な警戒も、鋭い計算も感じられなかった。
ただ――「人の会話が面白くて仕方ない」という、どこか悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
(幽霊ね……)
バルゴは独りごとのように口角を上げる。
(まあ、当たればデカい。当たらなきゃ無駄骨。それでも追いかけるのが――海賊って生き物か)
ほんの一瞬、彼の目がギャルティスの兄弟を追う。
それからグラスを傾け、甘い酒をひとくち。
(――いいねぇ。バカを演じる奴らほど話が早い)
酔ったフリをしながらも、彼の目はずっとテーブルの下の火花を拾っていた。
場の空気に溶け込みながら、バルゴは一人、静かに火種の匂いを嗅いでいた。
それぞれの海賊、年齢性別問わず、人生を走る奴らの夢。
くだらねぇか?