記録41 格と呼ばれるもの
ヴェルヴェット号 海賊編 始まりました。
世界観を描いていきたいと思います。
――酒場『THE GRAVE DRAFT』
湿ったネオンが天井を染め、グラスの中にまで赤を落とす。だが、この夜の静けさにはどこか鋭いざわつきが潜んでいた。
「しけた小遣い稼ぎしてるねえ、おたくら」
カウンター脇、スクラップ材で組まれたテーブルからそんな声が飛ぶ。
油まみれのコートに、肩口からリベットが浮いたスラッグ銃の腰回り。小汚い下層海賊たちが、煙草をくゆらせながらニヤついていた。
「この宙域まで来て回収任務ぅ?そりゃまた、割に合わねえ仕事だわな。ヴェルヴェットも落ちたもんだ」
バードマンは帽子を目深に被ったまま、グラスをぐるぐると回す。
シークレットは椅子の背に足を投げ出し、口元だけで笑っている。
「おやぁ?ヴェルヴェットさんはドブさらいがお得意で?黒い旧型船に乗って、ちょいとばかし腕の立つ“落ちこぼれ一座”って噂の」
「……いいかげんにせんか」
その声は、空気を一変させるほど低く鋭かった。
カウンターの奥から現れたのは――DD。その目だけが、酒精よりも深く、笑っていなかった。
「“落ちこぼれ”っちゅうのはな。上を目指しとって、足滑らせた奴に使う言葉じゃ。最初から地べた這って進んどる連中に投げつけるのは――ちと、筋が通っとらんのぅ」
一瞬の沈黙。
しかし下層海賊たちは下卑た笑いを上げるばかり。
「おいおい、説教たれはじじいの特権か?まさか拐取品ってのは、そのベラベラ動く舌のことかよ」
「ふむ、その通りじゃ。舌を噛み切った死体を届けろ言われとるんじゃが……どの口がええかの?」
DDは穏やかに酒を啜った。
重くなる空気。
そこに、絡み合うような二重の声が滑り込む。
「やめときな。じじぃの毒舌に付き合うと、脳味噌まで痺れるぜ?」
古びた酒場の扉が半開きになり、霧混じりの夜気とともに二つの影が入ってくる。
ギャルティス団――翼種目蝙蝠科の双子、兄ギャルと弟ティス。
ティスが下層海賊の背中をチョンと突きながら、皮肉っぽく笑う。
「じじぃの話はな、冗談みたいに聞こえてても、あとで一人で噛み締める羽目になる。歯ぁ残ってりゃ、の話だけどな?」
「……それ、警告のつもりか?」
ギャルが淡々と返す。
「忠告だよ。俺ら賞金首も扱う商売してっからさ。口ひとつで値段が変わること、あるんだよ」
ティスが肩をすくめる。
「けどまあ、Cランク同士でドンパチ始めたって誰も得しねぇだろ。ここらの宙域じゃ、お前らもヴェルヴェットも“実質C扱い”なんだからさ」
バードマンの視線が鋭くなる。
「……“実質”ねぇ」
ギャルがグラスを持ち、ネオンの光を通す。
「正式にはBだってさ。でも拠点も港もない“流れ者”に信用なんざつかない。通行証があったって、踏み入れた場所で通用しなきゃ意味がねえ」
赤く染められた床は、水面のように揺らめいていた。だが、ふと立ち上る煙が、その光を曇らせていく――まるで、誰にも見つからぬまま消えていく流星のように。
ティスはグラスの向こうにいるDDを親指で指す。
「この星に根がねぇ奴らの“自由”なんてよ、誰も守っちゃくれねぇんだよ」
DDは長い髭を撫でながら、にやりと笑う。
「……代償なら、とうに払っとるよ。肉でも、骨でも、魂でものぉ」
その空気に、ティスがわずかに言葉を探すように黙り、ギャルも視線を逸らす。
そんな僅かな沈黙の後、ティスは皮肉まじりに静かに呟いた。
「……自由ってのは、いい響きだけどよ。矜持のねぇ自由に“海賊”の看板掲げる資格はねえんじゃねぇの?」
――それは、まさに“自由”の意味を履き違えた者たちの台詞だった。
……。
しかし、奥から今度は静かな声が――水面をなぞるように響く。
「……まこと、興味深いやりとりです」
声の主は、バルゴ・サリム。獣人属霊長類、サルクーン族にしてザルヴァト商会の代表格。一切の感情を削ぎ落としたような声音。整った所作と微笑みは、まるで人形のようだった。
「――失礼。秩序の定義について、一つだけ述べさせていただきたく」
返す者はいない。
彼は当然のように場の主導権を握る。
「『IGBN、Intergalactic Bounty Network――銀河間賞金稼ぎ統合機構』。その海賊ランクは、単なる“戦闘力”のものさしではありません。信用、継続性、宙域での影響力。社会的構成員としての機能――それが評価される」
グラスを置く音が響く。
DDは丸い氷をゆっくりと回している。
「Cランクとは未登録、または短期活動のみの者。Bはそれ以上――“社会の枠に名を刻んだ存在”ですな。だが……それは通行証に過ぎない。本来問われるのは――そこから、何を築いたか」
そして、バルゴはくるりと踵を返すように、話を締める。
「Bで満足してしまう者というのは――己の可能性を試すことなく、“配られた札”だけを見つめている。
それこそ、真の限界ではないでしょうか?」
ティスが小さく舌打ちした。
そしてバルゴは、柔らかな笑みを浮かべながら言う。
「顔のない自由に、我々は常に警戒を払います。私はまだ満足していません。だからこそ、今ここに――立っているのです」
その場の誰よりも“理屈”を武器にする男だった。
そしてそれこそが、バルゴ・サリムの“矜持”だった。
バルゴの言葉が場に沈みきる前、ギリ、と椅子を引く音が響いた。
「……てめぇ、誰に向かって――」
ひとりの下層海賊が血走った目で立ち上がる。腰のホルスターに手が伸び、鈍く黒い銃身が覗いた――その刹那。
――キィン。
乾いた金属音がひとつ、空気を裂いた。銃が跳ね、床を転がる。
何が起きたのか、誰も即座には理解できなかった。ただひとりを除いて。
バードマンは、グラスを一切揺らさず、いつの間にか手を戻していた。 その瞳は、空と酒のあいだを漂うように静かで、冷えていた。
「騒ぐなよ。小せぇことでよ」
それだけの言葉が、銃弾よりも深く刺さる。
――空気が凍り酒場が静まる。
その静けさを破ったのは、裏口の鉄扉。ギギ、と鈍く軋む音。 霧混じりの宙気と共にヒール音がゆっくりと近づいてくる。
赤い髪、艶やかな輪郭、口元にはいつもの気だるい笑み。
シェーネ・フラウ――ヴェルヴェット号のキャプテンが、何事もなかったように戻ってきた。その後ろには涼しい顔で笑うジャック。手ぶらだが何かを成し終えた男の足取りだった。
「ユンは渡したぜ。小遣い稼ぎにしては、まあまあだったな」
ティスが口笛を鳴らす。
「……ヒュウ。見た目は落ちこぼれ、でもやることはBランクってか」
「――なるほどね。Bランクってんなら、違ぇんだよな。格がよ」
ギャルがぼそりと呟き、彼らを取り巻く下層海賊たちの顔を一人一人見回した。
それに鼻で応えたのは、奥で見ていたサルクーンの取り巻き。
「……ふん。まあ、実力はあるようだな」
その声を引き継ぐように、バルゴ・サリムがグラスを静かに置き、立ち上がる。
「いいですね、そうでなければ。……そういえば――最近、メルカトル宙域で大きな事件がありましたね。その犯人が、IGBNの“賞金首”になったとか……ご存知でしたか?」
そして、その瞬間、グラスを傾けていたDDの手がぴたりと止まった。
酒場には、また違う空気がそっと流れ始める――。
種々雑多な海賊の共演、いかがでしたでしょうか?
次話もお楽しみください。




