プロローグ 名もなき航路の、ひとしずく
お待たせしました新章開幕です。
夜、ヴァルハル星系のスラム港にある酒場《THE GRAVE DRAFT:グレイブドラフト》。
濁ったネオンが空気を湿らせ、雑音のようなジャズが流れる。
カウンターの端に、クローン兵士の男が手錠付きで座らされていた。 額には汗、指は震え、目はひどく虚ろだ。
「……喉、乾いてんだろ」
ジャックがグラスを滑らせた。
中身は、琥珀色の燃えるような酒。
「これが生きてる味だ。舐めてみろよ」
男は少し躊躇い、それでも一口含むと、小さく目を見開いた。
「……こんな味、知らなかった」
その呟きに、バードマンがくくっと笑う。
「本物の戦争をくぐった奴が、味に驚くなんてな」
「味覚はある。けど……これは、初めてのうまさだ……」
その言葉に、酒場の空気が一瞬だけ止まる。
DDが、カウンターの奥からふっと口を開いた。
「……誰が自分の複製かなんて、気にするものか。この宇宙で、自分とまったく同じ奴に会う確率なんてのは……生まれてくるより低い。 そうして出会って、酒を酌み交わす相手の方が、よほど奇跡じゃよ」
一同は黙ってその言葉を聞き、誰も返さない。
ジャックだけが、クローン兵の目を覗き込みながら、ニヤリと笑う。
「……ちゃんと生きてるか、お前?」
男はドッグタグを掌で転がす。
クローン兵――名は、ユン・レイル。 元は連合軍の先鋭部隊で、数々の功績を上げた兵士のクローン体。オリジナルは片足を失い戦場から切り捨てられたが、退役して家庭を築いていた。
だが、彼が持っていたチップには、そのオリジナルの情報すべてが詰まっていた。 出生、性格、癖、家族構成、人生――
「……これが俺の、人生の答えだった」
ユンは囁いた。
「俺は、あいつのように生きたかった。ただ、それだけなんだ」
バードマンが静かに言った。
「それが罪になるのが、今の銀河さ」
しかし、話はそれで終わらなかった。そのデータチップはユンのものではなかった。 裏でユンを操っていたのは、もう一人のクローンだったのだ。
自分に近い存在を囮に使い、データを持ち出させ、 オリジナルの人生になり替わるために。
「……おれの存在は、ただの踏み台だった」
ユンは苦笑いした。
「けど、そんな俺でも、この酒の味だけは……俺のものだった」
そのとき、シェーネがふっと立ち上がった。
「選びな。これからも誰かの人生を生きるか、自分の足で歩くか。ヴェルヴェット号には、自分の意思で進む奴なら乗せてやれる」
ユンは迷ったが、ゆっくりと首を振った。
「いや……俺はもう、誰の人生も欲しくない。だから、送ってくれ――」
拘留所からの連絡が入る。
《海賊ヴェルヴェット、引き渡しを頼む》
広大な宇宙の小さな小遣い稼ぎ。
その中にも小さな物語は紡がれている。
背にする星の夜空、檻に座るユンの目に、一筋の流星が走った。
ヴェルヴェットへバトンタッチしました。
どんな物語が紡がれていくか、お楽しみいただければ嬉しいです。




