記録39 終焉の環にて――
惑星の中心部、黒蝕の巣にて。ついに最終局面へ。
――ノクス・ヴェルム深層・灼熱の地底、黒蝕の巣
巨大な繭の内部。星の血潮――マグマが吹き上がり、天を焼く。黒蝕の波が渦を巻き、まるで観客のように彼らを囲む。岩盤が唸り、黒蝕の壁が脈動する。
そして……突如として、巨大な宇宙船の残骸の上にそれは現れる。
その瞬間、隊列全体に震えが走った。
ケイの目がわずかに揺れる。黒い吐息のように周囲の黒蝕が動き、中心に立つ異形の影がその姿を明らかにする。
それは、何かを模したものの集合体。鋭く伸びた尾骨、剥き出しの神経束のような腕、そして、爬虫類の顔を半ば溶かしたような頭部。だが、瞳だけが爛々と赤く――まるで、産まれたばかりの欲望のように光っていた。
「……おぉぉ……ついに……来たか……ようこそ、我らが胎内へ」
ねっとりとした低音。だが、響きは明瞭だった。
「聴こえるか……?この星の鼓動が。これは……産声だ。母なる星が、進化の果てを産み落とそうとしている。そして……その胎動に、抗うのが、お前たちというわけだな?」
「あ……ま、まさか……ジョンッ!!ジョンなのか?!」
ダグが数歩前に出て叫ぶ。
「んー?……——ジョン?……くくく、そうか、そうだったな。私はジョンだった……ダグだったか?よくここまで来てくれたな。よく彼らを導いてくれた」
舞台俳優のように、彼は一歩前に出て、両腕を広げた。
「私は黒蝕が望んだ、進化の器。欲望と絶望が産み落とした希望そのものだ」
仲間たちが一斉に身構える。
ケイの指先がナイフの柄に自然と伸びる。
アイの視線が鋭くなる。
「くははっ。名乗りを欲するか?ならば——名を与えようこの肉体に。ふむ……そうだ、それがいい。我が名は……ジョーカーだ!!」
その背後、吹き上がるマグマが一瞬、炎のカーテンのように広がった。
ジョーカーが名乗った瞬間、ケイとアイの神経が一気に跳ね上がった。
空気が、肌を裂くように張り詰める。重力とは異なる圧迫感が全身を締めつける。
「今もなお……進化、してる……」
アイがわずかに震える声で呟いた。
かつて遭遇したそれとは違う。
ただ喰らうことしか知らなかったあの怪物は、今や語り、笑い、挑発すらしてくる――。
「吞まれるなっ!!」
リューが放ったプラズマ弾が、ジョーカーの半身を吹き飛ばした。
だが、ジョーカーは笑みを浮かべながら歩を進める。
背後の黒蝕の壁が脈動し、無数の管のような繊維が伸び、彼の身体を包み込む。
「ッ……あれは……!?胎内と直結してる……!」
アイのHUDが警告を鳴らす。
「母なる星が私を選んだ。お前たちに焼かれたあの時が、私を進化させた……ここは産道。進化の揺りかごだ」
再生する音――ズルリと、肉と骨が盛り上がる。
命が蘇る。黒蝕は一つの生体を完全に成した。
ケイの指がわずかに震えた。
「……バケモンが」
彼が一歩前に出ると同時に、アイも横に並ぶ。
「行こう」
「ええ、ケイ」
二人の気配が変わった瞬間、全隊の仲間たちも即座に布陣を組む。
リング状の地形の中で、黒蝕の壁を背に配置につく。
ジョーカーが吠えた。
「お前たちの進化……見せてみるがいい!!」
地中から黒蝕の触手が解き放たれた。
ケイはそれを迎撃、ナイフの閃きで一本を裂く。
「遅いな」
だが――再生は速い。
切断された触手が黒蝕とつながり、瞬時に再構築される。
「ワープ!?黒蝕の中を……!」
アイが即座に反応し、手の平から熱線を集中発射。閃光が空間を焼く。だが、ジョーカーの腕が裂けた空間から現れ、ケイに迫る。
ケイは跳び退くと、マグマの縁を拳で叩いた。
飛び散った黒蝕の死骸を巻き上げ、アイの足場を作る。
「ありがとう、ケイ!」
アイは跳躍し、宙を舞う。
「――焼却」
熱線が放たれる。
だがジョーカーは笑う。
「その程度の炎っ――!」
黒蝕の管が彼を包み、肉を再構築する。
そのスピード、異常。もう、以前の再生の比ではない。
「……再生が、速すぎる……」
その時、ジョーカーが吠えた。
「ケイィィ!お前の、その力が欲しいッ!!ただの人間がどうしてそこまでの力をッ!」
ケイの背後の空間が裂ける――疑似ワープ、ジョーカーの爪が迫る。
「ケイ!!」
アイの叫び。
「見えてる」
呼吸を読んでいた。
アイの炎が空を焼き、ケイの蹴りが地を砕く。だが、そんな空中戦に集中できるのは、仲間たちが地上で守っているからこそだった。
アイは、ケイの動きを正確に読み取っていた。ケイが跳び、次に着地する地点を予測して、そこへ黒蝕の触手を撃ち落とす。声を交わさずとも、二人の間には確かなリズムが流れていた。
まるで一つの生命体のように、呼吸を合わせて戦っていた。
ケイとアイがジョーカーがぶつかるその背後――黒蝕の壁から無数の触手が這い出し、リング状の戦場にあふれ出していた。
「来るぞッ!!展開を維持しろ!ケイとアイの背中は、絶対に通すな!」
アエドの号令に、仲間たちは四方へ散開。
溶岩と黒蝕が絡み合った不安定な地形を踏みしめながら、それぞれが持ち場へ駆ける。マグマの縁に陣取ったカイが四本脚を岩に突き立て、溶岩を掘削して壁を作る。背後では、ティーラがプラズママインを投擲。黒蝕の触手の進行をわずかに止めた。
「ネーヴ、左から回り込まれてる!」
「任せろよ……ったく、どこまで増えるんだよこいつらぁッ!」
ネーヴが叫びながら黒蝕の一体に斧を振り下ろす。
だが斬っても斬っても、再生する黒蝕は止まらない。
「再生速度が上がってる……このエリア自体が、もうアイツの身体の一部なんだ……!」
ティーラが背後を振り返ると、空中でジョーカーとアイがぶつかり合っていた。
「今だ、動線を開ける!」
リューが声を張り上げ、地を蹴った。
重力を無視した跳躍で黒蝕の頭上を飛び越え、燃料噴射で一気に空間を切り裂く。
「いけ、ケイ!この10秒だけは通せるぞッ!!」
「ああ……わかってる」
ケイの足が一歩、重みと共に地を離れた。
宙を裂いて跳ぶその一歩を、皆が守った。
ティーラが悲鳴を上げる。
「足止めする……今はそれしかない……!」
その声にカイが応えた。
「おうよ!それがオレたちの仕事だろ!」
ダグが低く呟く。
「……ジョン。見てるか……お前が託した希望が、いまお前を解放する……」
後方から放たれた黒蝕の触手が、リューの左腕をかすめる。肉が裂け、煙が立つ。
「くっ……!! まだいける!」
その瞬間、ケイの気配が近づいた。背後を振り返ると、彼の体が逆光の中を走り抜けていく。
「ケイ、行くんだぁ!」
アイが追うように飛び、再び上空でジョーカーと交錯する。
「進行ライン、確保しました!」
アイの通信が全体に響いた。
アエドが小さく息を吐いた。
「……持ったぞ。今のとこ、な」
だが、黒蝕は止まらない。すでに何本かの触手が彼らのラインをすり抜けてきていた。
ルシアが叫ぶ。
「次の防衛ラインに後退!……皆、まだ終わりじゃないわ!」
「ネーヴ、右だ!」
「わかってるっての!」
カイが岩盤の上を四脚で跳ねる。
体格を活かした広い範囲の跳躍で、黒蝕を誘導するように駆け回り、ネーヴと連携して死角を埋める。ティーラはマグマを熱源に特殊弾を起爆させ、敵の動きを削ぎ、ソラはその隙を縫ってヒートブレードを突き立てる。
「はぁっ……!くそっ、数が……多すぎる!」
「だったら、減らすまでよッ!」
ティーラが叫び、装填したグレネード弾を至近距離で撃ち放つ。
――爆風と共に吹き飛ぶ黒蝕。しかしその直後、傷口からまた別の触手が生まれる。
「再生……早ぇ……!」
「ケイ!アイ!急いでぇ!」
ソラが叫ぶ。
だが、その声が黒蝕の叫びに呑まれる。
彼らの陣形は、まるで円舞のように流動しながら連携していた。溶岩の柱が裂けると、そこに岩壁を築き、遮蔽と足場をつくる。地形すら利用した布陣は、ただのクアドリスたちの工夫と意志の結晶だった。
「おい、リュー!あんた、見えてんだろ!?次、どこ来る!?」
ネーヴが叫ぶ。
「右後ろの岩場、その影だ。来るぞ、三本!」
その指示とほぼ同時に、ティーラが影を撃ち抜く――触手が斬られる音が響いた。
「よぉし!!」
リューは冷静な指示を飛ばしながら、自らも片手でプラズマランチャーを操り、黒蝕の偽眼を潰す。
だが、流れの中で少しずつ、彼らの動きは重くなっていた。
「……みんな、体力が……限界近い……」
後方支援をしているダグが低く呟く。彼でさえ片膝をつき、なんとか銃口を黒蝕へと向け続けていた。
「それでも、ケイを、アイを……ここで死なせるわけには、いかねぇ」
一歩、また一歩と黒蝕は輪を縮めていく。
岩盤が崩れるたびに、新たな黒蝕が湧き、圧力が増していく。ルシアは義足のバランスを崩しながらも、再び立ち上がる。
「ダグ、リュー……ネーヴ、カイ、ティーラ……」
拳を握りしめたルシアが、最後のマガジンを銃へと装填する。
「……ケイ。アイ。私たちはあなたたちを守り切る」
その言葉に、アイが振り返る。
「……ルシア様。……絶対に、報いを残します」
その言葉に、全員の背筋が再び伸びた。血のように赤いマグマの照り返し、黒蝕のうねる地鳴り。
――しかし、ついに張りつめた糸が切れる。
「ぐ……っ!」
最初に破られたのは、ネーヴのラインだった。
黒蝕の触手が地を裂き、マグマの隙間から蛇のように飛び出す。跳躍したネーヴの足を絡め取り、空中で引き裂こうとした瞬間――
「……離せよ、クソが!!」
彼は自らのブーツを蹴り飛ばし、身を翻してヒートナイフを引き抜いた。
触手を二本断ち切り、地に落ちる――が、すでに別の触手が背後から迫っていた。
「チクショウ……!」
ネーヴの瞳に走馬灯のように仲間の顔が浮かぶ。
「けどよぉ――戦えて、よかったぜ!!」
黒蝕に呑まれる最中、ナイフに仕込まれた爆弾のスイッチを押した。
その刹那、閃光が煌めき黒蝕とともに爆散した。
「ネーヴ――ッ!!」
カイが咆哮を上げた。
突撃。四本の脚で地を蹴り、黒蝕の触手に飛びかかる。
「く……ティーラ、右だ!!合わせるぞ!!」
「うんっ!!」
二人は呼吸を合わせ、連携して黒蝕を撃ち落とすが――。
触手の群れが、彼らの立つ岩盤を崩す。マグマの噴き上がる音が、戦場の鼓膜を焼いた。
ティーラの弾倉が空になる。
「弾、切れ……ちゃった……」
静かに微笑んだ。
「みんな……繋いで――!」
その身体が黒蝕に巻き取られ、闇の中へ引き込まれる瞬間――カイが吠えた。
「ティーラァァァアアアア!!」
だが、その声も触手に遮られる。
カイの巨体を貫く、黒い刃のような蔓。
口元に血を滲ませながらも、彼は踏みとどまった。
「……やるな……だが、まだ……終わらねえッ!!」
「カイィッ!!」
アエドが叫んだ。
だが、間に合わない。
カイは振り向き――笑った。
少年の頃から変わらない、どこか無邪気な笑みだった。
「……アエドさん、ありがとう……」
ナイフを、己の胸に突き立てた。
黒蝕に取り込まれるその寸前――小さな爆裂が起き、カイの身体ごと闇を吹き飛ばした。
「……ちくしょう、あのガキが……」
アエドは呻くように呟いた。
爆炎の向こうに、カイの声が重なる。
最後の、かすれるような声が――アエドに届いた。
『ルシアを……頼む……』
その瞬間、アエドは膝をつき、拳を地に打ちつけた。こみ上げる感情を、抑える暇などない。
「来いよ……!」
襲い来る黒蝕の波に突撃し、巨大な火花を散らした。
「……っ」
ケイはアエドの姿を横目で見ながらも振り返ることは無かった。
互いに託されたものがあるから。
終われない。まだ、果たしてない。
「アエド!!」
ルシアの声が響く。
ケイが再びジョーカーと交錯した時、四肢が煙の中から覗く。一人老体のアエドはひと際古い強化装甲に身を包んでいた。
それが彼の命を繋いだのだった。彼はボロボロの体を引きずり、立ち上がった。
「くくく、また死にぞこなったな――まだやることがあるっていうんだな!オデッサ!」
見据えた先には、ルシアがいた。
そしてダグがいた。
「……生きるんだ」
誰にでもなく呟く。
「――ケイ、前をッ!」
ルシアの叫び。
ケイは振り向かない。集中していた――黒蝕の呼吸、波、全てを感じるために――。
岩盤を蹴り、黒蝕の腕を紙一重で躱しながら、アイと連携してジョーカーを追い詰める。
「ッ……!」
アイが一瞬、ケイの後ろに意識を向けた。
飛びかかる黒蝕。
その巨体が、ルシアを押し潰さんと迫る。
アイの装甲が異常を警告する。
その時――装甲の中では全身が輝いていた。彼女の驚異的な脚力は、生きた黒蝕の波をも蹴り駆け抜ける。
しかし、間に合わない――。
その瞬間、リューが、ルシアを突き飛ばした。
「あ、がああッ――!」
彼の身体が、黒蝕の巨躯に叩きつけられる。
一瞬、すべてがスローになる。
ルシアの叫びも、
ケイの息も、アイの駆け寄る足音も、何もかもが遠く、ただ、自分の姿だけが何故かはっきりと映る。
みんなでテントの中、火を囲んで、夜中にそれぞれの「生きる理由」を話し合った。
ルシア、ダグ、リュー、アエド、カイ、ティーラ、それぞれに小さな「夢」や「想い」を語った。
ケイにも問いかけが向いた。
でも、あいつは何も答えなかった。
ただ一言だけ――「オレは……」
言葉を濁して、それ以上は言わなかったな――でもな、なんとなくわかる気がするわ……。なぁ……。
そして、ルシアを庇ったまま――黒蝕に飲まれていった。爆ぜるような音と共に、マグマが血のように吹き上がる。
リューは、微笑んでいた。
「……頼んだぞ。ケイ……ルシア……」
ルシアは膝をつき、地面を殴った。
ケイは静かに目を閉じた。リューの最後の動きが、確かにケイの脳裏に刻まれた。
リュー、彼は誰よりも早く反応していた。
黒蝕のわずかな膨らみ。
空間の温度。
死の足音。
すべてを、感じて動いた。
「……ルシア!」
ケイが声をかけた。
ルシアは顔を上げる。
その目には涙はない。
あるのは、燃えるような意志だけだった。
「行って……」
ケイは頷き、ナイフを強く握りしめた。
「――託されました」
アイも静かに視線を交わした。
そして、ふたりは再びジョーカーに向かって駆け出した。
空気が変わる。
黒蝕が唸り、ジョーカーが笑う。
「さあ――来るがいい」
命のバトンを繋いだ先へ。
次話 お楽しみに。




