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記録38 断罪の虚空・贖う者たち

ノクス・ヴェルム編、最終フェーズへ。

――研究棟ナンバー0・深部通路/通信ログ開始

金属の床が、熱と振動で時折軋む。

隊列が進行を止めたわずかな隙――ルシアはヘルメット越しに、内蔵カメラを起動する。

背後では、ケイが静かに前方の穴を見つめている。


「こちら、シェルター51代表ルシア・グレイヴス。全てのディープホロー・シェルターに向けて送信する……これは、惑星ノクス・ヴェルムからの最終報告かもしれません」


短く呼吸を整える。

「いま、私たちは研究棟ナンバー0の深部にいます。……ここは、かつて黒蝕の拡散が始まった、始まりの場所……」


背後で、ドクン……と星の胎動のような音が鳴る。


「この惑星は――もうすぐ終わります。それが、私たちの結論です」


アイが静かに視線を上げる。

ケイは動かず、ただナイフの柄に指を添えている。


「私は、すでに“ロウ”に救難信号を送っています。受理される保証はありません。ですが、何かが動くと信じたい」


「星の仲間たち……どうか、どうか逃げてください。あなたたちの命は、この星よりも、もっと未来に必要なんです」

ルシアの声がわずかに震えるが、視線は一点を見つめたまま。


「この星の命を削って生まれようとしている進化は、もう止められないかもしれません。けれど――この真実を知らずに、ただ静かに滅んでいくのは、あまりに悲しい……。私たちは、ここに残ります。真実を見届けるために。……抗うために。……生きてきた意味を刻むために」


カイが小さく頷き、ティーラが祈るように通信端末を見つめている。

リューは無言で、壁の鼓動に耳を澄ませていた。


「どうか、また会えたときは――この星の希望を、少しでも語れるように。それでは、通信を……」


一瞬の静寂。


「ディープホローへ。……命を繋いでください」


端末が静かに沈黙する。

通信が終了すると同時に、坑道の奥で――


ズ……

まるで星が呻くような音が鳴り、

遠くで黒蝕がうねり始めた。


ケイが静かに呟く。

「……始まったな」





同時刻――シェルター1/管理区画

警報が鳴っていた。

酸素濃度の異常、地殻振動、そして黒蝕の再活性化。だがそれらに対応する者はいない。ここには、もう希望も意思もない。


かつてこの星で最初に築かれたシェルター。今や、その白亜の施設も、崩れかけたコンクリートのようにひび割れ、腐っていた。


「最初の拠点か」

その声は、誰にも聞こえないほどに低く、そして静かだった。


沈黙が包む中央広場に、一つの影が立っていた。

漆黒のアーマー。鋼でもナノマテリアルの類でもない、その未知なる装甲は“光”そのものを飲み込んでいるかのような、異質な質感。


背には何も背負わず、武器らしきものも見当たらない。ただ、存在そのものが異質だった。

その足音が――星そのものの鼓動と、奇妙なほどに重なるように響いた。


沈黙が支配する管制室。

その静寂を破って、彼はゆっくりと歩みを止めた。黒きアーマーが微光に揺らぎ、まるで深淵から這い出た“秩序”そのもののように、佇んでいた。


「この星は、もう長くは保ちません」

低く太い男の声、だがそこには怒気も焦燥もない。ただ事実のみを語る、精密な響き。


「……あなた方は、この地における最後の観測対象です」


「な……観測、だと……?」

シェルター1の管理者であり、ディープホローの統括者が額に汗を浮かべながら声を荒げる。


更に一歩、足を前に出す。

その動作一つで、重力が変わったかのような緊迫が走った。


「抗うか――あるいは、諦めるか」

彼は続ける。

「選ぶのはあなた方です。ただし――どちらにせよ、時は残されていない」


視線を空に向ける。人工の天井に映るホログラム。そこには、惑星の現在の状態が表示されている。


崩れゆく地層、破壊された坑道網。

深部へと広がる虚空のネットワーク。

そして――その中心で脈動する何か。


「進化とは、いつも犠牲を伴う。だがこれは、早すぎましたね」


静かに、男は腕を組む。

「この『天災』を語り継ぐ……()()が、あなた方に残された()


「贖……罪?」


その瞬間――星が震える……風もないはずの地下施設で、咆哮のような衝撃波が走った。


「まだ終わっていない。抗う者たち、まだ生きた者たちが深部にいますね」

「あ……。い、今さら何を……!お前は誰だ!?名を名乗れ!」


男の叫びに、静かな呼吸音だけが管理棟に響く。


「名に意味を求めるのは、死にかけの習性でしょうか。……必要とあらば、いずれ知ることになります」

その面を僅かに持ち上げた、露わになる口元から覗く狗科(アヌビス)の歯。そして、鼻先までを出し、香りを嗅ぐ仕草が特徴的だった。


「ニオイますね……やはりこの下に……」

「……何を、言って……」

よたよたと、足踏みをする管理者の男。


「もし、救いを求める意志があるなら、ロウへ救援要請をしなさい」

「……ロウ!?……ロウだと、そんな、まさか……」

そう言うと、背を向けて歩き出す。

その黒いアーマーは身体の小さな揺らぎや呼吸、鼓動に合わせて微細に揺らぎ、まるで死神が羽をたたんだような静けさが訪れる。


「せめて、最期は尊厳を持ってお過ごしください」

その言葉を最後に、その男は闇の中へと姿を消した、最初からそこには居なかったように。

だが、彼の残した判断の重みだけは、その場にしっかりと残っていた――。





――研究棟ナンバー0・最深部接続扉

重圧のかかった自動扉が、まるで封印を解かれたかのように軋みをあげて開く。

きぃいいいん……という金属の悲鳴に、全員が思わず呼吸を止めた。


 「……何よ、コレ……」

ティーラの声が、震えて漏れる。


その先に広がっていたのは――まるで中から破裂したような光景だった。


そして、どこまでも続く巨大な穴。直径は数百キロに及ぶであろう円形のクレーターが、真下へと垂直に――無限の闇の底へ――続いていた。


その壁面は黒蝕に覆われている。

だが、ただ這っているのではない。それは、脈打ち、かつての金属製の研究棟の壁を喰らい、再構築し、有機物とも無機物ともつかない物質へと置換していた。


地熱計が狂ったようにアラートを出す。

《深部熱圧異常/マントル層接続反応/臨界圧接近中――》


アイの視界HUDが乱れ、赤と黒のコントラストが滲んで見える。


「これが……この惑星の……胎内か……」

アエドが呟いた。


壁の一部――かつての研究用タンクや昇降リフトと思われる残骸が、黒蝕に呑まれて融合され、突き刺さっている。


古びた識別番号まだかすかに読めた。


その横には、かつてこの地で何かを制御しようとした者たちの骨――いや、それすらも黒蝕に飲まれた残骸が、壁と一体化しているように見えた。


「……ここから、黒蝕は外へ出たんだ」


ルシアが言う。

「この穴の底――その奥に、黒蝕の心臓がある。惑星を蝕んでいる何かが」 


ケイは一歩、穴の淵へと進む。その靴裏を、黒蝕の繊維がわずかに撫でた。


その瞬間、――下から風が吹いた。まるで呼吸のようだ。 

ドクン――ドクン――まるで胎児のように、何かが眠りながら、成長しているような……。星そのものが生きているという実感が、隊の全員に走る。それは、産声だったのか――それとも星の悲鳴か――。


ルシアは静かに、通信端末に向かって最後のログを残した。

「ここは始まりの場所。……だけど、私たちが終わらせる場所にする」


そして――彼らは、繭の中へと飛び込んだ。





――数分後。

隊列は吸い込まれるようにして、巨大なクレーター状の穴、重力の亀裂に落下していった。空間そのものが「下へと引きずる力」にねじ曲げられていた。


アイが即座に全身制御を補正する。

「落下速度、最大値。推定下降距離……50キロメートル!」

「そんな……この星、そんな深くに……!?」

ルシアが呻くように呻く。


そして――視界が開ける。そこは、まるで異界だった。


しかし、ケイは目を閉じたまま、静かに落下していた。

熱風も重力も、黒蝕の渦も、すべてが彼の皮膚をかすめていくのに――まるで“静寂”のなかにいた。その身は重力に逆らわず、ただ沈む。

けれど、内なる何かが――浮かび上がっていた。


(……これは……)


“何か”が、ケイの五感の外側を揺さぶっている。

耳を塞いでも、聞こえてくる鼓動。

目を閉じても、見えてくる“存在”。


──ドクン


──ドクン


それは黒蝕の中心核か、それとも巣の主か。あるいは、この星そのものの“心音”なのかもしれなかった。


アイは、すぐ近くでケイの様子を見ていた。無言の彼の表情に、これまでにはなかった感覚を読み取る。


(……ケイ……)


彼の意識は確かに沈んでいた。けれど――限界の淵で、なにかと繋がろうとしていた。

それは、かつて何度も超能力の副作用に蝕まれ、感覚を削られてきた彼の……生存本能とも呼べる感覚の宇宙(うみ)。この惑星の深部に落ちる中で、その心は異常な程に研ぎ澄まされていく。


(――見るな。感じろ)


脳裏に、ふとオダコンの声がよぎった。

「お主はまだ、目で見てる。それでは、何も掴めやしない」


ケイの身体に、わずかに波紋のような青白い揺らぎが走る。その揺らぎが、重力の渦の中で――明確に存在に対して呼応し始める。


──ドクン、ドクン、ドクン


何かが、近づいている。


「ケイ……?」

アイが思わず呼びかける。


そのとき、ケイがゆっくりと、目を開いた。

彼の瞳は、かつてよりも深く、静かで――だが、光を灯していた。


「……アイ、感じるか?」

低く、震えるような声だった。


「そこにいる――」





無重力と錯覚するほどにふわりと着地する。

黒蝕が彼らの着地を受け入れ、衝撃を吸収した。子どもを包み込むような優しささえ感じるほどに……。


そして、そこはマントル層が崩壊し赤黒く染まった空間。天井など存在しない。下から上から、マグマが吹き出し、黒蝕がそれを吸収し岩盤を再構築する。


その空間に、沈んだ無数の影があった。


機体の一部を溶かされた旧式の艦船。

凍りついた衛星調査ポッド。

粉々になった緊急脱出艇。

中には、一部を黒蝕と融合させて生存しているかのような亡霊のような姿も――。


「宇宙船の残骸……いや……墓……」

「……こんな場所に……これまで来たヒトたちの船が……」

ティーラが震える声で言った。


ネーヴが叫ぶ。

「これが星の……最終層!?どうなってんだよ……!どこに俺たちは来ちまったんだよ……!!」


アイが静かに呟く。

「ここは……この星に堕ちたすべての意思の果て。情報が、記憶が、命が、すべてを蝕す場所……」


そして――ケイが一歩、前へ出た。

ナイフの柄に触れる指先が、無意識に震えていた。


そして、アイは見た。

それは錯覚だったのか、それとも現象か――AIである自分の物理演算回路では説明できない何か。ケイの瞳の奥に、青白い光の粒子が、星雲のように渦を巻いていた。内部で何かが蠢いている。目ではなく、彼という“器”の奥で、光が震えている。


(ケイ……あなた、今――)


「いるぞ……」

その言葉と同時に、黒蝕が吠える。


ついに、それは姿を現す。

黒蝕・黒い影・闇の研究・深淵の世界――影を歩んできたケイとアイ、そして仲間たちは光を灯せるか。

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