記録37 暁光の虚空・心
深淵へと歩むために、必要な時間を描きました。
研究所に入った彼らは、ダグとケイに案内され、第3ブロックに立つ。停止した時間と死者たちの影が、まだこの場所に取り憑いているかのようだった。
「……ここが?」
ティーラが顔をしかめる。薬品、鉄、淀んだ空気が鼻腔を刺す。
誰もが声を失う中、ルシアが呟いた。
「……こんなとこで。ダグ、あなた独りで……生き延びたの」
アエドが振り返り、ダグの顏を覗く。
ダグは静かに首を振った。
「いや、俺だけじゃなかった。この先に、ジョンも、イーサンも……」
その名前に、ルシアの目が一瞬揺れる。
「……父も……こんな暗闇のなかで」
「イーサン……オデッサ……」
アエドも、彼らの死の影を追うように研究室を見渡した。
「ジョンもイーサンも常に共に行動してた。……この星の真実を探り、URCを手に入れるために。だけど、俺たちはこの闇を舐めていた」
そう言いながら、ダグは手のひらからチップを取り出す。
「コレはおそらく鍵でもある。これを使う時がついに来たんだ……ジョン、イーサン……今扉を開くぞ」
彼はケイとアイを見つめる。
「二人ともありがとな。普通じゃねえよお前ら。よく生きて帰ったよな……」
ケイは鼻で笑いながら答えた。
「……よく言われるよ」
――第4ブロック、研究棟・中枢制御室内、数時間の電力供給の後
アイは静かに歩き出し、制御卓の端末に手を伸ばす。
「――チップを。起動させましょう」
ダグがうなずき、チップをターミナルに差し込む。
その瞬間、無数の警告灯が淡く点灯し、部屋全体が薄い青白い光に包まれた。
《研究棟分析AI起動》
——認証キー:G.DG_0457_A-RESTORED
——監視衛星群:アグリゲート、リンク開始
壁面に無数のホログラムが投影された。
一つは宇宙軌道から見たノクス・ヴェルムの姿。
別のものは地殻深部を透過解析したマップ。
さらに、地熱の流れや坑道網、黒蝕によって空洞化した地層の図、微弱な燃素反応の分布まで、詳細な情報が立体映像として展開されていく。
そして――ダグが息をのむ。
「こんなの……記録にあったか? いや、見たことねぇぞ。これは……この研究棟が沈黙していた数年間、監視衛星が記録し続けていたログ……」
アイが言葉を重ねる。
「このデータを見たのは、私たちが……初めてのようですね」
全員が言葉を発することを忘れ、画面に食い入るなか情報が浮かび上がる。
それは、黒蝕の巣と思しき「虚空」の深部構造。
そこに存在する、巨大な空洞――まるで星そのものが“サナギ”の殻になり、
その中で何かが“成虫”として羽化を待っているかのような、異様な構造だった。
ケイが一歩前に出る。
「黒蝕はすでに……」
リューが小さく呟いた。
「……ああ、そしてオレたちは最後の餌ってわけだ」
皆の気持ちがその光景にのまれる中、更にひときわ異様な映像が映し出された。
「これ……は?」
アイがターミナルをタップし、映像をズームする。
それは——宇宙から撮影されたノクス・ヴェルム上空の映像だった。
《時刻:ノクス・ヴェルム標準時04:19/場所:軌道上監視衛星アグリゲート3号》
夜の空を引き裂くように“黒い閃光”が走った。
わずか0.6秒──だが、その残像は確かに、漆黒の戦闘アーマーに身を包んだヒト型だった。
ケイが映像を凝視する。
「……んだ、あれは……?」
瞬きの瞬間、その影は忽然と姿を消した。
後に残ったのは、空を這う黒蝕霧の存在しない綺麗に透き通る大気だった。
動揺が動揺を呼ぶ。
「今のって、ちょうど今起きた映像だよね?」
「あ……な、んだよ……」
「何なの……ああ、嫌、怖い……」
「ディープホローは無事なの……?みんな……」
アエドが両手に持つ工具を叩き鳴らす。
「落ち着け!!今はこの先の事を考えろ――ルシア、急ぎたいのはやまやまだが、少し休息しよう。色々な事が起こりすぎて疲弊してる。このまま進むのはまずい」
「そうね、ありがとう、アエド。……みんな食事にしましょう。装備の確認をしたら順に仮眠しましょう。幸か不幸か黒蝕は私たちを待ってるようだから……」
ルシアは中央に立ち皆の動揺をなだめるように指示を出した。
――つかの間の休息
酸素を充足させた簡易テントを張り、ヘルメットを脱ぎ、食糧と水分を確保する。
空間と闇の圧迫感、低酸素と未知への不安、黒蝕と死への恐怖、そんな状況はただの食料と水分で少しばかり軽快する。
「ねえ、ダグさん。どうやってここで生きてこれたの?」
「ん?……ああ、そーだな。……俺は――ジョンの船に乗ってからは衛星兵として、その前は植生学者として生計を立ててきた。それなりに植物や昆虫、微生物とその環境には詳しいつもりだ。それに汚染地帯での再生植物を研究してたから、黒蝕の生体にも興味はあったのさ……」
「へぇ、凄いっすね。もしかしてあのプランテーションも?」
「あれはこの研究施設に住むための設備だろう。俺はあのラボの温室を再起動し、光を導き、食糧生産を可能にして……、で……まさかこんなに時間が経っているとは想像もしなかったよ。はっは、あの二人に感謝しないとな」
この時だけは互いにただの経験を、人生を語り合った。
「通信機は壊れ、支援も来ず、知識と気持ち、それに希望を頼りに生き延びたってことだな」
リューが隣でレーションを食べながら呟く。
「よく生きて帰ってくれた」
アエドはダグの肩を叩き、ニヤリと笑った。
皆の会話が一段落した静けさの中。
ケイがナイフを弄っているのを見て、リューがふと呟く。
「なあ、ケイ……そのナイフ。あのとき、何であれを手に取ったんだ?」
「……さあな。ただ――今までのようにオレの心象をぶつけるだけじゃ、どうにもならない気がしたんだよ。もっと深く、もっと……形にして刻む必要があると思った」
僅かに口を尖らせるケイ。
「……それが何かはオレにもわからねえが。何かを掴むには、まずは輪郭を理解しないとな」
リューのそんな言葉に、返すようにケイは問う。
「なあ、リュー。ここまでの環境ではなかったとは言え、黒蝕も巣くうエリア内の小型シェルターで生活して来たんだろ?」
「おー、そうだぜ」
リューはパウチに入った水分を吸いつつ頷いた。
「……呼吸を読む。鼓動を読むって言ってたよな」
「はは、ケイ。お前が聴きたいのは、気配のことか?」
「ん……そうだな」
「薄々感じてるだろ?おそらくお前の方が、生と死と向き合ってきたはずだ」
「……」
ケイはナイフを指先で弾いては回転させ、リューの目をみて頷く。
「気配ってのは、漠然とした感覚。呼吸・鼓動とはそのものの息吹を感じ取ることだ。――それはオレたちが生きるためにすることと等しく同じ。普通の事をいかに感じ取り、察知するか――そして逆もしかりってわけだ。黒蝕はまさに、それを体現した生物といっても過言じゃねー」
「……そうか。その詳細な感覚を――」
「……いや、難しく考えすぎだな」
リューは軽く笑って、テントの外を指さす。
「お前が普段修行してきたように、自然を“感じる”だけでいい。精神をフラットにして、余計な音を消せ」
ケイは静かに頷く。
「黒蝕はもうただそこにあるだけの存在じゃねえ。アイツらは今、意志を持ち始めてる。……“衷心”ってやつだ」
リューはナイフの柄を指で軽く弾く。
「オレの勘だが……たぶん、それを断ち切れるのは、お前の“刃”だ。違うか?」
そう言うとケイの胸に拳を当て、力強く囁いた。
ケイはその言葉を瞬時に理解したわけじゃなかった。ただ、オダコンがよく言っていた「気配を読め」その言葉の真意を感じた気がした。
その後、少し緊張が緩んだ空気のなかで、ケイがぼそっと聞く。
「……つーかさ、あんた一体、何歳だよ?」
リューの語りは達観しすぎていると感じるケイは、いい加減気になっていたことを投げかけた。
ニヤついて答えるリュー。
「オレか?……38だな」
「……は? んなわけ――」
「クアドリスの体質ってやつだ。地中の鉱石やミネラル吸ってると、妙に若く見えるんだとよ。……親父譲りだろーな」
驚きを隠せなかったケイは、我に返るとキュッと口元を締め直し苦笑い。
「……なるほどね。普通じゃねぇのは、オレじゃなくてあんたの方だったかもな」
「はは、見た目で判断するなんて、黒蝕に喰われちまうぜ?」
リューはケイにツッコミを入れて互いに苦笑した。
そして、休息後――再び研究棟・中枢
ホログラムマップが示す、黒蝕の分布図は羽化を待つ何かの“神経網”を表していた。それは巣へと収束するように脈動し、中心にある空洞で密集、交差していた。
「この中心……」
アエドが腕を組み、凄まじい密度の線が集まる空間を見つめる。
「本当に、中枢神経のように見えますね。思念伝達網……あるいは、集合意識の中枢」
アイの瞳が、淡く光を帯びる。
ダロンが眉をひそめる。
「……それがマジなら、あれは理不尽な厄災じゃねー。小さな生命体が足掻いた末に、俺たちと同じステージに立ち、命を賭けにきてるってだけだ」
「さぁ、みんな……行ける?」
ルシアが静かに問いかける。
全員が無言で頷くが、その目には一瞬の迷いと、それを上回る覚悟が宿っていた。
「このまま進むしかねえだろ」
リュー・タガミがヘルメットを深く被り直し、顎をしゃくった。
ダグが少し離れた制御台で、地熱ルートとフロギストンの濃度を重ねた地図を表示する。
「この虚空……通常ルートからじゃたどり着けない。けど――ひとつだけ、この研究棟最奥の封印された扉の向こう、研究室No.0――その奥の巨大な穴から繋がっている」
「黒蝕が渦巻いているだろ。全員、火炎装甲で互いを守りつつ黒蝕を焼き進むしかない」
カイが腕を4本脚で軽くステップを踏む。
「いいわ。その突破の役目は、私がやる」
ルシアが一歩前に出た。義足の音が静かに床を叩く。
「私の装備が切り開かなきゃ……」
アイが彼女の肩に手を置く。
「私たちがサポートします」
ケイはナイフの柄に軽く手を添えながら答える。
「ああ、任せろ――」
火炎放射ユニットの点火確認、酸素供給の再チェック。
ティーラがネーヴの肩にナノ装甲の注射ポートを押し当て、静かに言った。
「震えてるの、隠さなくていいよ。私も、ずっと震えてる」
「俺も……弟のとき、震えて動けなかった。でも、今度は……動く」
ソラが横でニカッと笑って手を振った。
「最初からビビってた方が、後から笑えるよ。きっとね!」
カイは火炎装甲の燃料供給口を最終調整しながら、ヤーナに言った。
「子どもたちには見せらんねぇ顔してるかもな」
「いいのよ。母親ってのは、最後まで強く見せるのが仕事よ」
アエドが最終チェックを済ませ、手をパンと叩いた。
「じゃあ、そろそろ行くぞ」
最後列で、ケイは目を閉じる。
その意識の中で、何かが――黒蝕の脈動と同期する“感覚”が、わずかに響いた。
「……また、来るのか」
自分の中にある、不確かなビジョンが揺らめく。
まだ霧に中で模糊としている。だが、それは確かにここ、彼の魂を揺さぶっていた。
深まる謎と恐怖、そして心と心のつながりをこの話につぎ込んでみました。




