記録36 鼓動の闇・ヴェル・ユナ
お待たせしました。悩みに悩んでようやく投稿の記録36。
——ノクス・ヴェルム坑道26、出撃直前
霧のような黒灰が、ゆるやかな渦を巻いて降り注いでいた。坑道入口に立つ10名の隊員たちの装甲は、灰白と銀、深い灰と血のような赤が混じり、どこか儀式めいた雰囲気を纏っていた。
前列には、クアドリスのルシア・グレイヴス。地を踏みしめ、背には燃えるような赤の噴出口を備えた火炎装甲。すでに起動準備が完了していた。
その隣に立つのは、フェイスシールドから蒼く発光する瞳を覗かせるアンドロイド、アイ。無駄のないシルエットの軽戦型装甲に、ドローン操作用の補助腕が展開されている。
そして、列の中央で灰白の旧型軽装アーマーにナイフ一本を携えたケイが、坑道を見つめていた。逆手に腰へと差され波紋が怪しげに輝くコンバットナイフ。その刃はまだ抜かれていない。が、ただの一振りにも関わらず、背負っている空気は装備の重量以上に重かった。
「……ナイフなんて、そんなもんでお前はどうやって喰われるのを防ぐつもりなんだ?」
背後から声をかけたのは、ワークショップの店主であり技術士、探索チームの先達、アエド・フランクリン。旧式の火炎重装甲を背負い、四本の腕にそれぞれ工具と武器を下げている。
ケイは鋭い眼光で仲間たちを一人ずつ見回した。
「――このナイフは戒めだよ。己の力を過信しないためのな……オレの力も万能じゃない。黒蝕を殲滅するにはあんたらの力が必要だ、頼むぜアエドさん」
――数時間前、ブリーフィングルーム
志願者達を前にルシアは熱を帯びた声を上げる。
「これは戦争じゃない。生き残るための、私たちの意思表示だ」
パーテーションの裏で装備に着替える時、アイは彼女の義足を見た。それは、かつて父を黒蝕に奪われた彼女が、幼い頃に無謀にも坑道へと一人進み、黒蝕に片脚を喰われた過去を語る証。かつては恐怖に立ちすくんだ少女。だが今は違う。
「閉じこもって死を待つのはやめた。ここにいる者は、諦めるのをやめた者たち」
その言葉に反応したのは、シェルター109代表の少年――ネーヴ・ユリクス(17)。目元を細め、ドローンの端末を胸元で調整しながら呟いた。
「弟が喰われた。……最後の通信に泣いてた声が入ってた。それは……俺しか聞いてないんだ」
彼の隣にいた同郷のティーラ・カン(20)は、小柄な身体を震わせながらも、医療装甲の起動スイッチを確認していた。
「怖い……でも、それでも誰かがやらなきゃ、意味ないよね……義姉、笑ってたな、あの時も」
一方で、シェルター77から来た技術士の男、ダロン・フェイン(23)は爆薬のスイッチを片手で弄びながらニカリと笑っていた。
「自爆装置、ちゃんと動くぜ? こういうのは、綺麗に死ぬための最後のオモチャさ」
ソラ・イヴリン(16)は片目の義眼をカチリと動かしながら、ふざけるように言った。
「じゃあ、私は綺麗に笑って死ぬよ。……両目を失っても闘うわ」
――全員がそれぞれに過去を持ち、理由を持ってここに来た。
ヤーナ・ルヴェ(29)は4歳の娘を残して来た元看護師。胸ポケットの写真を無言で撫でていた。
カイ・ネルグ(25)は、アエドのかつての弟子。彼の背中にはここに来る決意の証として“心灯”という刺青が刻まれていた。
そして、シェルター未所属、ただの放浪者だった男――リュー・タガミ。その容姿から彼はクアドリスと異星人の混血とわかる。ルシアやアエドですら一瞬、言葉を詰まらせた。まさか彼のような者がいたなど、風の噂でも聴いたことがなかったのだ。そんな男は坑道内に小型シェルターを築きひっそりと暮らしてきたらしい。
「俺は生きるために、この星の脈を読む方法を覚えた。俺にしかできないことをあんたらに教える。一緒に潜るぜ。それと、ケイだっけか?ただの人間のお前に何ができる?あの地下から帰ったんだ。何かあるんだろ?」
リューの問いに皆が耳を傾けた。
「……」
ケイは無言で、リューにナイフを投げつけた。
――ナイフは彼の鼻先一寸で制止し、宙に浮いている。
驚愕するルシア、アエド、そして一同。リューは目を逸らすことなく、そのナイフを手に取りケイに投げ返した。
「……は、すげえな。何だよその力は――それにその顔……」
ケイの顏を見返すと、その目元には深い隈が広がっていた。
「……これでいいだろ?」
異能を示すケイは、少しの沈黙の後に続けて言う。
「……それぞれの力――何のために得た?変えるために使え。生きるために――」
その一言を、アイが紡ぐ。
「道を切り開きましょう」
そして――坑道26を進む
《酸素濃度、さらに低下。0.83atm》
BOLRが警告を発す。
「湿度、87%以上……地表からの上昇気流なし」
アイの分析が続く中、地面の黒蝕がドクドクと拍動を始める。
仲間の一人が足を止めて言った。
「……拍動してる。地面が……」
「この坑道全体が、生きてるってことかよ」
誰かが吐き捨てるように言った。
だが、誰も引き返さない。先頭にルシアとアイ、中列にケイとダグ、後列にの仲間達。
「生きて帰ろうぜ」
後ろから聞こえたその言葉は、坑道の奥へと吸い込まれた。
坑道はまるで巨大な臓器のようにその姿かたちを変えていた。
壁も天井も、黒蝕の網目に覆われている。静かに、規則的に拍動するように収縮と拡張を繰り返すそれは、誰が見ても一つの巨大な生命体の内部。
「……もう……俺たちの知っている世界じゃないみたいだ……」
ダロンが小声で溜め息を漏らす。
「臓腑だよ。地下の、この星のな……」
リュー・タガミが静かに言った。
その言葉に、誰も冗談を返さなかった。
ドローンの赤いレーザーが一瞬だけ先を照らし、ずぶずぶと這う黒蝕の触手のようなものが、どこかへ消えていった。
その瞬間、ソラ・イヴリンが小さく悲鳴を上げ、ティーラの手を握った。
「……ごめん、まだ……怖いの……」
「大丈夫、私も同じだよ」
彼女のナノ装甲がわずかに震えながらも、しっかりと隣を支えている。
「へへ、笑ってやんないとね」
ソラは唇を噛んだ後に笑顔を見せた。
その時――
「皆、下がってください」
アイが声を発し、左の壁に赤い表示を投影した。奥へ続く通路の一部が崩れており、その隙間に黒蝕の結節のようなものが露出していた。
「熱源を感知。これは……たぶん通過できない。下手に触れれば爆ぜますね」
ルシアが火炎装甲を背負い、口を引き締めた。
「離れて、まとめて焼却する」
彼女が火炎放射を起動。
赤い光が、灰と闇の世界を焼き切った。黒蝕が、悲鳴のような音を立てて後退する。
その赤光の中、彼女の義足が微かに軋む音を立てた気がした。
「……私、あの時はまだ幼かった。ただ黒蝕の巣に入りたがった子ども。父が死んだのが信じられなくて――」
ルシアがアイの横に並び、小さく呟く。
「その代償で、この手と足を失った。でもね、今は誇りに思ってる。これは、逃げた過去じゃなくて、生きてきた証だから……」
アイは一度だけ彼女を見て、無言で頷いた。
「あなたもそうよね、アイ。あなたのその身体にも、きっと……」
その言葉に、AIの瞳が僅かに揺れた。
だが、何も言わなかった。ただ、一歩、また一歩と前に出た。
脈打つ黒蝕結節を焼き払いながら、縦穴を下り、研究所まであと少しの所に来た時だった。
「ケイ、あそこ!」
ドクン――!!
異様な鼓動とともに、地面を這っていた黒蝕の一部が盛り上がり、巨大な触手のような形を取った。
隊列の先端で、ルシアが叫ぶ――
「来るぞ!!全部、こっちに向かって……!」
全員、火炎放射を一斉に展開。赤き炎が漆黒を焼く。が、それでも――黒蝕は進む。焦げ、のたうち、燃えながら……再生する。
「交代だッ!ガスが持たねえ!!」
次々と前に出て、火を噴く仲間たち。
しかし、あれは止まらない。
「くっ……焼けてるのに、進んで来る……!」
ティーラが叫び、酸素不足のマスク越しに荒い息を漏らす。
「無理に進むな、交代しろ!」
アエドが怒号を飛ばし、カイとヤーナが交代して前へ出る。だが燃やしても、削っても、黒蝕は前進してくる。
その中心――誰かが目を見開いた。
「……なに、あれ……?」
一帯の黒蝕の中心部。そこに、ひときわ異様な塊が脈動していた。先にルシアが焼いた黒蝕の結節状の塊に似た、しかし、色も形もほかのソレとは明らかに異なる。まるで内臓の一部がむき出しになったような肉塊。赤黒く光り、まるで心臓のように……拍動していた。
それを見た、リュー・タガミが、一歩前に出た。その目が、どこか獣じみた鋭さを灯した。
「中心にあるアレは……まるで神経核みたいだ。あんなのは見たことがねぇ」
「……まさか、黒蝕の中枢……か?」
「まだわからねぇ。でも、何かが変わってるのは確かだ。あれは……ただの再生体じゃねぇ。進化してる。黒蝕の本能は再生と捕食――でもあれは違う。進化の先に迫っている。それぞれが会話してやがる!」
仲間たちの顔が一斉に凍りつく。
そしてアイがそれに呼応したかのように言葉を発した。
「進化した黒蝕は、見て、考え、伝え、集まる……まるで――巨大な一つの生命、集合意識を持って」
ルシアが酸素ボンベを核の足元に転がして叫ぶ。
「みんな!あれを!」
火炎が一斉に、中心に集中した。赤黒い煙が周囲を巻き込む。皆の防護スーツが衝撃に警報を鳴らした。
爆炎に黒蝕が一気に炭化して霧散するが、しかし、ひときわ巨大な核は黒蝕の陰に溶け込みその姿を隠した――。
「……消えた……!?」「いや……!」「黒蝕の中に紛れ込んだわ!」
「みなさん!スキャンにも掛かりませんっ。黒蝕の壁が厚すぎます」
アイのビジョンにも、BOLRやドローンの感知にも掛からない。
ケイは腰のナイフに右手を添えて身構えた。隈が一挙に広がり黒蝕を睨む。
その時――
「研ぎ澄ませろ。オレは地下でも生きてこれた、あいつらの呼吸を感じるんだ」
緊張が走る中で、リューの声が走る。
「……そこだ!」
彼は黒蝕の闇の中にプラズマ弾を放つ。強烈な熱線が黒蝕の波を穿つ。
「あれをみてっ!」
ティーラが指さした黒蝕の穴の先、拍動する核が露わになる。
「おっしゃぁ!!くらえ!」
ダロンが爆弾を投じる。
……――!!!!
数秒後、激しい爆発と共に黒蝕が消し飛び、壁面にへばり付き崩れ去る。
「やったか?!」
アエドがゴーグルに映るモニターで周囲を見渡すが、核は消えていた。
「ちっ、逃げたか……あいつらオレたちを足止めしてやがんな……」
リューは長年にわたり地中で過ごしてきたスキルを申し分なく振るう。
まさに黒蝕の呼吸そのものを感じているようだった。
「……リュー。あんた本当に……」
「すげえぜ、リューさん」
「リュー……あんたの言葉、信じてみる」
顔を合わせた当初、異形の彼をみた皆の反応は、決して褒められるものじゃなかった。
しかし、今はもう違う。彼の力強い生き様と行動が仲間達を鼓舞していた。
「心灯。それがわしらを前進させる。心を灯そう」
アエドはカイの背中を叩き、皆の顔を見渡した。
……そして、死骸をまき散らし消えた黒蝕、その光景を静かに見守る仲間達。
その沈黙のあとネーヴが独り呟いた。
「みんなゴメン……私何もできなくて」
「大丈夫よ、よくやってるわ」
ヤーナが彼女の肩を抱き慰めた。
ヤーナは一人一人に声を掛けては隊列が乱れない様に注視してくれていた。
アエドはヤーナに目配せし、肩を叩いた。
「……ありがとうな」
彼女は出発前に言っていた。「こんなに若い子たちが集まるなんてね。私はあなたたちを誇りに思うわ。必ず守って見せるから!」と。アエドは彼女の決意を思い出していた。
「みんな、いつ襲ってくるかわからない。研究所まで急ぎましょう!」
先を警戒するアイに合図を送りつつ、ルシアは的確な指示で奥へと進んでいった。
ケイはリューを横目に、彼の言葉を思い出していた。
それから、彼らは研究所前まで難なくと到達した。すでに黒蝕の痕跡は消え去り、異様な程に静寂が漂っていた。
「……どこへ?」
ルシアは小さく呟いく。
「研究所のその先……でしょうか」
そして――時が止まった研究所の前に再び到達した。
ヴェル・ユナを胸に刻み、深部へと進め。