記録28 脈動する闇(後編)
改稿し、新たな27話を更新しました!
ストーリーとしてはまだ、前回の投稿内容に至っていませんが、より細かい描写の続編をよろしくお願いします!
縦穴の前に立つケイとアイ。
その先には、地の底まで穿たれたような暗黒の穴が口を開けていた。
「……これが、人工的に掘られたとは思えないな」
ケイは壁面に手を当て、そっとなぞる。
「滑らかですね。ですが削岩の痕跡もあります。クアドリスの機材によるものか、それとも……」
アイがゴーグルのセンサーで周囲の構造をスキャンしながら続ける。
壁には水が滴っていた。冷たいはずの液体が、妙にぬるく、肌を撫でるように伝っていく。
粘ついた岩肌――まるで何かの内臓の中にいるような不気味さだった。
「ここで滑ったら……終わりだな」
ケイは一歩後ろへ下がり、背中のパックからワイヤーリールを取り出す。
「ロープガンの出番か。作動良好、リールロック確認……」
岩肌にアンカーを打ち込み、メインケーブルを固定。
滑車付きのスライダーを腰に接続し、ケイが試すように引っ張った。
「まずは俺が行く」
「了解です。私はセーフラインを後から追加します。非常時の回収に備えます」
アイは冷静に補助ワイヤーを取り出し、別ルートに設置を開始。
坑道を下るには二重の安全策が必要だった。それほどまでに、この穴は深い。
ケイは深呼吸し、静かに重力に身を任せる。
「――行くぞ」
身体がゆっくりと引き寄せられるように、下方へと滑っていく。金属製のフックがレールを滑り、時折擦れる音を立てた。足元に広がるのは、終わりのない暗黒。
酸素ランタンを一つ、途中の岩に取り付けながら降下していく。
手元のディスプレイに表示される深度計が、静かに数字を刻んだ。
280……
350……
430――
縦穴を慎重に降下しながら、ケイとアイは徐々に異常な環境の変化に気づき始めていた。
「……アイ、空気が変わったな」
ケイのゴーグル越しに汗がにじむ。鼻を通る空気は乾いているようで湿り気を含んでいる。妙な錯覚だった。
アイが淡々と応じる。
「はい。この先、地下4000メートル地点に踏み入ります。酸素濃度、推定4.7%――ボンベが稼働していなければ即座に意識を失います」
BOLRの表示には、〈未踏領域〉――そう表示され、現在地の先には点線さえ描かれていなかった。
「つまりここからは、完全に未知ってことか」
「ええ。私のデータバンクにも記録は存在しません」
二人の足元に広がるのは、わずかに傾斜した巨大なドーム状の空間だった。
その壁面は黒く濡れ、触れればぬるりとした粘膜のような質感をしていた。
「……熱気を感じる」
ケイは防護服越しに地面へと手を触れた。ごくわずかに振動しているような感触。
「地熱だけでは説明がつきません」
アイが視線を上げる。
空気の層が変わった。壁の奥、地の底――何かが鼓動している。
黒蝕でもない、岩盤の鳴動でもない、もっと不明瞭で、だが確かに生きている何かが、この地の奥でうごめいていた。
湿度はさらに上昇し、あらゆる金属が鈍く結露し始めている。酸素ランタンの光さえ、水気でゆがむ。
足元の水たまりが波打った。何かが通った――そう思わせるほどに。
アイは即座に周囲をスキャンしたが、反応はない。
「この先、精密マッピングも困難になります」
「つまり、進むべきかどうかは、オレら自身の判断ってわけだ。行こう……この先に何があるのか。オレたちにかかっている」
「了解しました。照明ユニット、最大出力で前方を照射します」
そして――
「着地地点、確認」
ケイの声が無線越しにアイへと伝わる。
「……ふぅ」
アイも続いて滑降を開始し、数分後、二人は縦穴の底部に立っていた。
「……ここが底か」
周囲は巨大なドーム状の空間だった。壁面からは至る所に黒蝕の胞子のようなものが見られる。じっとりと濡れた空気。重く沈み込む圧迫感。
アイのHUDに赤い警告が点滅している。
酸素ボンベがフル稼働に切り替わり、二人の背中に搭載された冷却システムも音を立てて作動し始めた。
「こっからが本番か……」
ケイは酸素ランタンを腰から取り出し、足元に設置。
微かなシューという音と共に、淡く青い光が広がる。
その直後――
「ケイ、音です。北東方向、深部」
アイが素早く姿勢を低くし、BOLRのスキャン結果を確認する。
――低く唸るような、沈むような音。
「……黒蝕か?……いや、違うのか。だが、機械でもないな」
「脈動のようです。何かが“動いている”」
ケイは表情を変えず、火炎放射器のノズルを静かに持ち上げた。
坑道は湿り気を帯びており、あちこちに小さな水たまりができていた。
足元は滑りやすく、視界の先にはゆっくりと“揺れる”影が、かすかに見えた。
ケイが立ち止まり、視線を地面へ向ける。
そこには、人のような足跡のような、だが正体の知れない何かの“軌跡”が、湿った土にうっすらと残っていた。
「……オレたちは何かに見られているぞ。この先に何が?」
ケイは、今一度火炎放射器のスイッチを確認し、ゴーグル越しに前方を睨んだ。
「未来か、ですね」
アイの返答は、静かだった。
そして二人は、酸素ランタンをもう一つ設置し、闇の中へと足を踏み出した。
深淵の先に何がまっているのか?