記録25 月影、死霧を照らす
記録22以降を改稿しております。
よらしくお願いします。
装備の整備が完了するまでのあいだ、ケイとアイは老店主に勧められた宿で一夜を過ごすことにした。とはいえ、ケイの目は冴えていた。夜の帳が下りても、シェルター内部に昼夜の感覚は乏しい。それでも彼は、静かにベッドを抜け出し、歩き出す。
目指すは、シェルターの最上部――展望施設。
ここは黒蝕が猛威を振るい始めたころに建てられた観測拠点だったという、半球状の強化ガラスに囲まれた空間。ディープホロー唯一の空を見られる場所だった。街の灯りは届かず、足音だけが階段を叩く。薄暗い通路を抜けてたどり着いたそこには、静寂と、異様な光景が広がっていた。
黒蝕霧――。
星を包み込むその存在は、まるで生きた死体のように、空中を漂っている。地上から数百メートルにまで達するその霧は、まるで天へ這い上がる無数の手のようだった。
しかし、ケイはそれを見ても顔色ひとつ変えなかった。
「……地獄の花火みたいだな」
彼は腰のホルスターからシンセサイザーを取り出し、耳に装着する。そのシンプルな形状のインターフェースが耳と脳に密着し、脳神経と直結する感覚。
一瞬の無音。そして、心象が拡張する感覚が訪れる。
彼の精神は外界とリンクし、視界の奥に粒子の流れが立ち上る。黒蝕霧の動きが――死骸となった黒蝕の塵が、重力と風の狭間を漂っていることが視える。
「……やっぱり、生きてる黒蝕には干渉できないか」
ケイの能力は「魂」や「生」には干渉できない。だがこの死骸――塵となった黒蝕霧には、わずかに感応できる。彼は静かに手を伸ばす。
意志を伝えるように、精神を押し出す。
黒い霧の一部が、僅かに揺れた。反応は微弱だったが、確かにかたちを成して応じる。
さらに集中する。
シンセサイザーから脳へと広がる圧力感――ケイの視界が鮮明になり、粒子がまとまり始める。死んだ黒蝕の粒子が、ゆっくりと収束する。静かに指先を動かすと空中に小さな渦を描いて流れを変えた。
「……動かせる」
死骸となった黒蝕の粒子。それを利用し、形を与え、方向を定める。これは“死んだ敵”を操作するという、新たな可能性だ。
……戦えるかもしれない。
いや、直接的な破壊はできない。だが確かに、今の操作はできた。死骸となった黒蝕は“物質”として操作可能。死骸は重なる。重なれば、壁になり、盾になり、武器になる。
「……なるほどな」
ケイはしばらくの間、月光の下で黒蝕死骸の舞う空に思考を巡らせていた。
そして、空を仰ぐと、分厚い黒蝕霧の間から、わずかに空が覗いた。
二つの月が、そこにあった。
一つは、青白く凛とした光を放つ衛星ティアーネ。
もう一つは、血のような赤い輝きを滲ませる衛星ノクトゥ。
この星の夜は、彼らの光でかろうじて照らされているのだ。
「ティアーネとノクトゥ……暗黒の惑星に二つの目か」
誰に言うでもなく呟き、彼はシンセサイザーを取り外した。
心象拡張は終了。微かに残る頭痛を押さえ、ケイは展望台のベンチに腰を下ろし、目を閉じて、深く息を吸う。
黒蝕の波動が、星の奥から這い上がってくるのを、彼は感じていた。
この星は、まだ沈みきってはいない。
そのとき、背後から静かな足音。
「見ていたんですね。……月が、綺麗です」
アイがそっと近づく。
彼女の視線もまた、曇り空のその奥、二つの衛星を見上げていた。
「この星にも、こんな光が残ってたんだな……」
「えぇ。ですが、下に行けば、この光も届きません」
その言葉と共に月は再び黒蝕霧に隠れる。
だが、ケイの心には確かに灯がともっていた。
この星を喰らい尽くす闇の底に答えが眠っていると信じて。
――明朝。
ワークショップに再び訪れた二人。
アイが防護服の最終チェックを終え、装備をケイに手渡した。
「酸素ボンベは満充填。電源供給完了しています。通信帯域は坑道内部で自動切替に設定済みです」
「OKだ。第26坑道に入ろう。準備は整った。あとは……どうやって潜るかだな」
ケイは改めて地図を見つめた。
「裏ルートがある」
老店主はそう言い、地図の端を指差した。
「廃棄された整備通路を抜けりゃ、封鎖区域の裏側に繋がってる。……ただし、そこにも黒蝕がいるかもしれん。あとは……お前たちの腕次第だ」
ケイは静かに頷き、装備を整えるとアイと目を合わせた。
「――行くぞ」
「はい」
老店主の目には、どこか誇らしげな光が灯っていた。
あの時、誰も戻らなかった坑道へ。
今、再び“命を背負って潜る者”が現れたのだ。
かすかに灯る希望と、深く沈む黒の淵が待つその場所へ――。
二人は、老店主に見送られながら、坑道26号の入り口へと向かった。
深く、深く――
この星の心臓へと、潜っていくために。
黒蝕は生命体だ。魂に干渉できないケイの力は、死骸の霧は操作できた?
活路を見出し暗黒の行動を進むことが出来るのか?




