記録20 夜闇に消える言葉―沈まぬ決意
惑星ルードゥス編の終幕です。
それぞれの想いを胸に。
マルセンの夜は静寂に包まれていた。
小雨がシトシトと降り続き、湖面にはクストーの明かりがゆらめいている。
ビネスの喧騒とは対極にあるこの町で、ケイは夕食もとらず、一人湖の畔に立っていた。
微かな夜風が頬を撫でる。
彼は汗の滲んだ黒いスーツの袖をまくる。
そして、静かに構えた。
バラハッド式格闘術の型を刻む。
踏み込み、旋回し、肘を突き出し、蹴りを放つ。
闇の中で舞うその動きは、一撃必殺の研ぎ澄まされた殺意と、己を律する僧の祈りにも似た美しさを宿していた。
肉体に染みついた習慣。
そして、脳裏に焼きついた熱砂の情景。
── 乾いた風。
── 焼け焦げた鉄と、血の臭い。
── 騒然とした戦場の空気。
呼吸が乱れることなく、ケイは淡々と動き続ける。
しかし、その胸の奥で脈打つ感覚だけは拭えなかった。
ふと、湖面に目を向ける。
水面が揺れ、小さな魚が跳ねた。
ケイは再び手を伸ばし、超能力を発動させようとする。
── しかし、何も起こらなかった。
「……ふー」
彼は呼吸を整え、静かに手を下ろした。
さらさらと葉が揺れる音が響く。
ふと振り返ると、ロビンが立っていた。
「……すごい集中力だな」
ロビンは軽く息を吐く。
「見事だったよ。お前の強さの片鱗を見た気がする――……なあ、グリム…」
一拍の沈黙。
「……ありがとう。これで仲間達も疑われずに済む。そしてバルハラの脅威も、多少は遠のいただろう」
ロビンは目を細め、夜風に揺られる水面を見つめた。
「ロークのことは…残念だったが、それでも彼らは共に逝けた。お前のおかげだよ、グリム」
「任務を遂行したまでだ」
ケイは淡々と答える。
ロビンはふっと笑い「お前はロークを消し飛ばすこともできたはずだ」と言った。
「あの胸の穴を見ればわかる……」
「さぁね」
ロビンは遠くを眺めた。
「……あの時、お前に助けられたのは、この日のためだったかもしれないな」
彼は襟を整えてケイの方を振り返る。
「運命とでもいうのか」
「……運命ね……」
ケイは皮肉気に笑い、回し蹴りを放ち、天高くへと爪先を掲げ制止する。
ロビンからは雲に隠れつつあったクストーが、彼の蹴りで晴れたように見える。
「……お前が俺を救い、そしてまたアークのために再会し、そしてまた俺たちを救った」
ロビンの声は静かだった。
「お前は、ただの殺戮マシーンじゃない…」
ふっ、と深い息を吐き目を瞑り、考えを巡らせる。
「……旧友の名はジョン・ジョーだ」
そして、夜風に揺れるケイのシルエットを眺めながら、ぽつりと告げた。
「もし会うことがあれば、俺の名を口にしてくれ……無茶はするなよ」
ケイは答えない。ただ、また拳を振るう。
ロビンは、そんなケイを少しの間だけ見つめると、静かに背を向け歩き出した。
その足音が遠ざかるにつれ、夜の静寂が再び広がっていく。
ロビンが歩き去る背中を見送りながら、ケイは静かに拳を握る。
ふと、ぼそりと呟いた。
「……あんたこそ、無茶はするなよ」
わずかに口元を歪ませ、誰に聞かせるでもない声で続ける。
「――"緑色の義賊"のロビン」
ロビンは振り返らない。
風が木々を揺らし、さらさらと葉擦れの音が響く。
その音にかき消されるように、ケイの言葉も夜闇に溶けていった。
――惑星『ノクス・ヴェルム』
それは、沈みゆく惑星。
かつては繁栄を誇った鉱業惑星だったが、大量のガスの噴出と地殻変動により、生命活動が可能なエリアが限られる死の星となった。
水や酸素すら高額で取引され、電力は何よりも重要視される。地表のオゾン層は破壊され、強烈な紫外線と熱風が吹き荒れ、皮膚が焼けるリスクがあるため、人々は地下に都市を築き、辛うじて生き延びていた。そんな地中の奥深くでは犯罪が横行しているそうだ。
そう、ノクス・ヴェルムの情報は限られており、知る者は少ない。
だが、最近になり、その地下ですら安全ではなくなったらしい。
地の底から湧き上がる"暗黒ガス"。毒性を持つそのガスの流入によって、地下都市の存続すら危ぶまれている。
この死に瀕した惑星に、ケイとアイは新たな手がかりを求め来た。その惑星に消えた、ロビンの旧友ジョン・ジョーの足跡を追って──。
アマデウスのコクピットに座るケイは、無言で眼下の惑星を見下ろしていた。雲が蠢くようにうねり、どす黒いガスが大気圏を覆っている。ルードゥスのような煌びやかな都市など、ここにはない。
――光が、少なすぎる。
「……これが、沈みゆく星」
アイが呟き、データベースからこの惑星の情報を抜き取る。
――近年解明された一部の情報によると、地下深くから発生する"暗黒ガス"が猛威を振るい始めているが、その正体は単なるガスではない。それは、ミクロ単位の微細な生命体――無数の毒虫の群れだった。 それは地下の特定の鉱物に寄生する。そこで繁殖を繰り返す菌糸類――『黒蝕』と呼ばれる――S級の危険微生物である。そして、それらが異常増殖した結果、ここノクス・ヴェルム全体に広がったのだ。 暗黒ガスとはつまり、この毒虫の集合体が巻き起こす死の霧のことだった。
かつて、この星には希少な鉱物資源に恵まれ鉱業にて発展を遂げたが、その傍ら、鉱物資源の研究が行われていた。しかし、この"黒蝕"の大量発生により、研究施設はことごとく壊滅した。これは人工的なバイオハザードとも、まことしやかに語られている――
暗黒ガスの隙間からは、かつての鉱山施設の残骸が、崩壊した大地の裂け目に埋もれ、地表には老朽化した採掘機の骨組みが砂に埋もれ、廃墟のように佇んで様子を辛うじて見ることができる。
この星で、ジョン・ジョーは何を見たのか……生きているのかすら、わからない。
「……オレたちが探すのは、こんな星のどこかにいる"亡霊"か」
ケイは前髪をかき上げ呟く。
二人はまた闇の中へと身を投じる。
次なる惑星は……。
沈みゆく惑星ノクス・ヴェルム。
この暗黒世界で何がおきるのか?
乞うご期待。




