記録17 天上の楽園の墓標
亡骸を抱え二人はどこへ……。
エレベーターホールの中央、奈落の底を覗き込むケイは、数秒間じっと目を閉じた。
崩れかけた建物の中、鉄骨が軋む音、爆ぜる火花、崩落していく瓦礫の連鎖。そのすべてが、ケイの五感に染みついていく。彼は深く息を吸い込むと、手のひらを開き、胸の前で拳を強く握った。
瞬間、ケイのこめかみがズキリと痛む。視界の隅で、黒い靄のようなものが蠢く。目元の隈がじくじくと広がり、まるで蛇が這うようにうねりながら彼の皮膚の下に浮かび上がる。第六感ーー超常の力を絞り出す。
――周囲の空気が震えた。
瓦礫が静かに浮かび上がり、粉塵が渦を巻きながらエレベーターホールへと吸い込まれていく。重力に逆らうかのように漂う塵芥が、まるで大気がケイに呼応しているかのようだった。
「異常現象だ!何が起きている!?」
ファルクナスの兵士が無線で叫ぶ。索敵装置は不安定な信号を示し、警報音が響き渡る。
一瞬の静けさ…。
そして、轟音と共に、ビルが唸った。
「熱源が急上昇――これは――…爆発するぞ!!」
兵士の悲鳴が通信に走る。
エレベーターホールへと集められたガス、粉塵、そして空気。それらが一点に凝縮され、やがて限界を迎えた。
次の瞬間――
轟雷の如き爆風がビルを突き抜けた。
巨大な火柱がエリュシオン・パレスの頂点を貫き、爆発のエネルギーは周囲の通信システムを破壊し、索敵装置を完全に狂わせた。
空を裂く閃光と衝撃波がビルを揺るがし、闇夜に紅蓮の光が広がる。
軍の指揮官が吠えた。
「何が起きたんだ!?……奴はどこだ!?索敵装置は――くそっ、システムダウンだ!」
ファルクナスの兵士たちは混乱し、ドローンは航行不能に陥る。炎と煙が舞い上がる中、見上げた者だけが、その光景を目撃した。
「何かが――上に飛んでいく!?」
兵士の声が震えた。
「行くぞ、アイ」
ケイは、爆風を利用して闇夜へと跳んでいった。
アイの重量級のボディですら吹き上げる爆炎。彼女は無言でケイに追随し、空中で彼のすぐ横につける。二人の影は、闇の中へと溶けていった。
何もかもが飲み込まれていく。爆炎と煙が渦巻き、崩れゆく高層ビルの中、ただ一つ、夜空へと飛び去る二つの影を除いて――。
ケイは自身とアイの周囲に大気の層を作り、何の影響もうけることなく爆風の勢いを利用したのだった。
やがて、静寂が訪れる。
アマデウスはステルスモードで上空に待機していた。ハッチが開いた瞬間、明け方の空に沈んでいた雨雲が、その重さに耐えかねたように崩れた。
ケイの頬を濡らした冷たい一滴は、そのまま重力に導かれ、虚空へと落ちていく。
その雨粒は、ロークの頬をつたい、流れ落ちていった。
ロークの瞳はすでに何も映していない。しかし、彼の顔に流れ落ちた雨粒は、まるで彼が最後に流す涙のように、静かに頬を伝い、地上へと消えていった。
そこに映るのは、紅蓮の炎に照らされたロークのデスマスク。
アイに抱えられる彼は、妻と子を抱きしめたまま動かない。
アマデウスに飛び込む二人。
「随分と派手にやりましたね」
アイはそう言うとコクピットの片隅に遺体をそっと置いた。
ケイは無言で座席に沈み込む。
アイはコックピットのコンソールを操作しながら、ふとケイの手を見る。微かに震えていた。それを指摘することはせず、彼女はただ静かに飛行ルートを設定した。
「……オレは少し休む。目的地へ向かってくれ」
ケイは瞳を閉じ、深く息を吸うと眠りについた。
そして、激しく雨が降り始めた。
ーー崩壊したエリュシオン・パレス。
周囲の者たちは崩落する瓦礫に飲み込まれていった。
遠くからその様子を見守る者達は見上げた。
朝焼けの色か、燃え上がる炎が映る色か、黒雲はネオンよりも明るく紅に染められていた。
崩れ落ちたエリュシオン・パレス、その姿はまさに"天上の楽園の墓標"そのものであった。
墓標と化したエリュシオン・パレス。
二人はロークとその家族を回収し次なる目的地へと向かう。