表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
114/117

記録104 それぞれの存在理由

科学者たちとの会話が続きますが、ゆっくりと味わっていただければ嬉しいです。

床の下でごく浅い震えが走った。薄く乾いた空調音に紛れて、誰かの息がひっかかる。ケイの胸もとで、黒い核が一度、鼓動を打った。空気がかすかに歪み照明の白が揺らいだ。


「……反応が」

最初に気づいたのはアイだった。虹彩に細かな演算光が走り、すぐに声に変わる。

「異常波検知──黒蝕核、微弱な再起動反応を確認。モノリスが反応を検知、スキャンを始めているようです」


壁面に埋め込まれた指示灯が順々に点き、会議室の空気が一段重くなる。背もたれを引く摩擦音、白衣の布が擦れる気配、乾いた唇を湿らせる微かな舌の音——細部の音が、妙に近い。


ケイは短く息を吐き、ゆっくりと懐へ指を差し入れる。視線が集まる。彼は迷いなくそれを取り出した。



……ズ……ゥゥゥ……



掌の上の結晶体は、鉱物に似て鉱物でなく、金属に似て金属でない。表層は微細な膜に覆われ、固形の様で液体のように形を変えながら、淡い光を放っていた。内部では紫と青が混ざり合い、流体が心臓の拍動のように脈を刻む。周期は一定ではなく、ケイの鼓動と共鳴するたびに短くなる。周囲の空気がわずかに膨張し、温度は急激に低下——計器が赤く点滅する。


「温度−12度、エネルギー値上昇」


存在しないはずの熱量が検出され、壁面のセンサーが微かに唸る。

確かにアポステリオリで存在を否定された黒蝕。だが、ここに在るという矛盾を、新たな情報として現実へと上書きされたのか。はたまた、別の存在として現世に定義されたかのようである。


会議室の温度がわずかに下がり、誰もが息を止める。


「おお……」


誰かの声が漏れ、続いて別の誰かが椅子を押しやる甲高い音を立てた。前列の研究員が身を乗り出し、胸郭が上下する。喉の奥で生まれる歓喜とも畏怖ともつかぬ吐息がいくつも重なった。


「それが……かの惑星で、進化の先に辿り着きし核……」


「凄い……」


「みたまえ、あの熱量を……実際に目の当たりにすると、とんでもないな。こんなものがこの世界に存在していいのか?」


博士は歩み寄り、顔を近づけすぎない距離で留まった。指先が、わずかに震えるのを抑えるように組まれている。


アイが解析を続ける。


「URC——人工的に創られた細胞は、黒蝕と見事に癒着……いえ、融合しています。もはや異なる素材ではなく、一つの新しい生命体、細胞といえます。……まるで、一つの生命がここに芽吹いたかのようです」


その一言で、ざわめきが一段深い静寂に沈む。誰かが息をのみ、遠い計器が低く鳴る。ケイの掌の上で、黒蝕核が彼の拍動に同調するように脈打った。


博士は微かに笑い、姿勢を正す。

「——よろしい。始めよう。我々が知る限りのURC研究の全記録を、ここで統合する」


ホログラムが立ち上がる。


空気がひときわ張り詰め、光がちらりと瞬く。誰かが息を吸い込み、緊張の音が小さく響く。

一瞬、光が弾け、マトリックスは構造自体を変化させ新たな演算を始めた。青白い残光が視界を満たし、空間の輪郭が震える。光の粉塵が漂い、頬の産毛がわずかに照らされる。小さな電流音が混ざり、空間全体が呼吸を始めたようだった。


研究者たちの息づかいが整い、誰もが次の言葉を待つ。


「表向き、あの研究所はARKプロジェクト——“箱舟計画”の一端を担っていた。燃素(フロギストン)を効率的に回収・生産し、銀河規模のエネルギー不足を解決する。少なくとも、外部にはそう伝えられていた。それもまた事実……」


映像が切り替わり、巨大な採掘衛星、燃料の滝のような光跡が流れる。後列の研究員が身を起こし、眼鏡の位置を確かめる。その指が震えているのが見える。光が彼らの顔を淡く照らし、室内は深い蒼に染まる。


「だが、実際にはその“箱舟”の影で、もうひとつの計画が進んでいた。URCプロジェクト——“生体適応型進化促進装置”、万能再生細胞の研究。本当の目的は、生命の進化そのものを人工的に誘導することだった」


静かな唸りが室内に広がり、空気がわずかに揺れる。光が緩やかに滲み、誰かの息が細く震えた。


博士の声が一段低くなる。

「だが観測記録によれば、やがて黒蝕は自壊と再生を同時に繰り返す——超自壊(アポトーシス)と超再生(複製)のサイクルを形成し始めた。それは、()()()()()()()()()すること、つまり『再設計(進化促進)』を意味していた」


映像の中で黒が鉱石へ触れる。ウムブライトの結晶が曇り、砕け、別様の秩序で再配列する。顕微鏡越しの画面に誰かの指が近づき、ふるえる。


「もともと黒蝕はウムブライトを捕食していた。鉱物を糧とするはずのそれが、次第に表層へ進出し、生体組織をも侵食しはじめた。我々はそれを単なる異常変異ではなく——進化と判断した。なぜなら、環境への適応を超え、星そのものを喰らい、自己の目的を持ち始めたからだ」


前列の若い研究者が小さく口笛のような息を漏らし、慌てて口元を覆う。別の誰かはメモを取ろうとして端末を落とし、硬い床に乾いた音を立てた。


「つまり、URCは生命に意志を与える装置としての()()を示した。進化を加速させるための触媒として研究段階にあったが、黒蝕の中でその理論は実用段階に達していた……いや、君たちが訪れたことがトリガーとなったのだろう。()()は夢を叶えるために、自らの進化を進めた」


ケイは黙ってホログラムを見上げる。視界の奥で、過去の閃光がちらついた。ノクス・ヴェルムの空、崩れ落ちたシェルター。胸の奥でなにかがきしむ。喉の奥が焼けつくように重く、傷が疼く。記憶の奥で、黒い光が脈打つ。それは痛みとも呼べぬ、あのバケモノの叫び。存在の根を揺らす熱だった。アイはその微細な変化を拾い上げるが、すぐには言葉にしない。



——空調の低い唸りが、会議室を満たしていく。

博士が画面を切り替える。輸送ログ。夜の港。油で濡れた舗道に反射する赤い警告灯。木箱の中に整然と並ぶバイアル、ラベルは〈医療補給〉とある。

映像にはまだ黒蝕に覆われていない平和なノクス・ヴェルムの姿。防護服も来ていないクアドリス達の姿。科学者たちが街を訪れ、様々な鉱石に目を輝かせ、これからの未来に革命が起きると、誰もが信じている姿だった。


「アンドロイドや兵器の戦争は資源に限りがある。資源が尽きれば製造は止まり、戦線は静まる。だが……もし、生物そのものが死ななくなったらどうだ?」


沈黙。何人かが椅子の縁を握り直し、爪が白くなる。


「この円環の闇は深い。ヒトやモノが資源だった時代には、まだ終わりがあった。URCはそれを奪いうる。未完成の延命は、終わらない消耗を生む」


誰もが沈黙した時、メシエがためらいがちに手を上げた。

仕草は小さく、しかし声は正面から。彼女の瞳が揺れ、頬の筋肉がわずかに緊張する。照明がかすかに明滅し、彼女の横顔を切り取った。唇が震え、声を発する前に小さく息を呑む。その一瞬のためらいが、彼女の感情の揺らぎを際立たせていた。


「でも……博士、それだけじゃないと思うんです。たぶん……。私だって、メリナで平和に暮らしてきたけど。メリナの中でだけでも歴史上に多くの戦争があったよ。戦争が世界を急速に発展させたことも知ってるつもり……でも、そうじゃない」


博士が顎を引く。周囲の空気が再び緊張を帯びる。


「ほう、どういう意味だね?」


メシエは言葉を選びながら、まっすぐに続けた。

「博士も、みなさんも純粋な探求のために、ここに隠れて夢を追っているじゃないですか……だから。私……URCを作った人たちの最初の動機は、もっと単純で、もっと生理的だったと思う」


「生理的とな」


「はい。死にたくない、生きたい、助けたいっていう……正義に似た欲望・欲求。永遠の命って、深いテーマだけど、本当はすごく単純な願いなんじゃないかって」


後列で誰かが小さく鼻をすする。博士は短く目を伏せ、頬の力を抜いた。室内の空気が柔らかくなり、照明の色も少し温度を帯びる。


「……なるほど。科学の始まりはいつも欲望だ。知りたい、作りたい、生きたい。そのどれもが燃料になる。それは欲望でありながら、始めの一歩は純粋であると」


「うん……私だって、今ならわかる。パパもママも……助けたかったから」


アイが補足する。


「そうですね……。皆さん、あの地下研究施設で回収した記録、アマデウスで解析を続けてきたものがあります。このデータはあの地下でしか手に入らないはずです。……その初期ログに『愛する者の記憶を継ぐ』との記述を確認しました。動機は一様ではありませんが、指向性は『喪失の否定』に収束しています」


「愛、か」


博士はわずかに笑う。


「危うくも、強い燃料だな」


メシエはケイを振り向く。彼女の瞳に、驚きと祈りが同居している。


「だって、そうでしょ? ケイだって……今の苦しみから解放されて、自分の生きる理由を知るために、URCがないと生きていけないかもしれないんだもん」


視線がケイに集まり、空気が一段沈む。ケイは核を胸に戻し、ゆっくりと呼吸を整えた。


「否定はしない」


彼は短く言う。


メシエの唇が震え、すぐに結ばれる。


「それでも、希望なんだよ……私はこれからもケイと生きたい。だから、URCがたとえ怖いモノでも、どれだけかかっても」


博士は長く息を吐いた。

「そうだな。希望であり、同時に呪いでもある。だが——我々はその(あわい)で生きている」


アイが静かにまとめる。

「生きるということは難しいのですね。……いえ、ヒトと言うのは本当に理解しがたい」


「……ふ」

ケイの顏が僅かにほころぶ


博士はホログラムを閉じ、室内に夜のような陰影が戻る。わずかな青が残り、指の先に冷たい光が触れる。

「我々が探求するのは、宇宙のためではない……我々自身の存在理由そのものだ」


誰も動かなかった。黒蝕核がケイの胸で静かに同期する。静寂がゆっくりと膨張し彼らの意識を包み込む。


誰かが囁いた。

「……存在理由」


アイが応じる。ケイもメシエもそれに続き、三つの声が同じ高さで重なった。


「「「存在理由」」」


——静寂が訪れる。残響のような共鳴がまだ空気の中に漂い、誰もが息をすることを忘れていた。

意識が共鳴する。天井の残光がひときわ強く明滅し、モノリスが応えたようだった。


博士はしばらく沈黙してから、深く息をついた。静寂を破るように、彼の声が再び響く。

「……ケイ。その黒蝕核を我々に研究させてもらえないだろうか?」


数人の研究者が顔を上げる。博士の瞳には、熱と誠意が宿っていた。


「悪いようにはしない。必ず、この成果を持って返すと誓う。これは、進化論を改稿する唯一の機会かもしれないのだからな」


室内に再び静寂が落ちる。ケイは何も答えず、ただ核を見つめた。その光が、彼の瞳に淡く映り込んでいた。


博士は少し間を置き、穏やかな声で続けた。

「そして、ケイ。君がURCを完成させた先に願うものを、今一度教えてくれないか?」


その問いに、ケイのまぶたがゆっくりと持ち上がる。短い間のあと、静かに口を開いた。

「……オレの力についてだ。ここ、モノリスの科学者なら、もしかしたら理解できるかもしれないと思ってな」


博士が眉を上げ、周囲の研究者たちがざわつく。


「モノリスが解析したみたいだが、オレには特殊な力がある。簡単に言えば——それは、超能力だ」


アイが手をかざし、ホログラムが再び展開される。そこには、ケイの能力を記録した映像が映し出された。空気が揺らぎ、床の粒子が逆流する。


研究者たちが息を呑み、レイモンドが思わず椅子を引いた。メシエは口元を押さえ、言葉を失う。


「いったい……なんですか、これは……」


研究者たちがざわめき、計測装置の光が細かく点滅する。息を呑む音、椅子の軋み。誰もがモニターに釘付けになっていた。


ケイの声が低く響く。

「オレの脳。超常的能力の発動により、オレは感覚を失っている。脳の力を引き出せば、物理法則を無視した力を得られる——たしかに、オレの力は因果を歪めているのかもしれない。ただ、そのオレが消滅せずに残っている、それは宇宙にとっては些細なイレギュラーなのかも知れないけどな」


静寂が戻る。ケイはゆっくりと息を吐いた。

「まぁ、そんな力だ」


博士はわずかに顔を伏せ、考え込むように目を細めた。誰も言葉を発しないまま、時間だけが流れる。

「……君の力が、URCとどう交わるのか。興味深い……いや、そもそも君の力が、なんなのかを調べる必要があるな」


その一言のあと、博士は視線を上げる。

「だが——その答えを出すのは、まだ早い。君に使うにはリスクしかない」


アイが短く記録を締める。

「そうですね……失敗は許されませんから」


その時、その言葉に応えるかのように、再び鼓動が聴こえた。


ズゥゥ……ゥゥゥ……


アイはその様子をみて、言葉を紡ぐ。

「これはまだ卵と言えます。羽化させるために、温めなければなりません」


室内の灯が一斉に落ち、残響だけが、彼らの耳に残った。


「そうだな、託そう。オレたちに制御できるもんでもねぇ。あんたたちはソレを。オレたちは依頼を」

「ええ」

「うん」


「よし……では」


博士は耳に手を当てると、拡張器にて棟内スタッフ全員に通達した。


《第六観測棟の皆よ。我ら研究班の鍵がここにある。立ち上がり研究を再開するのだ!》



いかがでしたか?

どんなことにも、ものにも存在する、生まれてきた理由がある。

それを、生かすも殺すも、自分次第。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ