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記録103 仮説と理論とアポステリオリ—宇宙の鼓動

難しい話ですが、この物語の宇宙理論を是非。

映像が切り替わる。損壊した通信音声、乱れた文字列、途切れ途切れの警告ログ──


《URC-sequence……failed……》


という断片音声が会議室の空気を震わせた。ノイズに混じる一瞬の高周波が、壁を這うように伝わる。誰もが息を飲んだ。


博士は椅子から立ち上がり、深く息を整える。その声音には、長い時間の果てにようやく辿り着いた者の確信と疲労が滲んでいた。


「……我々、アポステリオリ研究班の暫定結論だ」


ホログラムが拡張され、銀河の立体構造が会議室全体に広がる。淡いフィラメントが脈動し、まるで神経網のように光が流れた。壁という壁が青白く照らされ、空間そのものが一つの巨大な脳の内部のように見える。



「第一仮説──宇宙自浄仮説(Cosmic Apoptosis)。意志的進化が局所で均衡を壊したとき、宇宙は恒常性を守るため自己修復を発動する。アポステリオリは、その過程で生じる記録の抹消と構造の巻き戻しだ」



冷却装置の低い唸りだけが残る。

ケイは腕を組み、銀河の中心を射抜くように見ている。アイの虹彩に微細な計算光が走る。メシエは唇を固く結び、その光の反射を見つめていた。瞳の奥で、揺らぐ星々が波紋のように重なっていく。理解しきれない理論の連なりが、彼女の胸の中でゆっくりと形を変え、恐れと敬意と小さな好奇心が入り混じる。彼女は手を握りしめながら、銀河の中心に微かな震えを感じていた。



博士は視線を上げる。



「第二仮説──情報境界改稿仮説(Holographic Rewrite)。宇宙の記憶は境界面に符号化される。閾値を超えた逸脱(URC由来の急激な進化など)が発生したとき、境界の符号は矛盾最小解へ再符号化され、地平の内側──我々の履歴から痕跡が一様消失する」



静寂を裂くように、別卓から若い研究者が低く抗う。

「神話化しすぎではないですか? 熱力学的管理仮説は捨てるのですか? 高エントロピーの増殖経路を系全体で遮断する分岐剪定として説明可能なのでは。()()など擬人化にもほどがある!」



博士は頷き、第三の層を重ねる。



「第三仮説──観測反転仮説(Observer Inversion)。観測は一方向ではない。我々が対象を測ると同時に、観測構造そのものが観測者を最小作用へ押し戻す。その結果が記憶の欠損であり、存在の位相すべりだ──神話を捨てる必要はない、比喩は未知の輪郭を示す地図でもある。だろう?」



ホログラムの銀河が一瞬強く光ってから、深い陰影へ沈む。誰かが嗚咽を噛み殺し、誰かが笑いながら泣いた。ケイの拳がわずかに握られる。


博士は言葉を継ぐ。

「重要なのは──君たちがその渦を通過して、なお()()()を保った事実だ」


視線がケイとアイに集まる。



「観測対象:〈ケイ/アイ〉……君たちはモノリスによりスキャンされ、既にその特質性を分析されている。アポステリオリの中心でなぜ生き延びることができたのか?」


ホログラムの光が再び波打ち、会議室の空気が少しだけ柔らぐ。銀河の光脈が呼吸をするように明滅し、理論の冷たさの裏に生命の鼓動を垣間見せる。博士の声も一瞬和らぎ、難解な数式の間にかすかな静けさが流れた。



《生体指標:ケイの神経系は漂白域の通過時に広帯域の同期化を示し、彼の持つ超常的感覚(脳神経系の変質)の代償として感覚ダイナミクスの恒常性喪失が進行している。だが因果の渦の中、それが臨界で機械指標(数式ID)=アイとの相互同期が発生、自己同一性とその存在が保持された》


《機械指標:アイのログには『checksum(チェックサム) mismatch(ミスマッチ)(記憶の齟齬 や 存在のひずみ)』が多発。しかし、単体では破綻するはずの系列が、生体指標(生体ID)=ケイの連続存在をアンカーに再整列している》



「──結論。二者は相互錨(mutual(ミューチュアル) anchor(アンカー))として機能し、観測反転の剪定から外れた。宇宙が完全修復を行うなら、君たちは消えていた。だが消えなかった……これは緩やかな進化が『許容解』として採択された徴候だと言えよう」



博士は手元のデータを切り替える。URC細胞群、黒蝕変異遺伝子、アポステリオリ出現領域の分布図が交差し、螺旋状に交わる。



「さて、これらの結論は、君たちが持ち込んだ情報を、我々の仮説と研究データを基にモノリスが自動解析をしてくれたものだ……。そして、これを視たまえ。アポステリオリとURCには、明確な因果関係があると我々は見ている。URCが生み出した黒蝕の()()()()()──それが宇宙の恒常性(ホメオスタシス)(内部環境を一定に保ち続けようとする性質)を乱した。宇宙は均衡を失えば、自ら修復を試みる。その結果として発現したのがアポステリオリ現象だ」


誰かが呟く。

「──宇宙規模の恒常性維持機構……」


博士は手元のデータを操作する。断片的な映像がホログラム内に浮かぶ。黒蝕の崩壊、ウムブライト鉱石の結晶化、崩れ落ちる研究棟、そして惑星の消滅。光が走り、すべてが無音のまま吸い込まれていく。


「だが、勘違いしてはいけない。」

博士は続けた。

「黒蝕を倒したこと、あるいは死神と呼ばれる存在が現れたこと……それらはアポステリオリの直接的要因ではない。むしろ、偶然の結果。因果の渦に巻き込まれながら、その臨界を越えた者たちの記録にすぎない」


光がケイたちの顔を照らす。博士の視線が、ゆっくりと彼らをなぞる。


「ケイ、アイ、そして共に歩んだダグラス、ノクス・ヴェルムの民……そして死神すらも。君たちはその渦の只中にありながら、消えずに戻ってきた──それは、極めて微細だが確かな進化。宇宙が淘汰ではなく()()を選んだ証拠だ」


そして、更に続けた。

「君たちの存在は、この宇宙の記憶の、深層にある引出に鍵を掛けた状態に等しい。つまり、君たちを消滅させる意味は無いと判断された。そしてまた、その記憶が必要な時に、引出は開かれる。それが今だったのだ」


博士はホログラムの中心に光を集める。その中に、URC細胞群の構造式、黒蝕の変異遺伝子、そして時空の揺らぎを示す数列が浮かぶ。


「アポステリオリは、特別な出来事ではないのかもしれない。我々が観測できないだけで、宇宙のどこかで常に起きている。記録も記憶も消えるから、気づくことさえできない」


ホログラムがわずかに明滅する。博士はその光を指先でなぞりながら、ゆっくりと言葉を結んだ。


「だが、我々が知る限り──この『観測可能な宇宙史』の中で、アポステリオリが発現した形跡は少なくとも三度ある。その三度すべてに共通するのは、曖昧でも記憶が残っているということだ。完全な消失ではなく、誰かが見ていた」


「……三度も?」


沈黙。


メシエがぽつりと呟く。

「……博士の言ってたアポステリオリって、たぶん、知らないうちに消える星みたいなものですよね」


誰もが彼女に目を向ける。彼女はホログラムの星々を見つめながら、続けた。その素朴な語りは、宇宙に生きる全ての者たちの代弁だと言える。


「夜空の光って、もう何億年も前に出たものが、やっと届いてるんですよね。でも、その星はもう、どこにもないかもしれない。それでも私たちは、()()()()()と思って見上げてる。……もし、誰も空を見なくなったら、その星は、本当に消えちゃうのかなって」



静けさが、再び会議室を包んだ。博士は何も言わなかった。ただ微かに頷いた。



そのとき、アイが静かに言葉を継いだ。

「メシエ……アポステリオリは、宇宙が自らを守るための反応でもあるのでしょう。生体の中で起こるアポトーシス(自壊)=癌化に似ています。細胞が異常をきたすと、全体を守るために自ら死を選ぶ──それは、ある意味で正しい進化です。逆に言えば、癌化とは急速な進化。秩序の限界を越えた成長の暴走です」


メシエはアイの言葉に目を見開いた。

「……じゃあ、黒蝕も、宇宙の癌みたいなものだったのかな?」


「はい、おそらくは……」

アイは頷く。

「URCの研究がその均衡を乱し、宇宙の恒常性が反応を起こした。だから、アポステリオリは滅びではなく、全体の調和を保つための再生でもあるのかと」


「そっか。宇宙が記憶を消すって、そういうことなんだ……誰にも気づかれないまま、静かに……でも、それでも、誰かが宙を見上げていれば少しは残るのかもしれない。ケイとアイはその記憶の鍵なんだね」



その言葉のあと、短い沈黙が落ちた。誰かが小さく息を吸い、誰かのまばたきが光を切った。ホログラムの星々が一瞬だけ脈動し、空間全体が静かな鼓動を打つ。呼吸と光が重なり、時間が止まったように感じられた。


博士の声が重なった。

「我々が観測しているのは、星ではなく、宇宙という生命体の記憶そのものだ」



その言葉に、メシエの視界がゆっくりと広がっていく。ホログラムの星図が天井一面を覆い、光が彼女の瞳に反射した。恒星系は分子のように結び合い、銀河は細胞のようにうねり、銀河群は臓器のように脈動していた。遠くのフィラメントが光を伝う様は、まるで神経の電流のようだ。宇宙そのものが生きている。呼吸し、記憶し、そしてときどき痛みを忘れる──そんな気がした。


ケイは沈黙のまま腕を組み、アイはわずかに瞳を閉じた。彼らの背後で、レイモンドが低く呟く。瞬間、会議室全体の空気が静まり返る。誰もが呼吸を止め、まるで全員の息が一つに揃ったかのようだった。光が動きを失い、音も消える。ほんの一瞬──宇宙そのものが聴いているような無音の時間が流れた。



「……宇宙が生きてる、か。そいつは、でけぇ話だな」


「蛇足ではあるが……タイムリープ現象も、もしかするとこの因果の渦と記憶の改変により、起こりえるのかも知れんな……うむ」


博士は小さく息を吐いた。

「そして今、このモノリスが、その記憶を取り戻そうとしている」


博士はわずかに顔を上げ、低く呟いた。

「……始まったか」


アイの瞳孔が収束し、静かに応じる。

「反応を確認。臨界値、上昇……?」


その直後、誰もが息を呑んだ。時間が一瞬、引き伸ばされたように感じられる。照明が微かに明滅し、空気の密度が変わる。博士も言葉を失い、ただ計器の光が頬を照らしていた。


その瞬間、ホログラムの銀河がぱち、と火花のように跳ね、室内の重力が針の先で弾かれたようにわずかに歪む。テーブル端の計器が自動で立ち上がり、赤い帯が走る──


《URC擬似列、微弱起動》


──黒蝕核が静かに脈動していた。

いかがでしたか?

宇宙理論と生命の因果を描いてみました。

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