プロローグ 暗闇に浮かぶ黒
新章開幕です。
いよいよ革新へ?
ここで紡がれる物語を是非お楽しみください。
――沈黙は、宇宙最初の言語と言える。産声は無く、ただ静かに世界は広がる。数億、数兆年、それ以上の時が経ち、暗闇に微かな光を見つけた。その光に導かれるように世界は形を成していく。そしてまた、星の光が遠のき、闇が海のように満ちていく。
アマデウスはその海のただ中を漂っていた。通信は不通、電磁波は反射せず、距離も速度も意味を失う。計器のメモリは震えたまま止まらない。
ヒトビトの間で“漂流衛星”の噂は古くから囁かれていた。だが見た者はいない。ただ、宙に消える船を見たという記録だけが断片的に残されていた。ある者はそれを秘密結社の研究拠点だと言い、ある者は科学の墓標だと恐れた。人体実験、禁じられた兵器、死者の蘇生――噂の数だけ闇があった。
ケイは黒蝕核を見つめ、静かに息を吐いた。手の中のそれは、光でも闇でもなく、ただ不気味に黒を放っているように見えた。
「このまま進め」
「了解」
アマデウスと一体化するアイは、ただ一つの指標を目掛けて操船する。
メシエが不安げに尋ねた。
「それを……調べに行くんだね? それが未来に……」
ケイは目を細め、短く答える。
「ああ。URC。黄金郷、伝説の巨大コロニーM110で生み出した科学の結晶。その過程で生まれた黒蝕の進化体。……これはその進化の残滓だ」
説明というより、彼は独り言のように呟いていた。自分に言い聞かせるように。
艦内の灯がわずかに揺れ、メシエが計器を睨む。
「あ……星図が消えた?」
アイが端末を操作し、冷ややかな声が響く。
「恒星の座標、参照不能。外部重力場に異常な揺らぎを検出。……空間そのものが動いています」
ケイが静かに顔を上げる。
「……すでにモノリスの領域内か」
短い沈黙。外の闇の向こうで微かな反射が生まれた。遠方の残光が、何か平面に弾かれたように煌めき――すぐに吸い込まれた。光が闇に食われ、宙よりも純粋な黒が形を得ていく。
輪郭を持たぬ構造がゆっくりと重なり合い、漆黒の立方構造物が姿を現した。全長は十キロほどの小型コロニー。だがその狭さが異様な閉鎖感を放っていた。
「アマデウスに応えるように……いえ、キューブに反応してステルスが解ける仕組みのようです」
「……これが……」
メシエの声が細く震える。
「その名に相応しいですね」
そして、鍵となる黒いキューブの表面がずれ、折り畳まれ、無音のまま一枚の石板へと変わる。鍵は、モノリスの全貌を表していた。そして、中央の一点が灯り、宙を射抜くように光を放つ。
目の前の漆黒の構造物が反応し、無数の立方体の断片が集合し、巨大な石板構造を模していく。外壁のようなものがゆらぎ、表面を淡い粒子が走った。まるで呼吸しているかのように、その構造物は生きているようであり、しかし無機質な黒い石板状構造へと変形した。
「あぁ……黄金郷とは対を成すがな」
ケイは小さく呟いた。
アイは中央の光点を見つめ、低く呟く。
「……ドックが開いたようです」
推進を止めているのに、アマデウスは前へ進む。
明滅する光点が彼らを導いていた。
ケイは無言のまま外を見つめ続ける。メシエは視線を外せずに呟いた。
「……なんで、こんなところで? どうして、ここまでして研究を続けるのかな」
その声は、恐怖よりも好奇心に近かった。
「そして、何を見ているんだろう……」
誰も答えなかった。
外の黒い巨大な石板状の構造物がゆっくりと形を変えていく。闇が語りかけてくるようだった。
「ステルス機能に加え、各種探知を無効化しています」
「どうりで見つからないわけだ。……エルドラードを崇拝する者たちの隠れ家か」
ケイの身体に力がこもる。その視線は鋭く、黒い瞳の中に小さな光を携えていた。ここには次への手掛かりが必ずある――そんな予感が脳裏をかすめる。
だがその奥で、皮膚の下をなぞられるような圧が背骨を這い上がった。エルドラード、それは百年戦争を終結させた世界の闇。わかってはいる。ただ確実にその闇に近づいている。
視界の端で艦体の外殻に光の線が走った。それは神経のように枝分かれし、アマデウス全体を包み込んでいく。
「……スキャンされています」
アイの声がわずかに掠れる。
「波長不明、認識の層での干渉です。脳波反応、全員分キャッチされています」
メシエが震えた声を漏らす。
「確認されてる……?」
「そうみたいだな」
ケイはただ一点を見据える。心の奥に緊張が小さな波紋を描く。外の闇を通して、自分が試されているような感覚を覚えていた。
アイの瞳がわずかに光を増す。
冷たいはずの光なのに、核融合炉が心臓の鼓動が早くなったように認識した。それと同時に、自分はこんな闇の中で産まれたのかもしれないと、その淡い光が揺らめいた。
彼女は胸にそっと手を添え、それを抑え込み、静かに呟く。
「……彼らはこうやって世界を渡っているんです。私も知らないところで……」
その声は少し震えていた。だがその震えは恐怖ではなかった。
「ここで生まれた技術や知識が、少しずつ世間に浸透していく。誰かの手に、金や名誉という名で渡る。世間の科学者や技術者が発明したとは限らない。こうやって独り歩きし始めるんですね」
アイの言葉は何かを確認し、認識するようだった。彼女の言葉に耳を傾けてはいたが、誰も言葉を返さなかった。
しばらく周辺環境を観察し、ケイは短く息を吐いた。目の前の闇の中にわずかな光を見つけるように視線を向ける。胸の奥で静かに呼吸を整え、そして口を開く。
「……さ、行こうか」
その声に呼応するように、モノリスの外殻がわずかに震えて見える。数え切れない立方体が回転し、内部に光を閉じ込める。待っていたと言わんばかりに。
アイが胸を上下させ、そして告げる。
「――観測開始します」
この暗闇の中で、一筋の光を掴むことができるのか。音もなく進むアマデウスは、モノリスの口へと吸い込まれていった。
モノリスは確かに存在した。
彼らは何故3人を受け入れたのか?




