エピローグ 未来を歩くために
これから共に歩くために。
アマデウスの艦内は静寂に満ちていた。スラスターの低い唸りと、壁を走る光の筋だけが生命を示している。窓の外に散る星々は凍てついた宝石のようで、ひとつだけ脈動する座標が遠くに息づいていた。漂流衛星『モノリス』。
操縦席のケイが短く言う。
「航路固定、誤差なし」
隣のアイが即座に応じる。
「モノリスまで27時間43分56秒。軌道に通常の重力則は働いていません。……人工的な修正が加えられている可能性が高いです」
その言葉に艦内の空気がひやりと冷えた。メシエは後部の座席に腰をかけ、胸の奥の熱を感じていた。恐怖の名残りか、それとも未知への昂ぶりか、自分でもわからない。
ケイが外套の内側から、小さな黒い結晶を取り出す。光を吸い込みながら内奥で微かに揺らめくそれは、惑星ノクス・ヴェルムで回収したという黒蝕核。
(……ノクス・ヴェルム?)
「……これがオレたちの行き先だ」
短く低い声が響く。
メシエは息を呑んだ。結晶を見た瞬間、頭の奥に疼きが走り、視界が淡く歪んだ。恐怖と嫌悪、それでも目を逸らせない。災厄の残滓でありながら、確かに“歩む理由”を形にしたものだと。
アイが静かに言葉を落とした。
「黒蝕核、アポステリオリを経て尚、消えることの無い事実。これはこの世界の因果の外にあるのかも知れません」
言葉は淡々としていたが、その奥に微かな畏れが滲んでいた。彼女は一瞬だけ瞼を伏せ、再び視線を上げる。
「……私たちの未来は、この先に──」
艦内に短い沈黙が落ちる。ケイは答えず、ただ前を見据えるだけだった。
メシエは座席に腰を下ろしたまま、端末の画面を開き、指先で文字を刻む。旅を始めてから、実はずっと日記をつけている。誰にも見せたことのない、自分だけの声。
『パパ、ママ──
もうすごく前のことに感じてる。まだ怖い夢を見るけど、それでも毎日必死で。ただ生きるために前を向くしかないよ。
還りたいと思うことは無くなったよ。歩く場所は変わったけど、私は前を向けてると思う。ケイもアイも冷徹に見えるけど、でも一緒に歩いてくれているんだ。なんでだろう、まだそれはわからない。
それに、世界がこんなにも汚れているなんて……ううん、純粋なんて知らなかった。生きるって本当に大変なんだね。
私を拾ってくれてありがとう……だから、ちゃんと未来へ向かいたい。
私は、私が生まれてきた意味を知りたい』
メシエは指を止め、息を吸う。画面には拙い文字が並び、震えや迷い、弱さや希望が刻まれていた。正確無比なアイのログとは違う、個人の証のような文字列。それでもいいと思えた。これが自分の存在証明だから。
窓の外、星々は変わらぬ光を放っている。その中でひとつ、脈動する光点、モノリスへの座標が見えてきた。メシエは立ち上がり、その光を見つめる。胸の奥に熱が宿り、震える指を握り直す。
「……私は歩く」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
──未来を歩くために。
アマデウスは静かに宙を進む。星の海を裂き、まだ誰も見ぬ未来へ。
エピローグいかがでしたでしょうか?
短い章でしたが、次のステージへ。
メシエの成長と共に。




