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記録94 日進月歩の闇市

メシエとの旅は、また一歩ずつ探すことから始まる。

船内は金属の軋みとエンジンの唸りだけが生き物のように呼吸していた。メシエは喉の渇きに目を覚ました。エンジン音に紛れて響く異音、視界の端で影が揺れ、足を止めた。


その一角にケイがいた。汗に濡れた背中、無駄のない動き。狭い床板を相手にするように、黙々と型を打ち続けている。一撃ごとに床が重く響き、影が壁を震わせた。近くにはアイが無言で立ち、淡い光のホログラムに走る波形を見つめている。


声をかけかけてメシエは飲み込む。こんな時間まで──思わず息が詰まった。

いつも眠っていた。いつも守られていた。歩いているつもりで、ただ付いていっていただけ。胸の奥が熱くなり、同時に頬が焼けるほど恥ずかしくなった。


気づけば言葉が零れていた。

「……ケイは、休まないの?」


アイは一瞬だけ考えるように視線を伏せ、それからごく当たり前の調子で答えた。


「どれだけ苦しくとも身体を動かす。肉体疲労からの回復時、同時に精神疲労の回復が得られるのです。その代わり、しっかり栄養を取る必要もありますし、最低限の睡眠も必要です。寝ていないわけではありません。彼にとっては、鍛錬そのものが休息の形でもあるのです」


ケイの震脚が床を踏むたびに「ドン」と重たい音が響く。


「あなたも陸上競技をしていたのであれば、身体と心の働きがなんとなく理解できるでしょう。ただ、ケイの場合のそれは常軌を逸している、と言えるかもしれませんね。私たちにとっては、それが普通ですが」


その言葉は冷たくも優しくもなかった。ただ事実を述べたにすぎない。けれどメシエには逆にその普通が異常に思えて仕方がなかった。


メリナを発ってから、すでに数ヶ月に及ぶ時間が過ぎている。それでもケイの身体は癒えず、アイの皮膚も自動修復が追いつかない。なのに二人は立ち止まらず、鍛錬を積み続けていた。



それから数日後、とあるコロニーにて。

メシエの毎日は外に出てヒトビトの観察から始まる。現実に触れ、夜は寝るまで社会情勢の勉強をし、疲れて眠りに沈む。だが、夢はすぐ悪夢に変わる。両親を失った夜のこと。セシルが事故で倒れる音。自分が崖から落ちる感覚が襲う。冷や汗で跳ね起きるが、その日、ケイはまだ戻っていなかった。


宿泊先のベランダに出ると、アイが夜空を眺めていた。


「……ケイは?」


アイは黙した。だが、メシエが自分たちのことを仲間と呼んだ日のことを思い出したのか、小さく頷く。

「……あちらに。静かに覗いてください。声をかけるのは、おすすめしません」


外へ出て人気のない空き地を越え、木々の下にその影があった。

ケイが頭を押さえ、身体を折り曲げ、声にならない声で唸っている。頭痛、耳鳴り、眩暈──全身に針を刺されたような痛みが波のように襲っているのが、見て取れた。吐き気に喉が痙攣し、立ち上がろうとしては崩れ落ちる。


メシエは言葉を失った。「どうしたの」と叫びたかったが、声は喉で凍った。


その夜、メシエは眠れず静かに座すアイの傍へ寄った。そして、ケイは一晩中戻らなかった。


両親を失って泣き続けたあの夜以来、初めて眠れなかった。

「ねぇ……アイ、あれもいつものことなの……?」


「そうですね。彼を縛る鎖。呪いのようなものです。貴女を助けた時、彼が常軌を逸した力を使うのを見ませんでしたか?」


「あ……う、うん……見た。そう、そうなの! あれは……何?……何なの?」


「彼だけが持つ力。誰もがわかる表現をすれば『超能力』とでも言うのでしょうか。言い方を変えれば“第六感”や“ギフト”、あるいは“権能”と形容することもできるでしょう……ですが、その力を扱うがゆえに副作用がある。それが彼を蝕む呪いです」


「……超……能力……」


アイは夜空から目を離さず、さらに続けた。

「ケイは、自然の理から外れた存在……超自然的、いえ、超宇宙的な存在なのかもしれません。宇宙とは未知。ケイはその未知の一端を担う者……」


「……そんなことが本当に……? ……ケイって、いったい何者なの?」


「わかりません……。私は、私自身は兵器です。ですが、私はヒトが創りし存在、ヒトの想像の産物にすぎません。……ですが、彼は……ケイは一体……私も共にそれを追っています。もし彼の生まれた意味を知ることが出来れば、私の意味もわかるような気がするのです」



そして翌朝、メシエは二人を待ち受けていた。両手を握りしめ、視線を逸らさない。

「ケイ、アイ……世界のことも知りたい。でも、それだけじゃ足りない。闘い方も一緒に教えて!私は……本気だから。私も一緒に……自分が生きる道を探したいっ!!」


ケイは一拍も置かずに吐き捨てた。

「やりたきゃやれ。その代わり、闘うってのは生きるか死ぬか、ゼロか百しかねぇ。誰も助けてくれない。個人の技量次第……『心・技・体』──これがすべてだ。お前は人間だ、基本的に力じゃ勝てない。今更鍛錬を積んだとして、そんなやつらに追いつけるか? ましてや殺せるか? 考えてみろ」


アイが淡々と引き取る。

「心・技・体、それは一朝一夕で得られません。場合によっては……ほとんどの場合は数十年、人生を賭しても得られないこともあります。ですが、少なくとも貴女が今から戦えるようになるために、武器を持つ事を推奨します。武器を持てば牽制は可能です。ただし“道具”としてではなく、自分の身体の一部と思えるほど叩き込まねば意味がありません。その段階に至って初めて、距離を支配できます」


そして、メシエの表情を、瞳を覗き続ける。

「ケイのように銃とナイフ、格闘術のバランスを高水準で保てる者は稀です。何故なら、彼のフィジカルは常人の十倍に匹敵し、人間種でありながら獣人並みの出力を持ちます。では、どうして彼がその他を圧倒するのか。身体だけに頼っていないからです。その答えは、精神、技術、経験則、柔軟性、応用力──そして、損傷がない限り鍛錬を欠かさない習慣です。私の知る限り、一日たりとも欠かしたことはありません」


アイは一瞬だけ目を伏せた。

「彼は……数えきれないほど、ヒトを殺しています。私は彼の過去を知りません。ですが、戦場が彼を磨き続けた事実だけは観測できます」


ケイはそこで短く息を吐いた。

「……それと、参考になるならいいが、オレより強ぇ奴はまだいる。忘れんな」


メシエはうなずいた。恐れと羞恥──それでも決意は揺れなかった。

「……教えて。歩きながら、守りながら、学ぶやり方を……普通じゃないあなたたちと歩くんだもん」





移動のあいだも鍛錬は止まらない。


ケイが教えてくれるのは『バハラッド式格闘術』──それは、彼が育った惑星ダマスクスの古武術に、現代の軍隊式格闘術が融合した近接(クロース)格闘術(マーシャルアーツ)。約1万年前の古武術は身体能力を最大限に活かすため、精密な身体の動きを獲得するため、徹底的に「型」を刻む。かの惑星は砂漠に埋もれ、足を獲られる過酷な環境。その中で洗練された足の運び方、体幹の維持の方法、力の伝達方法、そして彼が独自に学んできた呼吸のリズムや応用力。


船内でも、宿屋でも、時には小惑星の影で野営しても。狭い床を使い、何十回、何百回と同じ型を繰り返す。時間は何重にも折り重なり、やがて感覚が曖昧になる。ケイは黙って型を打ち、アイは動作を測定し、メシエは息を切らして食らいつく。


そして、アイは1つの提案をした。

「ちなみにシェーネ様の故郷、惑星イクテュスには『エラダン』という格闘術があります。魚人属(マーフォーク)の身体能力に基づいた混成武術で、格闘と武器の両方を前提とする稀有な体系です。呼吸法に(エラ)を用いるのは人間種には不可能ですが、武器操作の技術は学べます」


ケイが短く応じる。

「確かにな……武器と格闘を組み合わせた実戦型か。バハラッド式と同じく生き残るために洗練された武術だ」


アイはさらに補足した。

「シークレット様やオダコン様もそれぞれナイフ術や剣術を得意としています。魚人属は人間種より数十倍も柔軟であり、かつ剛性も強い。その肉体特性を前提とした動きには人間では到達できない域もあります。ですが、観察し、工夫することで応用は可能です」


「メシエ、貴女に向いていると思いますが、どうでしょうか? ただ、今まではケイが教えてきたのは彼自身が体得している基礎があるから。エラダンは私が持つ情報の中から解説しましょう」


ケイは肩を竦めて口を開いた。

「……オレがシークレットやオダコンと、実戦訓練してる記録が残ってるはずだ。イメージしたいなら、アイに映像を引き出させろ」


アイが淡々と頷く。

「はい。記録映像の一部を再生可能です。シークレット様はナイフ術に特化し、オダコン様は剣術に秀でています。双方とも魚人属特有の柔軟性と剛性を活かした動きを見せますので、参考にはなるでしょう」


メシエは思わず身を乗り出した。

「見たい……! それなら、私でもイメージできそう……何でもやる、強くなれるなら!」


「いい心構えです。では……続けましょう」


アイの指示は簡潔だ。

「視線と足運びを同期──はい、次。肩の開きが遅い、0.12秒。前足の爪先、内へ五度。距離、半歩詰める」


ケイの指導は冷酷だった。

「迷うな。迷ったら死ぬ。数字はヒントでしかない、手応えで掴め」


メシエは短棒を握り直す。ケイが扱うナイフ程の長さの訓練用の軽い棒だ。握りの汗が冷えるたび、彼女は歩幅を整え、間合いを測り直す。


「武器が削れた時、お前の腕が落ちたと思え」

ケイの言葉は釘のように胸に刺さる。



鍛練は続き、千時間を越える頃にはメシエの身体に変化が現れた。シャワーを浴び、鏡に映る自分の身体、筋肉が引き締まり、動きは確実に変わっていた。足先は濡れる床すら確実に掴む。辛さの中で、彼女は前を向く実感を得る。さらに数百時間を積み、ようやく航路は目的宙域へと向かう。


実践はしない。けど、前を向いていると感じた。


「辛いのはこの先だ。まだ肉体改造しているだけのこと……脳に、筋肉の動きを、神経伝達を、血のめぐりを、酸素の流れを刷り込むんだ。延々と反復しろ」


「うん、大丈夫」


「メシエの身体の発達は驚嘆すべき速度です。17歳、年齢的な若さはこれほどまでなのでしょうか……信じられませんが、素晴らしい」





そして更に数百時間が過ぎたころ

「ケイ、そろそろ目的宙域まできたようです」


「そうか」


漂流衛星を探すため、酒場のボスから闇市の情報を得ていた。そこへ向かう準備は航路の計算から始まった。目的地は、ある惑星の衛星軌道上に散った小惑星群。その中に“知る人ぞ知る”市場があるという。岩塊は微弱なスラスターと重力制御で互いの衝突を避けながら、まるで踊るように旋回している。正しい時刻、正しい角度でしか開かない“開口部”があり、そこから内側へ滑り込むのだ。


予定の時刻、船は小惑星群の縁へと到達した。岩塊が互いに引き合い、押し合い、光学迷彩の縁がちらつく。アイが航路を重ね、ケイが舵を引く。開口部はわずか数十秒。滑りこむや、暗闇が音もなく開けた。


内部は細い空洞が連なった蜂の巣だった。鉄骨とネオン、仮設ハビタット、即席の屋台。解体されたドローンの部品、遺伝子改造のペット、古い航行ログ。どれも生々しい値札と匂いを放っている。腐肉の臭気と甘い合成香料が混ざり合い、異種族の皮膚が擦れるざらついた音が絶えず響く。



「どこでこの場所と暗号を?」

ドック係が言った。


酒場のボスから聴いた情報が無ければおそらくは一生たどり着かない場所。

そして、ドックにたどり着くなり「コン」「ドン」「ゴン」と靴音が連鎖する。合言葉がわりの習慣は、ここでも生きているらしい。メシエは学んだことを活かす。中央を避け、壁際を歩いた。視線を感じるたび、まずは己の呼吸を整える。


(……そっか、酒場では気が付かなかった。でも通りの場合、壁際を歩けばすぐに路地や物陰に隠れられる。逆に追跡する場合は、人込みの中に紛れるのがいいのかも……)


ケイがメシエの心を読むかのように呟いた。

「だが、同時に拉致られることもある……油断はするなよ」


「うん……」


アイが低く囁く。

「メシエ、観察を訓練に変えてください。瞳孔の開き、呼吸、手の位置……ほら、あそこ。いま右の売人、隠し武器に触れました」


「ふ……声が震えてるな。値を釣り上げる自信がないか」

ケイの直感は速い。





そして、闇市の夜。メシエは二人の言葉を胸で反芻し、短棒の先で空気を切って距離を測り続けた。


その時、通路の奥に異質な連中が現れた。数名、同じ歩幅、同じ癖。腰を屈めて、辺りを見回す。周期的に現れるという噂の、今までなら気が付かない些細な違和感──漂流衛星に関わる者たちかもしれない。彼らの視線は泳がない。呼吸の間隔まで揃っていて、人ではなく機械仕掛けの影を思わせた。


……あれは……。


別の客が絡んだ。賞金稼ぎの肩がぶつかり、空気が僅かにざわめく。メシエは足を止めた。身体が勝手に前へ出そうになり、ケイの言葉が脳裏で鳴る。


……迷うな。迷ったら死ぬ。


アイが囁きが聴こえる気がした。


……ここで手を出せば、全員が敵になります。観察に徹してください。


それらの言葉を思い出し、メシエは跡をつけることに徹した。

科学者と思しき一人が手袋を直す。その掌の内側、微細な金属片が光った。落ちたと思った瞬間、群衆の靴音が重なって姿を消した。周りには誰も居ない。メシエは駆け寄り、短棒で床を払ってソレを拾い上げた。薄いチップ、何かの記録媒体の様だ。





翌朝、ケイが目だけで問う。

「どこに行ってた?」


メシエは黙ってチップを見せた。アイはそれを受け取ると、すぐに解析の光が走る。それは衛星航行パターンの断片だった。再び衛星軌道に乗るための鍵となり得るデータ。その答えにメシエの胸が高鳴った。恐怖と同じ震えで、だがそれは確かに前へ進む震えだった。


「ちゃんと出来たじゃねぇか……だが、下手したら死んでたかもしれねぇ。よくよく感情で走らないことも覚えておけ」

歩くとは、ただ歩くことだけではない。

心も体も前に進むため。

やるべきことが山ほどある。

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