プロローグ 宇宙を歩くために
さあ、新章開幕です。
よろしくお願いします!
辺境宙域の片隅に浮かぶ小さなステーション。船腹の鉄板は継ぎはぎだらけ、壁の表示灯は半分が点滅し、空気浄化装置のファンは咳き込むような音を立てていた。空気には錆と油の匂いが漂い、遠くの通路からは機械の悲鳴のような軋みが響く。正規航路から外れた漂流者たちが集う場所。そこには「社会」という秩序はなく、ただ「取り引き」と「力関係」だけがあった。
ケイたちは貨物ヤードの片隅に腰を下ろしていた。フードを深く被り、退屈そうに炭酸水を口に含む。メシエは落ち着かない様子で周囲を見回した。
「ねえ……ケイ。お金あるの?」
「……金ならある」
ケイは素っ気なく答えた。
「どうしてそんなこと聞く」
「だって……ここ、なんだか全部お金で動いてるように見えるから。私、なにも持ってないし……」
「持ってなくても狙われる。女で、人間種で、若い。十分に“商品”だ」
「……そんなの酷い」
メシエは問いを重ねる。
「ここにいるヒトたちも、私たちも、何なんだろ」
ケイは肩をすくめ、無愛想に「さあな」と返すだけ。
代わりにアイが冷静に答えた。
「私たちは“漂流者”と呼ばれます。社会の枠に収まらず、宙を渡り歩く者たち。定住地を持たず、職能も固定されない。賞金稼ぎ、運び屋、殺し屋、探索者──呼び名は違えど本質は同じです」
「……漂流者……」
メシエはその言葉を繰り返し、まだ意味を掴み切れずにいる。
「……どこに行っても、こんな感じなの?」
思わず小さく吐き出す。その声には反発と戸惑いが入り混じっていた。
「これから科学者を探すんだよね?本当にこんなとこに流れ着くの?」
メシエがさらに問いかける。
「今、私たちが探している漂流衛星は、科学者の吹き溜まりです」
アイが答える。
「正規の研究機関から排斥された者たちが身を寄せ、研究を続ける。人類が見捨てた知識の断片や、危険な発明がそこに集まる。そこには失敗作も成功作も渦巻いています。ある者にとっては宝庫、ある者にとっては呪いの場所です。彼らは拠点と共に漂流しながら時折調達に外部に出ます。そこが接触のチャンスです」
「そんな場所を探して……それで何になるの?」
メシエは思わず口にした。
ケイは視線を逸らし、炭酸水の入ったグラスを回したまま答えない。だが、彼の沈黙こそが、ただの宝探しではないことを示していた。
アイが横から補うように、淡々と告げる。
「私たちがメリナへ行く前に得た手がかりについて調べるため。……ケイにとっては……存在意義を探す旅なんです」
そして、ケイはため息をつき炭酸水を飲み干すと、すっと立ち上がり奥へと歩き始める。
メシエはそれについて行くが、身を縮め思わず目を逸らす。
「な、なに……あのヒトたち……怖い」
通路の隅で肩を寄せ合う3人組を見て囁く。
「あれはただの盗賊だ。見るな」
ケイが吐き捨てる。
「じゃあ、あっちは?」
「売人だな。物じゃなくて、人身のほうだ」
メシエの視線がその男とぶつかり、男はにやりと口角を上げた。慌てて目を逸らすとケイが低く囁く。
「あまり他人をじろじろ見るな。面倒に巻き込まれたくなけりゃな」
「……でも、見なくても感じるから……視線とか」
「なら、それを磨け。見なくても感じられるようになれ。そのうち嫌でもわかる」
アイが補足する。
「漂流者にとって“感知”は生存の第一条件です。正規軍や政府の監視網に頼れない分、自らの感覚を武器にしなければなりません。生物の五感はそのためのもの、組み合わせれば力を最大限に活かせます」
「……うん……」
メシエは小さく頷いた。
恐怖ではない、むしろ視線を返してみたい衝動。だが勇気が足りず思わず目を伏せる。その揺らぎが、彼女の中に新しい感情を生んでいた。
「まあ、知る前に死んでちゃしゃーねぇが……すぐにわかる」
薄汚れた看板が揺れる食堂に入る。照明は薄暗く、壁際の椅子に座る者は皆、仲間内で背を預けたり、壁に背をつけていた。正面に背をさらす者はいない。錆の匂いと焦げた油の匂いが鼻を刺し、グラスのぶつかる硬い音が絶えず響いていた。
メシエは通路の中央を真っ直ぐ歩こうとし、ケイに腕を掴まれる。
「中央は駄目だ。撃たれやすい」
「えっ……」
「壁際を歩け。ここじゃそれが礼儀だ」
彼に引かれて歩き直すと、また視線を感じる。思わず立ち止まりケイを見上げた。ケイは靴底を「コン」と鳴らす。金属床に響く乾いた音。獣人が「ドン」と返す。視線も交わさず、ただ“生きている”証を打ち鳴らした。
「これが漂流者の挨拶だ。“オレは歩いている、生きている”って示す音だ」
「……歩いている……」
メシエは恐る恐る自分の足を鳴らす。一瞬の沈黙の後、奥に座っていた別の漂流者が重々しく「ゴン」と返した。
ケイが口元をわずかに歪める。
「……お前も漂流者だって認められたんだ。ただの迷子じゃねえことを証明できた」
メシエは胸に熱を覚える。震えにも似た誇らしさが小さく灯った。
「……漂流者……」
彼女はまだ完全には理解できない。けれど、その音が確かに自分の存在を認めてもらえた証だと感じていた。
そして、奥のカウンターの隅、安酒をちびちび舐める老人がいた。
ケイは隣に腰を下ろし低く告げる。
「……ここではあんたが一番の情報通とみたが」
「はて?なんのことじゃな。わしはただの流れ者で、この宙域のことは詳しくは知らん」
「ふん、つまらない演技はよせ。……あんた、この酒場のボスだろ」
老人は笑い、次の瞬間に豹変した。背筋が伸び、襟を立て、胸の櫛で髪を撫で上げる。その変化に周囲の客たちもざわめきを止め、視線が一斉に集まった。油と酒の混じった空気さえ凍りついたように澄み、ただ老人の声だけが場を支配する。
「……ほぉう。若いのに、なかなか見抜くじゃないか」
ケイは迷わず切り込む。
「あんた、噂に聞く漂流衛星の所在しってるか?……または航行ルート、関係者でもいい。教えてくれ」
その言葉に、ほんの僅かだがケイの瞳に熱が宿った。それは金でも名声でもない、もっと深い何かを求める色。老人はそれを見逃さなかった。
老人はグラスを傾けゆっくりと笑った。
「答えられんことはない。だがな──奴らを狙う者は多い。金の亡者も、政府の犬も、漂流者狩りもおる。奴らも一筋縄ではいかん。命を賭ける覚悟はしておけ」
話を聴き終えたケイは、目の前にホログラムを起動し、情報料を提示して老人に投げる。
対して、老人はホログラムを見て無言で頷き、タッチして入金確認するとケイに投げ返した。
店を出る時、メシエは振り返った。最初に足を踏み入れたときは恐怖しかなかった。だが今は違う。様々な種族の荒くれ者たちが、確かに“生きていた”。飲んだくれて今にも終わりそうな者も、まだ何かにしがみついていた。
新たな影が入るたび靴音が鳴り響く。存在を示し合う合図。そしてケイが外へ一歩踏み出すと、背後から「ゴン、ゴン」と音が返ってきた。まるで「行って来い」と告げるかのように。
メシエは胸に熱を抱えながら、自分の足を鳴らした。「コン」再び、誰かが重く返す。誇らしさと戸惑いがないまぜになり、胸の奥で揺れた──その瞬間、彼女は理解した。自分はもう迷い子ではない。歩き続ける限り、漂流者の一人なのだと。
アイは最後に一言だけ付け加える。
「歩くことは守ること、生きるための最初の手段です」
メシエは学ぶべきことがたくさんある。




