聴取
三月三〇日 午前十一時
世界に終末が訪れるのは、そう遠くない未来だ。永遠に続くものなんて、この世にはない。ある意味で、最後を見届けることができるなんて光栄じゃないか、そう感じていた。
異常気象は年を追うごと、自然災害は相次ぎ、変異という進化によって二年以上続くパンデミック。
世も末とはこのことだろう。
雪溶けは進み、積雪も西陽の当らない日陰のあちらこちらで見かける程度。外にはまだ冷たい風が吹いていた。
テレビドラマで見るようなだだっ広く簡素で清潔な場所とは程遠く、人の汗と脂と加齢臭が壁に染みつき、思わず鼻をつまみたくなるような臭い、三畳にも満たない物置のような取調室で部下の十倉巡査部長と共に、任意での聴取を始める。
「改めまして、北海道警北見署刑事第一課、警部補の零瀬と申します」
角が少し丸くなってしまった名刺をデスクに差し出し、調書に目を落とした。「九丈瑛斗さん。北見市在住の五〇歳、独身、間違いありませんか」
「はい、エイトマンなんていわれたこともあります」
「……はい?」
眼鏡の上から本人を見るが、さほど気にもしていない様子だった。
九丈は予め手にしていた長財布から、名刺を交換するかのよう運転免許証を丁寧にこちらに向け差し出してくる。快活な返答、声や手に震えもなく、動揺もしていない。
これは骨が折れる、束の間、ため息が出そうになった。
「ご協力ありがとうございます。少しばかり、お時間いただきますがよろしいですか?」
「ええ、構いません」
九丈の見た目は中肉中背、身長も平均的な一七〇センチ前後、一重瞼で黒いマスク下の顎は細い。身なりも清潔感のあるジャケットにジーンズ、髪も短く整えてはいるが、年甲斐もなく金髪にグレーのアッシュを施していて、実年齢よりは五歳ほど若く見えた。
「感染対策の徹底によって、聴取の際もマスクの着用をお願いしております」
このマスクが厄介ではあった。顔の半分が隠れてしまい、表情を読み取ることが中々難しい。「今日、ここに来ていただいたのは他でもありません。初めに伺っておきますが、心当たりはありますか?」
「心当たりは、あります!」
妙なテンションで裏声を張り上げる。まるで、世紀の大発見がありもしない大嘘だった会見の理系女子のモノマネ。
「……な、なんですか?」
目じりを下げた九丈は笑みを浮かべ、「いや、嘘です。すいません、緊張しちゃって。冗談のつもりで、つい」と、頭を掻いた。
出鼻を思い切りくじかれた。一度、咳払いをする。
「現在のご職業、仕事をお聞かせください」
こちらを見据え、「個人事業主で清掃業を営みながら、小説家を目指しています」視線は動かず、瞬きもしていない。
「ほう、小説ですか。作家を志していらっしゃるんですね。何年くらい、どんな小説を執筆されているんですか?」
本など読みもしない自分にとって、興味もないことを掘り下げるのも聴取のひとつだ。パイプ椅子の軋む音が耳に触れた。
「八年目なんですが、もう芽も出ないようなので潮時なんです、引き際も肝心ですからね。ミステリーのような話を中心に、新人賞などの文学賞に応募して、プロとして稼ぐことも出来ないアマチュア作家ですよ。世の中はそんなに甘くありません」
マスク越しの頬が少しだけ緩んだよう思えた。
「なるほど」と、相槌をうち、気にかかったことを訊いてみた。「耳の、それは補聴器ですか?」
「ええ」
九丈は、屈託のない笑みを浮かべた。「突発性難聴とやらで、こちらの」と、右耳を指差した。「耳だけ聞こえません。左耳は大丈夫なのですが」
「そうですか。お若いのにお気の毒です」
早速、次の話に繋げる。遠回りして外堀から埋めていくのは鉄則だ。「本業の仕事は先ほど、清掃業と伺いました。これは、どういったお仕事でらっしゃるんですか」
対峙している格好の九丈は、やや緊張の面持ちだった。
「ビルメンテナンス、美装だとかハウスクリーニングといえば分かりやすいでしょうか、ただの掃除屋です。作業内容は、店舗や住宅の床を磨いてワックスをかけたり、このコロナ禍では消毒作業なんかも。掃く、拭く、磨く、もうこの畑で二〇年生計を立てています」
「人間始末して片付け任せられる掃除屋じゃねえだろうな」
後ろにいる十倉が声をあげる。一度、大きく咳をして、十倉を睨んでやった。
「大変なお仕事だ。それで九丈さん、あなたは一〇年前まで会社を営まれていた。業種は今と同じ、清掃業ということでよろしいですか?」
「僕のことなど、もう調べあげてるんですね」
軽く鼻を鳴らし、肩を揺らした。
「こちらも仕事なもので、その辺は」軽い笑みを返す。「ですが、どうしてご自分の会社、有限会社クルーズを辞められたのですか」
はい、とかしこまった九丈は、ジャケットの裾を伸ばしながら背筋を伸ばした。
「辞めざるをえない状況に追い込まれた、とでも言いましょうか。僕は信頼していた社員に嵌められ、会社を追われたんです」
「そこを詳しくお聞かせいただいてよろしいでしょうか」
「どこから話せばいいですか?」
「できれば時間の許す限り、最初から、起業した頃からで構いません」
九丈はそこで一度大きく深呼吸をして、饒舌に話し出した。今まで蓄積した鬱憤を吐き出すかのように。
「僕は、今と同じ個人事業主として清掃の世界に飛び込みました。 今まで培ってきた仕事への情熱や自信を胸に働きました。男三十にして起つ、という言葉もあるくらいです。右も左もわからない仕事に三十歳を超え修行し、拾い仕事さえ喜んでしました。地方での採算の合わない仕事でさえ、懸命にこなし頑張りました。
清掃業とは、世間から見れば底辺に属するような大変な仕事です。
僕の前職で支店長までしていた上司の方が、汚職により去り、他の仕事に就きました。お金を貸していた縁などもあり、年上の方ですが仲良くしていた矢先に、その方が担当する店舗の定期清掃を依頼されました。話しはトントン拍子に進み、そこの会社が経営する札幌の大型書籍店の清掃を受け持つことになりました。当時、札幌市内でも最大規模の店舗面積を誇り、複数の店舗を展開している書籍店、四葉書店です。ご存じでしょうか?
現在は北見にも展開しています、株式会社フォーリーフという企業です。
僕が今までやってきたことに対して、努力が実になった瞬間だと今でも思っています。
札幌にも事務所を興し、従業員を増やして、法人化しました。
そこから五年間、休みなく毎日働き続けました。店舗の広さや規模は相当でしたから、やりがいもありましたし、自信もありました。休みをとって歩き出すと、もう走れないのではないかと思い、ストイックに体を駆使し働き続けました。
相手企業に認められるよう顔を売ることは勿論、毎朝の施工には立ち合い、各店舗を回り走り続けました。社員の方々に覚えていただけるようにもなり、信用や信頼を肌で感じました。社内旅行にも呼ばれるほどになり、毎年同行しました。盆暮れには、社員の方々へ行き渡るよう細やかながらも贈答品で気配りをしました。
おかげさまで会社の年商は一億円ほどになり、借金はすぐに返済しました。
当社の従業員、社員にあたる人選は、田舎の幼なじみで部活の後輩にあたり、札幌に在住する人材に声をかけました。会社を支えてくれる人材です、皆が独身のため、しばらくの間は事務所を間借りしてルームシェアをし、炊事も男手ながら僕がこなしました。なにしろ男同志ですが寂しさを、笑い合いながら紛らわせることができましたからね。
幾度となく共に外食をし、高い酒を振る舞いました。割り勘などさせず、高級クラブでも奢り、支払いは全て僕が出しました。僕に一生ついていくと決心した後輩に対し、給与としての報酬よりはコミュニケーションを計りながら絆を深めた方がいい、そう思っていたからです。勿論、無理強いなどしません。社員やアルバイトにも、労働の対価としては破格の給料を与えていましたから。
当たり前ですが、仕事イコール店舗の清潔さは最優先です。実務、経理、営業、福利厚生等とたたき上げでやってきた僕にとっては、無我夢中で一生をかけやってきました。
僕の人生がかかっていますから」
「そうですか。お若いのに、大変な努力をなされたんですね」
これは九丈瑛斗自身の史実だ、嘘をついているとは到底思えない。だが、どうにも腑に落ちない。「九丈さん、あなたは今までも必死に一所懸命やってこられた。ありきたりですが、人生には山もあれば谷もある。そんな矢先、何故あなたが会社を追われるようなことになったのですか?」
ど真ん中に思い切り放り投げてみる。
「事件が起きたんですよ」
微動だにしない九丈の細い目の奥が、暗く輝いたよう思えた。
「……事件? ほう、それはどんなことでしたか」
「従業員が早朝の就業時間内において、四葉書店に陳列してある商品を万引きしていたんです。しかも、半年間に渡って常習的に」
「窃盗事件ということですか。それで?」
空が急に薄暗くなり、雲がどんどんと色を濃くしていくようだった。雨が降る、そんな前触れのような気がした。
「その監督不行き、責任ということで僕は辞任させられました」
「九丈さん、あなたがやった訳ではないでしょう。その責任を押しつけられるなんて、あまりにも乱暴だ、理不尽にも程がある」
「同情していただいてありがたいことですが、現実は厳しいものです。まるで僕が犯人であるかのように白い目で見られ、汚物かのように排除されたんです」
「その窃盗事件に関して、我々警察には相談されたんですか?」
「もちろん、札幌南署に。犯罪行為を易々と見過ごす訳にはいきませんから。ですが、被害届けや物証が必要だと言われました」
うむ、「そうですね。このケースでいえば、四葉書店側からの監視カメラ映像や具体的な被害総額などですね」
「それは出せないと断られました」
「……なぜです?」
首を軽く傾げた九丈は、「さァ」と呆れた表情に、「警察の厄介にはなりたくなかったんでしょう。その対応で全てが狂ったようなものです」
「結果、どうされたんですか?」
「棚卸しで在庫を確認する気もないまま、概算で賠償金を四葉書店側から請求されました。もちろん迅速に誠意をもって謝罪に出向き、土下座もして、今後の対策も含め賠償金を支払いました。それは責任者の務めとして」
「それでも許してもらえず、ということですか?」
「会社としての売り上げの多くを、四葉書店を運営する株式会社フォーリーフに依存していたため、言いなりになるしかありませんでした。七海社長は心の広い方でしたが、被害届を出さないと言って賠償金を計算した四方山副社長と、四葉書店の仕事を斡旋してくれ当社に出向してきた五十嵐さんに、退社という引導を渡されました」
「社長は許しているのに、なぜ周りの取り巻きがそんなことを?」
「僕には分かりません」肩をすくめた。「一〇年も前のことです。今はこうして、なんとか暮らしていけてるので」
そうですか、と一呼吸入れ、本題へと移る。
「そうだ。事の発端となった窃盗事件を起こした従業員の名前は憶えていますか?」
「はい、それは忘れもしません。一ノ瀬蓮という男です。当時は確か二十歳くらいだったかと」
私の心臓が少しだけ跳ね上がった。九丈の目に暗い光が宿ったようにも感じた。
「その従業員、一ノ瀬に対しての処分はどうされたのですか?」
「即刻、クビにしました」
その言葉で、私の中にもスイッチが入った。
「生首にした、なァんてことじゃねえのか?」
壁にもたれかかっていた十倉巡査部長が口を挟んだ。
九丈は眉をひそめ、訝しんだ。「どういうことですか?」
「主任、口は慎め」
そこで、十倉から書類を手にする。「昨年の十二月、今から約三カ月前。ちょうど年末商戦に慌ただしいクリスマスイヴの二十四日。九丈さん、あなたはどこで、何をされていましたか?」
「その日は、四葉書店の札幌手稲店で爆破事件があった日です」
「よくご存じですね。質問の答えにはなってませんが」
「アリバイってやつですね」
九丈はしれっと顔色も変えず、平然としていた。
「捜査本部が札幌の道警本部に敷かれていまして、三カ月経過しても解明の糸口すら不明で進展がありません。捜査範囲をさらに広げて、北見署も合同で情報の共有を行ってる最中でして。関係者全員に訊ねていることなんです、ご了承ください。ですが、あなたには動機があり、疑われてる」
「そうですね。犯人を捜すなら、僕が疑われても仕方ありません。すいません、僕がやりました」
「……へ?」
思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。
「あァ、すいません、嘘ですよ」
九丈は、悪びれもせず笑う。「アリバイはあります」
「おい、ここで、あんまふざけたこと言ってんなよ」
気に触れたのか、十倉は幾分尖った物言いだった。組織犯罪対策課、通称マル暴で慣らしていた十倉は口が悪い。
「ちょっと言ってみたかっただけですよ、怖いなァ、冗談なのに」
「こっちは、冗談で捜査なんてしねえんだよ」
十倉は憤ってみせ、奥のパイプ椅子にどっかりと腰を下ろした。
九丈は臆せずに、「だって、札幌で起きた事件じゃないですか。それに早朝四時とか五時に発生したんじゃありませんでしたっけ」
「その時は、北見にいらっしゃったと?」
「当然、その時間帯なんて、まだ寝てますよ」
札幌で起きた四葉書店が何者かによって爆破された推定時刻は、未明の早朝四時すぎ。
300キロ離れた札幌から高速道路を使い、早朝で比較的空いている峠道なども平均時速一〇〇kmで走行していれば、不可能なことではない。午前九時には北見に到着できる。
九丈は、一度大きく息を吸い、鼻を鳴らした。「僕はその日、自分の仕事、お客様の店舗の施工をしています。昔からのお客様で、自分の会社だった有限会社クルーズからのお付き合いでしたが、僕から社長が変わった途端、向こうから施工を辞めるといってきたらしく、僕のところに依頼してきた経緯があります。それは四葉書店以外のお客様、ほとんどがです」
「たまたま休みだったとかじゃねえのか?」すぐに十倉が口を挟む。
「年末はお掃除の時期で繁忙期ですし、今のお客様は飲食店が多いので、こんなご時世に蔓延防止措置だの緊急事態宣言だのいってられないじゃないですか。僕が働いていたかどうかは、お得意先に聞いてもらっても構いません。それに札幌に出向いてまでって、さすがに心外ですよ」
不穏な色が見え隠れしている、裏を取ることは必要だ。
「そのお得意先は教えていただけますか」
「迷惑がかからない程度にお願いします」
つらつらと店名を並べる。私は、素早く書類にメモをとる。
「ほう、私の行きつけのラーメン屋さんと国道沿いの美容室ですね。ここの美容室も、顧客数は市内で三本指に入っていると聞きます。そうですか、九丈さんが清掃をやられていたんですね」
「はい、よくご存じですね」
「ええ、私事ですが、美容室のほうは、うちのかみさんがお世話になっていたもので。主任」と、メモ書きを十倉に渡して外に促す。 電話でいい、アリバイを聞け。阿吽の呼吸かのよう十倉はこくりと頷き、取調室を出て行く。
「正直申しまして、昨年の四葉書店札幌手稲店で発生した爆破事件の犯人は特定できているんです、今のところですが。それとは別に、火災が発生した現場に、とんでもないものが転がっていたんです。なにかご存じありませんか」
「神のみぞ知るってやつですね」
どうにも調子が狂う。
九丈は、にわかにワクワクとしているのか興味深々で前のめりになってくる。
「あなたが社長だった頃に窃盗事件を起こし、その後一〇年もの間、行方知れずだった一ノ瀬蓮の遺体の一部、切断された頭部が発見されたんです」
「あァ、それなら知ってます」
「なんですと?」
「だって、僕が犯人なんですから」
涼しい真顔で、そう言ってのけた。
読んでいただき、ありがとうございます!