第7話
突然おとぎ話じみたことを言われ、私はぽかんとしていた。
呪われていた。呪い? あの、魔女がかけるというあれのこと?
「お心当たりはありませんか?」
にこやかに問いかけるイエルに、私は慌てて首を横に振った。
「ふむ。ご存じない。なるほど」
イエルは私をしげしげと眺めた後、にっこりと笑って続けた。
「では確認のため、もう一度お聞きしますね。ブロック嬢は婚約者のリックウッド令息が黒い靄を吐き出すのを見たと仰る?」
「……はい」
「その前は何をなさっておられました?」
「お茶を楽しんで、お話しておりました」
「突然、靄を吐かれたのです?」
「咳が止まらなくなって、苦しんでおられました。その後に」
「うんうんうんうん! やはりそうですか!」
答えにイエルが目を輝かせていて、少し怖い。
「ああ、怯えさせてしまいましたか。すみません。思った通りだったもので嬉しくてつい」
イエルは興奮して語りだす。
「あのお茶は東国で秋を寿ぐお茶で、祝祭の日に神殿などで配られて皆が飲むのだそうです。夏の疲れを取る健康茶なのですが、もう一つ効能があってそれが浄化です」
「ジョウカ?」
「人は自然と穢れと呼ばれるよくないものが身の内に溜まるので、それをきれいさっぱり失くす儀式が浄化です」
「ケガレ?」
「自分や他人の負の感情、いわゆる恨みつらみの集まったものですね」
私はあの靄をまざまざと思い出して、ゾッとした。
「普段の私は、ブロック嬢が靄と呼ぶあれを、元の持ち主に返す儀式をしています。呪い返しと言い、元の持ち主に返すと急激に弱るのでそこからは神殿の領分です」
イエルはいい笑顔でえげつないことを言う。
「今回はブロック嬢に浄化されてしまって、元を辿れないんですよ。困りました」
「私が?!」
驚く私に、イエルは白々しくため息をついた。
「ええ、靄に東国の花茶を投げつけたのでしょう? あれは悪魔に聖水を浴びせるのと同じですよ。きれいに浄化されて犯人は特定できず、リックウッド様はいつ起きるやもしれず。こちらの商ば、コホン、布教活動にも差し障りが出ております」
「……それは申し訳ありません。私、恐ろしくて取り乱しておりました」
不穏な単語は聞き流し、私は故意ではないと強調して謝っておく。
「そうですよね! しかし、とっさの行動で浄化なさるとはブロック嬢は有能です! 罪なんてとんでもない。あなたが婚約者を救ったのですよ!」
「まあ、恐れ入ります……」
イエルの目の輝きと圧が増し、私は思わず身を引いてしまった。怖い。
「で、ご相談なのですが、呪いの特定を手伝っていただけませんか?」
イエルが笑顔でとんでもないことを言い出した。
「な! なぜ私が」
愕然とする私に、キョトンとした顔でイエルは告げた。
「このままだとリックウッド様はまた呪われますよ」
「え……」
「今、リックウッド様は深く根付いた呪いを一気に浄化した衝撃で眠られています。あれは、かなりの長期間呪いに侵され続けた人特有の症状なのですよ。私の言っている意味がお分かりですか?」
こんな話でも、イエルは笑顔を崩さない。ある可能性に気づいた私は、急に背中の汗が冷たく思えた。
「ダスティン義兄さまの近くに、呪いをかけた者がいる……?」
「その通りです! ブロック嬢は聡明でいらっしゃる!」
イエルは恐ろしいことを満面の笑顔で言う。
「初めはブロック嬢が呪いをかけたと思ったのですが、花茶を飲まれたのでしょう? ブロック嬢が犯人なら、リックウッド様のように何らかの症状が出るはずです。ここで正気でおられ、尚且つ呪いを撃退されていることからもブロック嬢の仕業ではありません。婚約者や家族など、親しくてずっと一緒におられる方が怪しいのですけれどねえ。ブロック嬢、ご婚約はいつからで?」
私は手の震えを抑えようと握りしめた。
「昨日、です」
「はい?」
「昨日、婚約しました。姉と婚約解消したので、代わりに私が」
部屋の中に、何とも気まずい沈黙が流れる。
「お姉さまは今どちらに?」
「アイリス様はブラドル伯爵領で一泊なさった後、明日の船で隣国に向かわれます」
我が領の治安警備隊長が、イエルにいち早く答えた。
「きみ、ブラドル領へ早馬で今回の件を伝え、アイリス・ブロック嬢に戻っていただくように」
私が抗議の声を上げる前に、グレーナーの命令に目礼をした隊長はすばやく部屋を出て行った。
「姉は関係ありません! そもそも一年間隣国に留学しておりましたし、その前は義兄さまは学院におられ、姉さまと会ったのも両手で数えるほどで、この花茶も姉さまからのお土産なのです! 姉さまはそのようなことはできません!」
私の必死の訴えにグレーナーは腕を組んで黙り、イエルは首を傾げながら言う。
「まあ、それはお話を伺ってみないことにはなんとも」
……失敗した。姉さまを巻き込んでしまった。これからどう立ち回ろう。ああ、早く一人で考えをまとめたい。
「もうよろしいかしら? 私、疲れましたの。一人にしていただきたいわ」
怒りを抑えて、私はため息を吐いた。
内心ぐるぐると考え込んでいる私に、イエルはまたキョトンとした顔で言い放つ。
「え? ブロック嬢はご協力いただけるのでしょう?」
「私、了承しておりません!」
私は殊更ツンと冷たく答えたが、イエルには全く堪えていない。
「ここからはあなた方のお仕事ではございませんこと? 私の仕事ではなくてよ」
本気でイライラしている私に、イエルは穏やかに微笑んで爆弾を落とした。
「ブロック嬢。呪いとは、人の目には見えないものなのです。修業した私達でさえ、特別な儀式でやっとわかるようになるもの。それをあなたは儀式もなしにやってのけ、浄化までなさった。これぞ神のお導き、ミリカ嬢の力を使えという啓示です!」
目を輝かせるイエルの言葉に、私の顔はひきつった。身の危険を感じる。何とかこの場を切り抜けなくては。私は無駄に笑顔で答える。
「それは、多分私の力ではなくて、そうだわ、東国の花茶! あれに東国の神の力があるのではなくて? きっとそうよ。神官騎士様もお飲みになられたらいかが?」
「なるほど。一理ありますが、私は運命の女神マリス様に信仰を捧げた身。他国の神には頼れません」
手を組み祈るようにイエルは語る。私は思わず冷めた目で見てしまった。
それまで黙っていたグレーナーが口を挟んだ。
「私には呪いはわかりませんが、少なくとも執念深い奴がリックウッド様を狙っていたのはわかります。恨み続けるってのは諦めないってことで、そういうのはほとぼりがさめたらまたやります。確実に、こちらの息の根を止めるまでね」
グレーナーの言葉に私は青ざめた。
「そう! だから今が好機なんですよ。呪いの見えるブロック嬢が相手を特定出来たら、私たちが捕まえられますから! このまま放っておくと、次は誰が巻き込まれるかわかりませんよ?」
イエルに痛いところを突かれ、私は黙り込む。神官騎士は最高の笑顔でのたまった。
「ご協力、感謝いたします!」
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