第61話
タウンハウスに一人で帰ってきた私は、即座に湯浴みを命じた。髪も肌も丁寧に洗い上げて、身体から夜会の名残を全て消し去り、やっと安心して微睡んだ時だった。
「ミリカ、どういうことだ」
大声とともに寝室の扉が勢いよく開き、正装姿のダスティンがベッドに大股で近づいてきた。私は横になったままで声をかける。
「馬車は間に合わなかった? すぐに折り返すように言っておいたのだけれど」
「そういうことではない」
「では何かしら? 私、今日の役目なら果たしたわ。あのような啖呵を切るほどに元気ですって披露できたもの。薬草の効能としては充分でしょう」
「挙句に、伯爵夫人がエスコートもなしに退出するなどあり得ないだろう」
呆れて溜め息を吐くダスティンに、私は笑って答えた。
「あら、私の我儘なんて今に始まったことかしら? 今日もいつものように済ませたのではなくて?」
「……妻は久しぶりの夜会でのぼせたと言っておいた」
ダスティンは様々な面倒事を断る理由に『私の我儘』を使う。『婿入りの自分は、家付き娘の嫁の顔色を伺わなければ』という表情をしてそれを繰り返すものだから、いつの間にか私は我儘な妻として有名になっていた。私はそれでもいいと思っていた、今までは。
「やはりね。貴方、都合の悪いことはことは全て『私の我儘』で躱しているもの。おかげさまで、私は名も知らない葡萄酒や、見たこともない花の香りを嫌っていると聞いたわ。呆れたこと」
鼻で嗤う私に、ダスティンはだんまりを通す。この男は都合が悪くなるとすぐにこうだ。私は更なる怒りで、嫌みが止まらなくなった。
「そうだわ。ついでに貴方の友人の香水も、私の嫌いなものに加えて頂戴な。貴方、ご友人ならあの香水をやめるようご忠告さしあげて?」
「っ、言えるわけがないだろう!」
「あははは! 貴方もあの刺激に耐えているのね! それで親友なんて笑わせるわ。貴方達はいつもそうよね。言うべきことは言えず、守るべき秘密は守れない人達」
「は? 自分の振る舞いを鑑みてから発言したらどうだ」
「ダスティン。私、知っているのよ。貴方、私達のことをジャン・カルドに相談したんですって? 私、あの下郎に嘆かれてしまったわ」
その言葉で、ダスティンの眉がピクリと動いた。私は構わず続ける。
「ずいぶんと口が軽いのね。貴方達っていつまで学生のつもりでいるの?」
私達はしばらく無言で睨み合い、先に目をそらしたのはダスティンだった。
「何をいうかと思えば」
ダスティンが洩らした短い溜め息は、嘲笑に近いものだった。
「酔った勢いの戯れ言くらい、聞き流しておけないのか。そちらこそ大人の分別を持っていい頃だろう」
「貴方こそ当主の仕事をなさい。伯爵夫人が、家も継げなければ、配偶者も見つからない、一介の令息に、貶められたのよ。これは我が家への侮辱、正式に抗議して頂戴」
物分かりの悪い夫にゆっくりと話したが、反応は変わらなかった。
「やれやれ、大袈裟な」
「貴方、正気? この扱いを許せば、我が家が侮られるわ」
「わかったよ。私からジャンに言っておく。深酒はほどほどに、とね。それでいいだろう」
「いいえ。カルド家に抗議するのよ、ダスティン・ブロック。あの下郎は、友人の妻である伯爵夫人を、一夜の慰みに求めたの。許せないわ」
私の冷たい怒りに対して、ダスティンは舌打ちした。
「ああ、君の言う通りだよ。あの男は酒に飲まれて一線を越えたようだ」
「貴方にも原因があるでしょう、ダスティン?」
私の冷ややかな態度に、ダスティンの眉が跳ね上がった。
「どういう意味だ?」
「貴方の態度が付け上がらせる元だと言ったのよ。紳士達のここだけの話と口を滑らせたのではなくて?」
私の問いにダスティンは無言だった。殊更に無表情を保つ彼に、事実を言い当てたと悟る。この分ではカルド家への抗議も形だけになりそうだ。私は大きく溜め息をついてから告げた。
「私、明日領地に帰るわ」
「何を言い出すんだ。こちらに留まり、二人で何もないことを見せつけるべきだろう」
「まだわからないの? この夜会の振る舞いがロージー姉さまの耳に届けば、王家に不安視されてしまうわ」
私の鋭い視線に、ダスティンは不快そうに眉を寄せた。
ロージー姉さまはリシュリー王女殿下の護衛を勤めている。信頼する護衛の実家が揉めていると聞いたら、お優しい殿下は胸を痛めてしまう。更に殿下を溺愛する陛下の耳に届いたなら、婿入りの我が家への影響が恐ろしい。
「朝一でロージー姉さまに手紙を書くわ。身体は元気だけれど、まだ心が揺れていて醜態を晒してしまったので領地へ戻ります、とね。そのまま発つから、貴方はお好きなようにご友人にご説明なさればいいわ」
そう言って私は目を閉じた。もう何も聞きたくなかった。
ややあってダスティンの溜め息が聞こえ、静かに部屋を出ていく気配がした。
お互いに、夫婦としての努力を諦めた瞬間だった。
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