第60話
お久しぶりです
今にして思えば、前回の生で、あの夜会こそが私とダスティンの破滅の始まりだった。
それは久しぶりの……あの子を失くしてから初めての夜会で、私は酷く疲れていた。いつもよりコルセットは苦しく、ドレスはさらに重たい。大広間の灯りに煌めく貴婦人達の装いが目に痛く、混ざりあった香水が鼻につく。楽団の演奏も人々のざわめきも、今の私には耳障りで頭痛が増した。
皮肉にも、私が倒れたことで集められた薬草の幾つかが領地にうまく根付き、名産となりつつある。この夜会で薬効を証明する為に、私は健やかに美しくあらねばならない。私は伯爵夫人としての矜持だけで微笑んでいた。
その最中、ほんの少しダスティンが離れた隙に声をかけてきたのがジャン・カルドだった。
「これはこれはお久しぶりですな。ブロック伯爵夫人」
本人は朗らかに挨拶したつもりだろうが、声に嫌な粘りがあった。体の線をなぞるような視線を向けられ、私は怖気を押し殺して挨拶をする。
「カルド様。お元気そうで何よりですわ。今、主人を呼んできますわね」
「ああ、それには及びません。彼も大切な話があるのでしょう。戻るまで少しお付き合い願えますか、夫人?」
ジャン・カルドは踵を返そうとする私を止めた。私は仕方なく笑って応じる。
「まあ、私でよろしければ」
「なんのなんの。ダスティンが戻るまで、私が美しい貴女に群がる者どもに睨みを効かせておきましょう」
そう言ってちらりと周りを見たジャン・カルドは大袈裟に笑った。私はそっと扇で口元を隠し、目を伏せる。
なんて要らぬ騎士気取りだろう。私達は夜会に領地の特産を売り込みにきたのに。この男の所業は私を言い訳にした明らかな営業妨害だ。
「カルド様、ありがとうございます。私には過ぎたお気遣いですわ」
やんわりと突き放したが、ジャン・カルドには通じなかった。
「いやいや、もう以前の貴女とは違います。この数年で、本当に魅力的なご夫人になられましたからねえ」
じっとりと欲に満ちた視線を向けられ、何とか微笑みで耐えた。この男には以前は子供と軽んじられ、今は体を品定めされる。どちらも不快だが、伯爵夫人としてこの程度はいなしておくのが努めだとダスティンが言う。夫はなぜこんな男と友人なのだろう。
「私はねえ、夫人、ダスティンを親友だと思っております。ですから、彼の力になりたいのですよ」
「まあ、心強いお言葉。夫も喜びますわ」
「私達には学院での強い絆がありますからね。最近の彼はずっと悩んでいるようで、私はもう見ていられないのです」
ほんの少し首を傾けた私に、カルドは近づいて声を潜めて続ける。
「ブロック領の景気は上向き、あなた方は伯爵家を盛り立てたと世間の評判は上々です。しかし、そっと囁かれている話をご存知ないでしょう。彼は貴女の耳に入らぬよう、大層気を遣っていますから」
ピクリと肩が震えた。仰ぎ見れば、カルドは眉を下げ悲しそうな表情で私を見ている。けれど、目の奥にあるのは隠しきれない愉悦だった。
「それで? 私に、何を仰りたいのです」
この下衆が、と罵りたい気持ちを抑え、私はすっと扇を広げ口元を隠す。カルドはさらに近づいて囁いた。
「貴女にその能力がおありかを確かめてはいかがです? 私にはよい医師の伝手もございますよ。ああ、でもそういったことではないかもしれませんな。幼い頃から大切に見守ってきた貴女を、彼はまだ女として見られないのか。こんなにお美しくなられたというのに」
あまりの暴言に、一瞬何を言われたのかわからなかった。カルドの息に酒と鼻につく甘ったるい刺激臭と生臭さが混じり、ぎりぎりと頭が痛んで目眩がした。
「私だったら、貴女にそのような思いはさせませんとも」
カルドはそう言って、同情たっぷりの目で私を見つめる。私は屈辱に耐えて、カルドに尋ねる。
「それは、夫が貴方に、相談したと?」
数秒間私を見つめた後に、カルドはそっと溜め息を吐いて微笑んだ。この男は、私を哀れんでいる。
それで、わかった。
あのひとは、このような輩に、私の生傷を明かしたのだ。しばらく白い結婚だったことも、失ったあの子のことも。
なんたる裏切り。なんたる侮辱。
怒りで青ざめる私に、カルドはそっと囁いた。
「私が、貴女の能力も証明して見せましょう」
手袋越しに手の甲を撫でられて怖気が走り、私は反射的にカルドの手を扇子で薙ぎ払った。
ちょうど曲の切れ目にパァンと甲高い音が響いて、人々が振り返る。
私は怒りで震えながら、手を抑えるカルドを見据えた。
「つけあがるな。下郎が」
自分でも驚くほどの低い声が出た。私は怒りのままに、大広間に声を響かせる。
「ジャン・カルド。未だに配偶者が決まらぬ理由を、考えたことはあって? まともな女性は貴方と関わりたくないからよ。皆、見境のない貴方から下の病を移されたくないもの。そろそろ信頼される振る舞いを身に付けたほうがよろしくてよ」
私に睨み付けられ、最初呆気にとられていたカルドは怒りと羞恥で赤くなった。
「この「どうしたんだ!」」
ダスティンの声がカルドの言葉を遮った。素早く駆け寄ってきて、私とカルドの間に入り込む。背中で私の視界を遮ったダスティンは、カルドに話しかけた。
「カルド、妻の相手をしてくれてありがとう。何か失礼があったようだね。すまない」
ダスティンにカルドはモゴモゴと曖昧に答えた。
「待たせたね。あちらで「貴方は」」
ダスティンを遮って、私は声を張った。
「私の話を聞かずに、まず友人に謝るのね」
「ミリカ?」
不思議そうなダスティンは私へ手を差し出す。私はその手を扇子で払った。パンッと小気味良い音が響き、ダスティンの困惑を私は黙って見つめた。誰も何も言わず、大広間は静まりかえっていた。
「皆様」
私は全体を見渡した後、よく通る声を響かせる。
「お騒がせいたしました。これにて、無粋者は去りましょう。どなた様もよき夜を」
私は渾身のカーテシーを披露した後、一人で踵を返して大広間から出て行く。
誰が後悔などするものか。
廊下に響くヒールの音が、私の孤独な決意を支えていた。
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