第59話
お久しぶりです
その晩、髪の手入れの最中だった。私の髪を丁寧に梳かすエマがいつもより弾んでいるように思えて
「エマ、何かいいことがあった?」
と声をかけたのだ。
「はい。エマは、ミリカお嬢様の婚約が順調に整って喜んでおりますよ」
笑顔のエマにそう言われて、私は返す言葉に困ってしまった。エマは黙った私を照れているのだと思ったらしい。そのまま髪に優しく香油を馴染ませていく。
このところずっとダスティンとは、午後のお茶の際に二人で婚約パーティーの打ち合わせをしている。傍目から見れば仲睦まじい婚約者に見えるのだろう。あの時、ダスティンが『一生をかけて愛情で応える』と言ったのを、エマも側で聞いていた。
あの言葉で、私は安心した。今、私達の間には、前回の生ではなかった絆が生まれている。これで以前とは違って、これから起こるはずの悲しい出来事は防げる。そう安心した途端に、思ってしまった。
この言葉を、前回の生で聞きたかった。
例えば、婚約したばかりのときに
例えば、結婚した最初の夜に
例えば、あの子を失くした失意のなかで
もしも、聞けていたならば。
ダスティンの姿が、前回の幸せだったときを彷彿とさせるから余計に、私はやるせなくて胸が詰まった。
どうしようもない感傷だとわかっている。それでも、消えない。消せないのだ。
「ミリカ様?」
エマに呼ばれてはっとした。考え込む私を心配そうにエマが見つめていた。
「いかがされましたか? 私が何か」
「違うの。何でもないわ。ただ」
エマの視線を誤魔化すように、私は言葉を繋げて、
「『愛情』って何だろうと思ったの」
嘘になりきれない気持ちが零れた。
「それは、また、難しいことをお考えになられて」
エマは少し呆気にとられたように言い、私は軽く笑って答えた。
「あの時、ダスティン様は『愛情で応える』と言われたけれど、私は本当は違うことを言いたかったのだと思うの」
怪訝な視線のエマに向かって続ける。
「最初は『報いたい』と仰ったのだから、『誠意を持って応える』が近い意味になるかしら。でもそれだと、私との結婚が損害に対する賠償みたいに聞こえるもの。だから言葉を選んで伝え直してくれたのね」
「お嬢様!」
「事実、周りからはそう見えるわ」
あの時、ダスティンに止められた言葉は『それが貴方への罰にもなるわ』だった。
「なんてことを! 爵位を継げてミリカ様と結婚できるのです。幸運しかありませんわ!」
勢いで怒るエマに、私は思わず笑ってしまった。
「ありがとう、エマ。でもね、そう好意的に見られる方が少ないと思うわ。特に、私はアイリス姉さまに代わって伯爵夫人になるのだもの」
留学で頭角を表したアイリス姉さまの実家だと、我がブロック家は注目されている。その分付け入る隙を与えないよう、私達には次期伯爵夫妻に相応しい振る舞いが求められるのだ。
「だから、『愛情で応える』の『愛情』って何だろうと思ったの。友愛とか、家族愛とか?」
「敬愛もございますよ」
譲らないエマに苦笑しながら、私は答えた。
「そうだといいわね。エマ。私はね、ダスティン様の『愛情』が恋愛感情ではありませんようにと思っているの」
「まあ! なぜそう思われたのです?」
「だって、アイリス姉さまと婚約解消をして十二才の私と婚約したのよ。そこで恋愛感情を見せられたら、幼女趣味かと疑ってしまうわ」
「お嬢様!」
「周りからはそう見えると言うことよ。でも真実なら厄介ね。私は生きている限り成長するもの。幼いままではいられないし、どうしましょう?」
「ミリカお嬢様、はしたのうございますよ! いい加減になさいませ」
「はあい。ごめんなさい」
怒られながら、私は本当のことから目を逸らせてほっとしていた。
「でも、そうなると婚約パーティーでの振る舞い方が難しいわね。両家も私達も親密に見せないといけないのに、あらぬ噂が立っても困るわ」
「そこは意見交換会の皆様にお力添えいただけませんか?」
「最大限ご協力いただけると思うわ。けれど、噂なんて完全に抑えこめないでしょう? 誰も彼もここだけの話が大好きだもの」
「そうですわね。そういう方々向けにもっと面白い話があれば別ですけれど、そうそう都合のよい話題なんてないでしょうし」
そう言って溜め息をつくエマを、私は目を丸くして見つめた。
なぜ思い付かなかったのだろう。噂は消すより拡げるほうが簡単。そこでより楽しく衝撃的なものに目を向けさせればよいのだ。
「エマ、あなたってなんて賢いの! そうよ、こちらから拡げたい面白い話を見せてあげればよいのだわ」
興奮した私はエマの両手を掴み、上下に振って叫んだ。
「私、悪妻になります!」
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